February 27, 2015

2.8ダスビ演奏会

今年も年に一度のショスタコ祭りに参加しました。
聴きにいらしてくださったみなさま,スタッフとしてお手伝いいただいたみなさま,一緒に演奏したみなさま,どうもありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第22回定期演奏会
2015/2/8(日)東京芸術劇場コンサートホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:交響詩「十月」op.131
   映画音楽「ニュー・バビロン」op.18から抜粋
   交響曲第8番op.65
   (すべてショスタコーヴィチ作曲)

○十月
コンサートマスターで参戦。
作曲者晩年の,私が生まれた年の作品。
ダスビでは2002年の第9回に演奏していますが,私は2ndVnだったので今回はさらい直し。「こんなこと弾いてたんだっけ?」という感じでした。
この曲では弦楽器は細かいパッセージをこれでもかと弾かされます。雰囲気は今までのダスビっぽい感じなので,それぞれがちゃんと弾けてちゃんと周りを聴いて合わせられればそれほど難しいことはないはずなのですが,さらいきれていないと余裕がなくなかなかうまいこと合わないというのはよくあること。
本当はもっと早い時期にそこらへんはクリアしたかったのですが,アマチュアオケなので贅沢は言えません。少なくとも自分が原因で乱すことがないように心がけました。
本番直前にマエストロOSPから「小さくまとまらないで,こぼれちゃって。最終的にこぼれたのを拾い集めるから。」といつものように素晴らしい言葉をいただき,そこからけっこう音が変わったように思いましたので,本番では一段階いい演奏ができたのではないかと思います。

○ニュー・バビロン
コンサートマスターで参戦。
今回の演奏会で最も印象に残ったであろう,そして評価も分かれるであろう演奏。
実際聴きに来てくれた元メンバーから「やりすぎ」との評もいただきました。
さて,こちらは作曲者20代前半の作品。
ダスビでは最近映画音楽をよく取り上げますが,今回は舞台がパリ。しかも抜粋した曲の主役はブルジョア。まったくダスビっぽくない曲でした。
映画自体はパリ・コミューンが題材なのですが,抜粋した曲の部分を見るとブルジョアたちの退廃した雰囲気の中での下卑たやり取りが次から次へと出てきます。そんな雰囲気を音にするのは日本人のアマチュア音楽家,しかも旧ソ連の労働者のための音楽ばかりやっているダスビにはとても難しいものです。
そこで(かどうかわかりませんが)マエストロは演奏中に小芝居などをすることを提案され,そのことが雰囲気を出すことにプラスになったと思います。
で,私はソロの場面でヴィオラ方面に立ち歩いて戻るということをやってみました(写真)。

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HUP("Hip Up Position"の略=演奏中に尻を浮かすこと)どころか本当に立ち上がるという荒業(暴挙?笑)
年が明けてから思いついて,練習時にマエストロに「とりあえずやってみて具合が悪かったらやめます」と提案したのですが,却下されなかったのですんなりやることに。妻には「ほんとに目立ちたがりだね・・・」と呆れられましたが,まあ否定はしません。
ここは映画では役者が「私たちは愛に飢えています」と言いながら客に向かってウィンクをする場面なので,私もウィンクをしようかと思いましたが,練習してもうまくできなかったのでやめました。そのかわり客席に向いたときはちょっとニヤニヤしてみたつもりですが,あまり効果はなかったかもしれませんね。
終演後に「歩きながら弾くなんて頭が真っ白になったりしませんか?」と聞かれましたが,家でふらふら歩きながら練習したりしていたので完璧とはいきませんでしたがまあまあだったかなと。
まあこういうことは二度とないんじゃないかと思います。

