January 04, 2007

今日の通勤CD(バッハ・フーガの技法)

バッハ・フーガの技法/古典四重奏団(ewe ewcc-1080)
今日の通勤CD

弦楽四重奏によるフーガの技法(カノンなし)+「おお人よ,汝の大いなる罪に泣け」BWV622。未完の「3つの主題によるフーガ」は突然中断する演奏。ずっと欲しいと思っていたのだが,大晦日の演奏会(ベートーヴェン後期弦楽四重奏曲演奏会)後に購入。ついでにサインももらう(下写真)。
期待どおり,古典四重奏団の緊密なアンサンブルがすばらしい。この団体はモダン楽器を使っているが古楽器寄りの奏法なので,過度な音色の装飾などもなく,曲そのものの魅力を引き出す演奏だと思う。そんな演奏だからこそ,旋律を和声的に取り扱うこの曲のような場合,すばらしい,時に奇跡的な響きを作ることができる。旋律を追いかけてやたらに歌うだけでは決して到達できない境地なのだ。これは大晦日の実演に接して改めて感じたことだ。

最後にBWV622が収録されているのだが,解説にこの録音に至った経緯が書いてある。それを知って聴くとこの曲がなんとも重く,深く,心に響くように思う。古典四重奏団がフーガの技法を演奏する際はこの録音と同様に演奏するようだが,実演に接したらどういう思いになるのだろう。

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November 17, 2006

今日の通勤CD(バッハ・2台のチェンバロのための協奏曲)

バッハ・2台のチェンバロのための協奏曲BWV1060,1061,1062/ピノック,ギルバート(cemb.)/イングリッシュ・コンサート(ARCHIV F35A 50055)
今日の通勤CD

最近携帯の着信音で落としたBWV1061が気に入ってよく聴いている。この曲はこの3曲の中で唯一オリジナルらしいとされていて,2楽章はオケは休み,1,3楽章もオケの出番は少ないという,まさにチェンバロのために書かれているといえる曲だ。(ちなみにBWV1060はオーボエとヴァイオリンのための協奏曲を(とされている),BWV1062は2台のヴァイオリンのための協奏曲をそれぞれオリジナルとしている。)
このBWV1061の3楽章"Fuga"は冒頭からチェンバロのフーガで始まり,オケが出てくるのは1分以上たってから。そこまでのチェンバロのすばらしいこと。そして同主題でオケが入ってきたときの華やかさといったらもうたまらない。この盤の演奏はゆったり目のテンポだが,もう少し速めのテンポの演奏を聴いてみたい。

余談だが,このCDは高校生の頃買ったもので,なぜか当時腹具合が悪かったり吐き気がしたりしていた(たぶん風邪だったのだろう)。そのせいで,このCDは「吐き気」と強く印象づけられてしまい,しばらくあまり聴かない時期があった。そんなはずはないのに聴くとなぜか胸がむかむかしたのだ。心と体はそれほど強く結びついているということだ。

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November 14, 2006

今日の通勤CD(バッハ・ヨハネ受難曲)

バッハ・ヨハネ受難曲/クイケン/ラ・プティット・バンド(deutsche harmonia mundi GD77041)
今日の通勤CD

来年度のBCJ定期の案内が来て,受難節コンサートはヨハネだということで聴く。普段あまり聞かないし,演奏もしたことがないのでマタイに比べて馴染んでいないのだ。
ヨハネもすばらしい曲なのに,マタイに比べると影が薄い気がする。どちらも聖書の受難に関する記述を元に人間の弱さを露わにする内容だが,マタイはより深く心理的な面に寄り添った音楽であるのに対し,ヨハネは情景的な面に注目しているように感じる。そんなように聴くものへのメッセージの発信方法が違うように思うのだ。受難の物語全体を感じやすくなっているヨハネと,受難の意味を洞察するマタイ,といった感じで。だからマタイは暗く内省的な音楽が多く,ヨハネは比較的そういう曲の割合が少ないのではないか,と思った。

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June 09, 2006

今日の通勤CD(バッハ・無伴奏Vnソナタとパルティータ)

バッハ・無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ/エネスコ(CONTINENTAL CCD104/5)
今日の通勤CD
気分が冴えないときはやはりバッハだ。そして無伴奏を聴くといても立ってもいられなくなり,帰宅後は無伴奏を弾くのだ。
エネスコの演奏は最初違和感があったが,慣れてくるとなかなか心地よい。ときどき和音が微妙だったりするのもリアルな感じがしていい。音楽はそれほどにおもしろい。

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June 05, 2006

今日の通勤CD(バッハ・コーヒーカンタータ,結婚カンタータ)

バッハ・カンタータ210,211番/鈴木/バッハ・コレギウム・ジャパン(BIS CD-1411)
今日の通勤CD
BCJの世俗カンタータ集。
コーヒーカンタータは演技をしているのか,ところどころに演奏以外の音が入る(以前映像を見たことがあるが,そんな雰囲気でやっているんじゃないだろうか。)。この作品はちょっとしたオペラみたいなものなので,そんな演出があったほうがおもしろいだろう。実際は親子と語り手の3人が登場するが,親子のやりとりがおもしろいし,それぞれのアリアも楽しい。最後に3人で歌うアリアは「結局コーヒーはやめられない」という趣旨だが,我が家ではこれを引用して「やっぱりコーヒーはやめられないよね。」などという会話が交わされている。「ネコがネズミを追いかけるように,娘はコーヒーを飲む。母も祖母もそうだった。」と,コーヒーを飲むのはそんな当たり前のことなんだそうだ。