○交響曲第8番
1stVnトップサイドで参戦。
ダスビでは3回目(私はそのうち2回)の8番。(前回(2006年)はこちら
冒頭の低弦の圧力(音圧というだけでなく何か精神的なものも加わった圧力)は以前より少し弱くなった気もしますが,他のオケではなかなか出ないものだったのではないかと。
1楽章と5楽章は特に難しく,1stVnはちゃんと合っている(音程も縦も)ことはもちろん,この曲が言いたいことを言える音を出さなければならないのが最大のポイントだと思います。
この点は以前より進化したのではないかと感じました。最近はマエストロから特に弱音の音色を作ることを指摘されますし,弦練で丸山先生から「鳴るポイントを外す」と教わったsul tasto(指板上で弾く)の指示がある箇所もかなり実現できたように思います。それによって1楽章では凍り付いた心と阿鼻叫喚の絶叫,5楽章では汚れた現実と美しいものの落差を大きくできたのではないかと。
ただ5楽章のフーガはなんとか乗り切った感じだったので,こういうところは今後の課題でしょう。

中間楽章では2楽章後半は今回もやはりスネアに煽られてとても大変でしたが,まあこれは予想どおり。中間部のピッコロも良かったですし。
3楽章は団長おなじみの安定のソロ。奏者は変わっても銃撃のイメージは変わらないスネア。このあたりはやっぱりダスビっぽかったですね。
弦楽器が疲れてくると走ってしまうのも相変わらずダスビっぽく,ここは直したいのですが。でも以前よりはマシになったと思います。
4楽章はいい雰囲気が出せたように思いますが,実際どう聞こえたのでしょう。全体的に音量を抑えて作った感じだったので,3楽章で全部ぶち壊した後の荒涼とした風景が見えていれば成功なのだろうと思いますが。

曲の最後のC-Durの和音の上で「ドレドー」と終るのは何度やっても素敵です。「そして最後に美しいものが残る」というやつです。
最後に残る美しいものとはなんなのでしょう。
今回も最後の音が消えてから長い無音の時間がありました。舞台上でも客席でも,そんな「美しいもの」を意識する時間だったのではないかと思います。

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打ち上げではなんと2度目の「なんちゃってダスビ賞」をいただきました。(最初は第18回)
すみません,受賞理由は忘れてしまいましたが商品は「ほうとうセット」でしたので,美味しくいただきました。
来年は5番とチェロ協奏曲1番。丸山先生との共演が楽しみです。

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March 13, 2014

2.11ダスビ演奏会

今年も年に一度のショスタコ祭りに参加しました。
聴きにいらしてくださったみなさま,スタッフとしてお手伝いいただいたみなさま,一緒に音楽を作ったみなさま,どうもありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第21回定期演奏会
2014/2/11(火・祝)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:映画音楽「女ひとり」から抜粋
   交響曲第13番op.113
   (どちらもショスタコーヴィチ作曲)

○女ひとり
1stVnトップサイドで参戦。
映画音楽なので,映画のイメージを反映して演奏。原作ではクズミナは凍死してしまうそうですが,この映画では政府によって救出されるという結末なのがいかにもソ連ぽいですな。
ヴァイオリンの最初の出番では,「素晴らしい未来が待っている!」と恋人とはしゃぐクズミナのイメージと弦練で示された「ウィーン風に」というイメージを重ねて。楽しい気分でニコニコ弾いていたら「面白すぎ」と正面からクレーム?をいただいたのですが,そういう音楽だからいいのです。
吹雪の前の場面に入るテルミンはファルセットのような人の声に近い音色が面白いですね。演奏する姿がまた独特ですが,1stVnの後ろという配置では全く動きが見えず残念でした。
終曲は飛行機が飛来して瀕死のクズミナを首都へと運んでいく場面の音楽なのですが,映画ではウクレレのようなマンドリンのような民族楽器をかき鳴らす髭の男が何度か現れます。この曲を弾いているとどうしてもこの映像が頭に浮かんでしまうのですが,この男は何者なのでしょう?フィルムが失われた場面で登場した,例えば吹雪のシーンでクズミナを助けた人物だったりするのでしょうか?

○交響曲第13番
コンサートマスターで参戦。
この曲は第5回(1998年)に演奏し,興奮して打ち上げで飲みすぎ,記憶・楽器・舞台衣装の3点を池袋の街で喪失するという痛恨の出来事を誘発した曲です。アメリカでエフトゥシェンコの講演会に行き,会話してサインをもらった同志ユースキー・スガーノフには及びませんが,私もかなりのバビヤリストなのです。
心臓を鷲掴みにされるような1楽章。特にアンネ・フランクの部分や,インテルナチオナールの部分などはたまりませんね。言葉と音楽が融合して否が応でも感情が昂ぶりますが,アタマは努めて冷静に。見た目にはそう見えないかもしれませんが,ちゃんとカウントして,ちゃんとテンポキープして,ちゃんと周りを見て聴いて,と当たり前の基本は忘れないようにしていましたよ。
2楽章はユーモア。我が家の第一訓は「会話にはユーモアを」としているくらい,ユーモアはとても重要です。どうしようもなく心が疲れ果て,まさに刑場に連行されるユーモアのごとく沈んでいても,「ここだよ!」と踊りだすようにユーモアを口にするのです。そうすることで数々の困難を乗り越えてきたのです。
中間部にあるSoloは容易く弾けたわけではありませんが,どうやら私には合っていたらしくなかなかの評をいただきました。まあ,第5回のコンマス氏ほどの技量はないのでこのくらいで許してもらわないと。
3楽章は鍋の当たる音を表す打楽器の「ポコポコ」と,なんといっても「女たちを勘定でごまかすのは罪なこと!!」とその後の「ペリメニをポケットに突っこんで・・・」というくだりでしょう。コール・ダスビダーニャのアーメン(が隠されている箇所)の美しいこと。
4楽章「恐怖」。恐怖というのは死んだと見せかけて,姿を変えてまた現れるのです。当時のソ連だけがそんな恐怖に満ちていたわけではないということを,現在の日本で感じるわけですが,やはり「信念なく他人の言葉を繰り返す恐怖」というのは重要だと思います。歴史上重大な結果をもたらした事象の芽というのは,多くの人の思考を停止させたところにすっと入り込んで,信念なく声を上げさせることから始まっていると思うからです。
そして,大雪の日のゲネプロと「我々は吹雪の中の建設も恐れなかった」というくだりが重なったのも記憶されるでしょう。
これまでの出来事はいったいなんだったのかという雰囲気で開始する5楽章ですが,このまとめ方は8番とも共通するもので,苦しみや汚れたものを知ることによって真実が見えてくる,というショスタコーヴィチの考え方を示しているように思います。出世というものもおそらくその一つの例なんだろうな,と。言葉がある分あれこれ考えてしまい,音楽から離れていくような気もしますが。
演奏では途中止まる寸前の事故。第7回(2000年)の4番1楽章での事故以上で,私がダスビに参加するようになってから最も危ない場面だったと思います。1stヴァイオリンは休みで譜めくりがある上,合いの手のように入るという悪条件が重なったとはいえ,経験豊富なコンサートマスターだったらこういう場面で剛腕を発揮して流れを元に戻すこともできるんだろうな,と自分の力不足を痛感しました。コール・ダスビダーニャの決然とした声に助けられたわけですが,この事故を引きずらないで最後まで演奏できたのはやはり練習が生きたのだろうと思います。集中力を欠いてしまったとか,かえって冷静になったとかいろいろな声を聞きましたが,やはり十分な練習というのは重要だということです。
最後のSoliは本当に最後の最後でこんなの弾かせるなよ,という場面。ヴィオラ首席と普段どおり合わせにいってしまうとグダグダになってしまうので最後まで苦労しましたが,ステリハ後に何人かに聴いてもらって練習したことも生かせて,最終的にはそれなりになったでしょうか。

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コール・ダスビダーニャは当初少人数で心配されましたが,最終的にエキストラが入ったとはいえ重厚なバス合唱の響きを作っていて素晴らしかったです。私も一度練習に参加しましたが,その時も皆さんが熱心に取り組んでいらっしゃいましたので,メンバーの努力と先生方の熱い指導があったからこそだと思います。
また,今回打楽器チームや女ひとりのバンダ隊にいくつか要望を出させていただいたのですが,コミュニケーションが取れて良かったですし,対応していただいたので感謝しています。
加えて,私の演奏についていろいろな方に助言をいただいたことにも感謝しています。
どうもありがとうございました。