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April 24, 2006

今日の通勤CD(バッハ・BWV132ほか)

バッハ・カンタータ132,172,182番/コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団・合唱団(ERATO WPCS-4838/40)
今日の通勤CD

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April 17, 2006

今日の通勤CD(バッハ・BWV76ほか)

バッハ・カンタータ76,106番/シェルヘン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団/ウィーン・アカデミー室内合唱団(Westminster MVCW-18029)
今日の通勤CD
めったに聴かないタイプのカンタータ演奏。そもそも我が家にはこういった演奏のカンタータ録音はほとんどないのだが。
聴いてみると実際はそれほど大きな違和感はない。歌手は朗々と歌い上げているが,過剰にロマン的なルバートとか,大げさな抑揚とかを多用しているわけではない。特徴としては,ダイナミクスを明瞭に変化させていることか。たとえば106番最後のフーガでは,各声部アーメンの入りを極端に抑えていることなど。あまりにも抑えすぎて,多声という印象が薄れ,フーガではないような感じだ。

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February 22, 2006

今日の通勤CD(バッハ・無伴奏Vnソナタとパルティータ)

バッハ・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ/ミンツ(DG 445 526-2)
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最近どうも冴えない印象のミンツだが,これは調子良かった頃の録音(1983,1984年)。終始骨太の音,といった感じで,透明なのではなくて味わい凝縮,という感じ。私がイメージしている音に近い。日本酒だったら原酒だ,と今日は思った。こんなふうに弾けるといいなぁ。
それで一つ思ったこと。いつも私が弾いているとkaorina。が「キミの音はキツ過ぎて聴いていてつらい。」と言うのだが,今回それがわかった気がした。ミンツの音は時にキツいのだ。例えばシャコンヌの冒頭付近とか。今日のように少々心が弱っているときは,このような音はキツ過ぎて聴いていてつらい。いつもkaorina。はこういう印象を持っているのかと思うとなんだか悪いような気もするが,自分のイメージどおり弾くのが私らしさなのだから,そのイメージが変わらない限りは目指す音を追求して精進するとしよう。

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February 16, 2006

今日の通勤CD(バッハ・フーガの技法)

バッハ・フーガの技法/ゲーベル/ムジカ・アンティクア・ケルン(ARCHIV 431 704-2)
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弦楽四重奏,弦楽五重奏,チェンバロ独奏,チェンバロ二重奏などによる演奏。弦楽器奏者としては,やはり弦楽アンサンブルによる部分に注目する。このフーガを明確に演奏するのは容易いことではないだろうが,いずれBBQでも取り組んでみたいものだ。
最後に未完の3つの主題によるフーガ(4つの主題によるフーガの断片)も収録。BACH主題によるフーガが開始し,主題の反行が現れていよいよ展開するというところで収束して終わる。この主題によるフーガは開始早々異様なエネルギーを持って迫ってくる感じがある。完成していたらどんなにすばらしいものになっていただろう。ただ,これは本当に未完なのかどうか,という研究もあるようだから,こんなことを言うのは無駄なことだろう。

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February 08, 2006

今日の通勤CD(バッハ・マタイ受難曲)

バッハ・マタイ受難曲/ヘレヴェッヘ/シャペル・ロワイヤル/コレギウム・ヴォカーレ(harmonia mundi FRANCE HMX 2901155.57)
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こんな気分の時はマタイに手が伸びる。思えば2000年の9月23日,大雨の中,車を運転しながら聴いたのが,マタイに対するこのような思いに初めて気づいた時ではなかったか。人間の弱さをあからさまにしてしまうこの音楽から,自分の現在の苦しみの原因がまさに自分の弱さであるということを否応なく突きつけられる。それがわかっているからマタイを聴きたくなるのだろうと思う。
人の罪を背負うイエスの物語を借りて,人間の弱さが次々と示される。イスカリオテのユダやペテロや民衆たちが,弱き心の故にとってしまう行動と続いて訪れる後悔。今日はどの場面も本当に涙なしには聴けなかった。しかし,物語の序盤,第10曲のコラールが鳴り響くとき,人間の罪がその弱さの故であることを,バッハの和声がはっきりと示しているということに今日気づいた。「自分が罰を受けるべき」というテキストに込められた思いの音化は見事としかいいようがない。自分の心と正対するということの重要さを,バッハの音楽が教えてくれる。目を逸らすことなく自分の心を見つめ,自分の弱さを認める。そのことでしか人間は苦しみを浄化することはできない。これは宗教だからとかではなく,真実だと思う。こんなことを感じさせてくれる音楽はなかなかあるまい。

さて,演奏のほうではやはりリヒター盤の呪縛に囚われすぎているのか,「劇的」でないなぁと思ってしまった。例えば「十字架に架けろ!」の合唱などは,群集心理に踊らされた民衆の狂気に満ちた雰囲気を感じるリヒター盤に比べて非常に静かな雰囲気。本当に十字架に架ける気があるの?といった感じだ。しかし,スコアを素直に音にするとこうなる,ということも言えるだろう。アタックやスタッカートなどが記譜されているわけではないし。刷り込みのない素直な心で音楽を聴かなければ,ということもまた思った次第。

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