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March 07, 2013

3.3ダスビ演奏会

今年も年に一度のショスタコ祭りに参加しました。
聴きにいらしてくださったみなさま,スタッフとしてお手伝いくださったみなさま,一緒に音楽を作ったみなさま,どうもありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第20回定期演奏会
2013/3/3(日)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:5つの[バレエ組曲]より抜粋 「ワルツ-ダンス(ピツィカート)-ダンス-エレジー-ギャロップ-荷馬車引きの踊り-スケルツォ」
   交響曲第4番op.43
   (どちらもショスタコーヴィチ作曲)

○バレエ組曲
前半は1stVnトップサイドで参戦。
ショスタコーヴィチのよく知られた交響曲からはなかなか感じられないであろう,楽しい,軽快,美しいなどの要素を多分に含んだ,ショスタコーヴィチの音楽を一覧したような抜粋でした。
大音響のダスビらしい箇所もあり,各種管楽器の見せ場もあり,なかなかいい演奏ができたのではないかと思います。最後のスケルツォはちょっとひねった感じで,ダスビっぽくもあり,そうでなくもあり,という面白さがあったのではないでしょうか。
この曲は小さ目の編成で比較的薄いオーケストレーションの部分が多く,それはすなわち音程やらリズムやらのごまかしがきかないということであって,いろいろなところにこのオケの問題点が見えてしまう曲でもありました。
たとえば2曲目のダンスに出てくるピツィカート。アマチュアオーケストラでピツィカートといえば定番の「走る」。5曲目のギャロップに出てくる「タータタ,タータタ,・・・」というリズムも,後ろの「タタ」が詰まってしまいやすいのです。こういった箇所は個々の奏者がしっかり注意を向けないといけないのですが,ちょっと気を抜いて走ったり詰まったりしてしまうと,全体がそちらに引っ張られてどんどんころんでいってしまうという悪循環なのですね。もちろん鉄のカウントで流れを留めるということもありだとは思うのですが,そうすると自分一人が遅れていくというかなり間抜けなことにもなってしまうわけで。いつもそのあたりの加減には悩むところですが,最前列に座っている限りは,練習の間は間抜けでもなんでも鉄のカウントでいかないといけないのかな,と最近は思っています。
また,4曲目のエレジーの主題などは長いフレーズをつないでいかなければなりません。フレーズ感を持った音の運びをしなければならないのは当然ですが,弦楽器の技術面ではいかにフレーズの断絶を防ぐかということが重要になります。弓の配分を考えたり,返しの際にアタックを付けないようにするなど,神経を使わないといけないのですね。うまくコントロールできている人と今一歩の人,アマチュアなので技術レベルに差があるのは仕方ありませんが,シンフォニーでもそういう場面はたくさんありますし,そのあたりをもっともっと進化させていくことが,オケのレベルアップに直結するのだと思います。

○交響曲第4番
後半はコンサートマスターで参戦。
昨シーズンは「ダスビでショスタコーヴィチ作品を担当していないコンサートマスター」というレアさを楽しみましたが,今シーズンはあっさりショスタコーヴィチ作品の担当です。まあ,ダスビでは当たり前ですが。
曲はとにかく「難しい」という言葉に集約されるように思います。巨大編成のオーケストラが猛烈に突進したり,不協和音を吠え立てたり,かと思えばソロがただ独り延々と語ってみたり。1楽章には微妙に拍をずらしたカノンや高速フガート,2楽章にはご丁寧に弦と管それぞれに複雑な絡みのフガート,3楽章には延々と続く機械的な運動の部分など,難所だらけです。マエストロOSPの叱咤に必死で食らいついた練習を経て,不安を払拭できないまま迎えた演奏会本番でしたが,「あと一度しか演奏できないのだから,4番を味わい尽くそう。」と自分に言い聞かせ,舞台袖でも何人かの人にその思いを伝えて臨みました。
曲が始まると,練習期間で作ってきた音楽をできる限り語りつくします。譜面の情報をできるだけ正確に音にしていくところから始まり,出てきた音たちの重なりから得られる感覚が,さらに新しいひらめきを与えてくれます。そこには自身の経験が反映されているわけです。たとえば練習でマエストロが「あ゛ーーーッッ!!!!(絶叫)っていう感じ」と指示した個所だと,普段の生活でそんなふうに叫びたくても叫べないということはいくらでもありますが,実際叫ぶとしたらまさにこんな感じに叫ぶぞ,などと思いながら音を出したりするわけです。そして,奏者それぞれの音が積み重なることによって,その時々で少しづつ異なる音たちから得られる少しづつ異なる感覚とひらめきが生じ,いつも生きた音楽を語ることになると思うのです。練習会場とホールでは響きが違うのですから,違う語りになるのは不思議なことではないでしょう。
1楽章の中ほどでは,まるで滝に向かって流されていく舟のように,周囲がただならぬ雰囲気に変わっていくのを感じるものの,なすすべもなく流されていき,ついに練習番号63からの高速フガートという滝に飲み込まれます。そこからは激流に翻弄されながら,舟から振り落とされないようにひたすら必死です。そんな中でも今回はかなり冷静に周りを聞けたように思うのは不思議です。途中危ない兆候もありましたが,なんとかこの部分を乗り切れてほっとしました。
1楽章の最後にはヴァイオリンの長いソロがあります。こういう個所は私のような者には少々荷が重いのですが,ここに書かれている音楽を十分に語ることを目指しました。本番では少し高めに入ってしまったのが若干悔やまれますが,不思議と冷静に持てるすべてを語れたように思います。
2楽章は正確なカウントの中で,周りのパートの動きを楽しみます。ある部分は「おー,そう来たか。じゃあこれでどうだ。」ってな感じです。パートを受け継がれながら切れることなく続く音楽が楽しいのですね。中間部の弦と管のフガートは,各パートのひもが編みこまれていくイメージです。そして最後の1stVn,コントラバス,打楽器のアンサンブルは,この曲の最重要ポイントの一つです。練習ではなかなか打楽器の人が揃わず,バランスなどが心配なところでしたが,本番はうまくいったのではないでしょうか。
3楽章は次々と新しい音楽が現れますが,途中の機械的運動の箇所はちょっと危うさがありました。練習では慎重になりすぎてだんだん遅れていく傾向があったので,意識的に前に行くように心がけたのですが,今度は突っ込みすぎになってしまったのかもしれません。こういうところは今後の課題ですね。
最後の大絶叫からチェレスタのラストまではしびれます。イメージとしては,魂を削ってなにかを為した後,擦り切れてしまった魂の残骸を抱えた抜け殻が落ちている。救済されることなく永遠に流れていく時間,ただ万物の法則のみが結末を語る。最後の最後にヒントを残して。といった感じです。
それにしても本当にすごい曲です。こんな曲を演奏できるチャンスを与えてくれたことに感謝です。そして,いろいろな方に助言をいただいたり,演奏面でもたくさん助けていただいたことに感謝いたします。

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打ち上げでマエストロからもお話がありましたが,ダスビの練習では基本的な部分をトレーニングする時間がほとんどないというのは事実だと思います。たとえば4番の2楽章などは,ただ譜面を自分の好きなように弾いたり吹いたりしているだけでは到底音楽になりません。自分のパートと周りのパートの関係を知って他パートの動きを聞くのはもちろんですが,それ以前に自分の中のカウントがしっかりとしている必要があります。もちろん音量のバランスなど,出たり引っ込んだりということも考えなければなりません。残念ながらダスビは以前からこういうところが苦手なのですが,勢いでねじ伏せてきた時期を抜け出して,さらにアンサンブル力を増していかなければならないと思います。各自がアンサンブルの基本的な部分をより強固にする必要があり,そのためにはショスタコーヴィチのようなどちらかというとひねくれた曲ではなく,正統派とされる曲に取り組む中で訓練するのが早道なのではないかと思います。
ソロについては,今回なんと21年ぶりに個人レッスンを受けました。自分のイメージするしゃべり方を実現するためには,どうしても必要だと思ったからです。時間はそれほど多くありませんでしたが,大きな効果があったので正解でした。やはり,第一線で活躍しているプロ奏者の方は持っている引き出しの数が違いますね。今回のソロに限らず,カルテットでも生かしていけるはずですので,大感謝です。

今回の打ち上げも2次会まで参加しました。ダスバーも大人になったもので,かなり落ち着いた打ち上げだった印象ですが,いろいろな人とお話ができてよかったと思います。
次回はどうなるかわかりませんが,ぜひともバビ・ヤールにどっぷり浸かりたいものです。

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September 05, 2012

マーキュリー・バッハ・アカデミー ヨハネ受難曲

すでに数日経ってしまいましたが,私にとって特別な作曲家の一人であるバッハ(もう一人はショスタコーヴィチ)の大作「ヨハネ受難曲」を演奏してきました。
聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,一緒に音楽を作り上げたみなさま,ありがとうございました。

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J.S.バッハ ヨハネ受難曲
2012年9月1日(土)
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

指揮:小田 透
テノール(エヴァンゲリスト):鏡 貴之
バス(イエス):浦野智行
ソプラノ:高橋節子
アルト:山下牧子
バス:宇野徹哉
管弦楽:マーキュリー・バッハ・アカデミー
ヴィオラ・ダ・ガンバ:なかやま はるみ
合唱:ソニー・フィルハーモニック合唱団
合唱指導:江端員好

マーキュリー・バッハ・アカデミー(MBA)に参加するのは約5年ぶり。
前回はバッハの管弦楽組曲第1番とブランデンブルク協奏曲第2番ほかの第5回演奏会に参加させてもらいました。
その後演奏会のたびにお誘いを受けていたのですが,主に資金不足で参加を断念していました。
今回は演奏会の約1年前にお誘いを受けたので,なにしろヨハネだし「まあなんとかなるだろ」と軽い気持ちで参加を決めたのです。

約1年にわたる練習は小田さんらしく,言葉を大切にし,フィグールもきちんと音にしようとする徹底ぶり。
特にコラールを徹底的に細部まで詰めていく練習はものすごく勉強になりました。
もちろん合唱と器楽が重なる部分や,器楽のみの部分も同様に時間をかけて作っていくので,音楽が自然に呼吸するようになっていくのですね。
こういう音楽づくりは他では絶対にできないので,本当に楽しく充実していました。
一度だけ設けられた高田あずみさんによる弦練も大変充実していて,毎回の練習が至福の時間だったと言っても過言ではありません。

さて本番。
素晴らしいソリスト陣と,ハイレベルの合唱団。オケも健闘したと思います。
バッハの思い描いた世界をかなり実現した,生きた音楽があったのではないかと思います。
なんというか,ちゃんと音楽に近づくことができたというのか,ただ演奏しただけのものではなかったということです。
個人的には小さなミスはあったものの,必死でさらった部分もほぼ弾けたし,十分に音楽をしゃべることができたと思います。

実は私にとって,ヨハネ受難曲はバッハの多くのカンタータや,マタイ受難曲,ロ短調ミサに比べて多少馴染みが薄かったのですが,今回演奏することで一歩踏み込んだ理解ができたと感じています。本当に良い経験でした。

終演後にコンマス氏と話しましたが「技術はあってもこのように弾けるところはなかなかない」という点はまったくそのとおりだと思います。
今後もできる限り参加したいと思っていますが,とりあえず次回は未定のようです。
この団体,演奏会のあとたいてい休眠するんですよね(^^;)

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March 12, 2012

3.11ダスビ演奏会

年に一度しか記事をアップしない状態になってしまっていますが・・・

大震災からちょうど一周年,世の中にさまざまな思いのある中,ショスタコ好きの集う祭に参加しました。
聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,一緒に音楽を作り上げたみなさま,ありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第19回定期演奏会
2012/3/11(日)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:A Song For Japan(S.フェルヘルスト作曲:プレコンサート)
   管弦楽のための「日本組曲」(伊福部昭作曲)
   -黙祷-
   交響曲第7番「レニングラード」op.60(ショスタコーヴィチ作曲)
   弦楽四重奏曲第1番op.49~第4楽章(ショスタコーヴィチ作曲/白川悟志編曲:アンコール)
   管弦楽のためのラプソディ(外山雄三作曲:アンコール)

○プレコンサート
舞台袖で聴きました。とてもいい響きが作られていて,トロンボーンってやっぱり神の楽器だよな,と思いました。
トロンボーン隊のみなさま,ありがとうございました。

○日本組曲
コンサートマスターで参戦。
盆踊り-七夕-演伶-佞武多の4曲からなる組曲。
伊福部先生の曲なので,練習当初からマエストロから「アクセントのある音とない音の違いを明確に」という指示がありました。それを意識してちょっとイレギュラーなボウイングをつけてみたりしましたが,効果はあったでしょうか。
また,日本の曲なので特に「踊り」な箇所は「すり足」というか足裏はすべて地面につける,という感覚を意識した音作りを心がけてみました。なんというか,鈍重な感じ?とでも言うのでしょうか。マエストロからは「粘り」という言葉もありましたが,西洋的なものとは明らかに違うのですよね。
全体を通して(Vnパートには)技術的に難所というところはありませんでしたが,音の統一による音楽の統一ということがうまくいったかどうか。オケ全体が同じ言葉をしゃべれたがどうか,といったあたりがポイントでしょうか。

これだけの大編成オケのコンマスはたぶん13年ぶりでした。なのでなんとなく馴染んでいなくてやりずらかった人もいるだろうな,とも思いますが,自分としてできるだけのことはできたかな,と。
あとすみません,3曲目のソロはちょっとビビりました。この部分,スコアではソロじゃないのですが,マエストロの案でソロになったのです。私なんぞにソロなんて荷が重いのですが,もちろんやるからにはちゃんとやろうと。一番いい音が出るようにフィンガリングを検討したり,本番では弓を替えてみたりしたのですが,実際どう聞こえたかは気になるところです。
(おまけ)evgeny氏も似たようなことを言っていましたが,私としてはこれで伊福部作品の演奏は6曲目になりました(土俗的三連画,SF交響ファンタジー第1番,交響譚詩,シンフォニア・タプカーラ,日本狂詩曲,日本組曲)。どれも同じとかいう説もありますが(笑),どれも素晴らしいんですよね。日本人なら絶対わかる良さがあるのです。これを機に伊福部作品を聴いてみようという人が増えたら嬉しいな,と思います。

○黙祷
団長編曲のチェレスタによるBGMが秀逸でした。一定のリズムの上の「故郷」の断片的なメロディーが,雰囲気を作るのに大きな役割を果たしていたと思います。

○交響曲7番「レニングラード」
1stVn(1プルト裏)で参戦。
後半はコンサートマスターを交代して,トップサイドで。
ダスビにとっては3回目,私は第1回には出ていませんので,第10回以来の2回目です。
途中アンサンブルの乱れもありましたが,全体としては過去の演奏より良かったという評をいただきました。良い意味で大人になったのかな,と思います。
毎回書いていますが,特に弦の弱音が良くなってきたのではないかと。もちろん大音量の部分は以前とほぼ同様だったように思いますが,弦はもっと鳴らさないとダメかもしれませんね。リハーサルを聴いたkaorina。に「力みすぎて鳴っていない」というようなことを言われました。かねこけんじ氏には演奏開始直後の音程も指摘されましたし。まだまだ精進が必要なようです。
以前も書きましたが,個人的には曲の終盤練習番号202からの立ち止まって死ぬか、血反吐を吐いて死ぬか、みたいなところが最高です。 特にホルンが3連符吹くところとか。この場面でどうしてもCにたどり着けないBに命を懸けるからこそ、最後のC-Durの感動が格別なのです。全曲を通して演奏してきて,ここにたどり着いた時はなんとも言えない気分です。しかも素直にC-Durに行かないでH→Cとなっているあたり,ショスタコーヴィチのメッセージなんでしょうね。この展開を知っているから,C-Durの前ですでに感動してしまうのですね。リハーサルでは危うく泣きそうになってしまったので,本番ではもう少し冷静に演奏してみました。
レニングラード,本当にすばらしい曲です。
それから,コンマスとの協力体制で1プルトとしての役割もなんとか果たせたようで,ほっとしました。

○アンコール
1曲目は団長白川氏編曲の弦楽四重奏曲第1番の第4楽章。
実はこの曲は以前1番を演奏したときにアンコールとして選出されたのですが,大変難しい上にアンコール曲が2曲(もう一曲はスケルツォop.1)あったことに加え,練習期間が短かったこともあって取りやめになったという経緯がありました。私は少ない練習の中でこの編曲をとても気に入っていましたので,今回ぜひ復活させて演奏したいと考え,アンコール選曲の際にかなり無理を言って再編曲してもらうことになりました。
実際難しかったので本番でもちょっと危なかった部分もありましたが,ショスタコーヴィチの雰囲気は出せたのではないかと思います。フルートと口笛が鳴るところの響きとか好きなんですよね。白川さん,どうもありがとうございました。

2曲目は外山雄三作曲のラプソディ。
こちらはMC中に入れ替わって再びコンマスで。今回は邦人担当ということでやらせていただきました。
私としては2度目の演奏なのですがけっこう忘れているもので,あれ?こんなだったかな,などという部分もありました。中間部のフルートソロ(尺八!)の部分,練習では弦楽器のコードの動きに対してフルート氏から吹きにくいとクレームをいただいたのですが,本番では修正できたでしょうか。十分でなかったらごめんなさい。
でも,演奏としては良かったのではないでしょうか。最後は立奏もあり,会場が大いに盛り上がりました。元気を送り込む力があったのではないかと。
ちょっと難があったとすれば,選曲時に「これをやると本プロが吹っ飛んじゃうんじゃないの?」という意見がありましたが,まさにそうなってしまったのではないかと思います。しかし,これも今回の演奏会ということで記録されるものなのでしょう。

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やはり,聴きに来てくれた方になにかを感じてもらえればそれが一番です。
そのためには「お客様のため」とかではなく,音楽そのものに真剣に向かい合うのが最も重要だといつも思っています。我々アマチュアが「お客様のため」とか言うのはおこがましいんじゃないか,なんて思っています。
ダスビは技術的にはそんなに上手くありませんが,曲への共感(つまりショスタコ愛)というものが大きいので,それがある限りは聴く人がなにかを感じることのできる演奏をできるのではないかと思います。

今回コンサートマスターをやらせていただいたので,以前よりずっといろいろなパートの人たちと交流することができました。本当はそんなことがなくても交流を深めて意志疎通を図っていかないといけないのですが,大所帯だとなかなか難しいのが現実です。貴重な機会をいただいて本当にありがとうございました。

それから,今回の打ち上げも2次会まで参加しました。
平和に電車に乗ったはずが,最寄り駅(=終着駅)で寝ていたようで,気がついたら折り返していました。失せ物がなかったのが幸いでした。
そして毎回書いているけれど,次回はどうなるでしょうか。

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February 26, 2011

2.20ダスビ演奏会

もう一週間くらい経ってしまいましたが・・・

毎年恒例のショスタコ好きの集う祭に参加しました。
聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,一緒に音楽を作り上げたみなさま,ありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第18回定期演奏会
2011/2/20(日)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:アニメ映画「司祭とその召使いバルダの物語」の音楽op.36抜粋
   室内交響曲op,110a(バルシャイ編曲)
   交響曲第12番op.112
   (以上ショスタコーヴィチ作曲)
   ポルカ「観光列車」(J.シュトラウス作曲/ショスタコーヴィチ編曲:アンコール)

1stVn(2プルト表)で参戦。

○バルダ
「ショスタコ=暗い,難しい」という固定イメージを持った人には是非聴いていただきたい曲。
ショスタコーヴィチは本来とってもユーモアにあふれた人なのです。人生の苦悩がいかに人間に影響を与えるかを考えるとき,あたかもダイエット記事などの「使用前」という趣でしょうか。
今回は全曲を復元したビベルガン版からの抜粋。
ストーリーを考えると「デコピン」を入れたのはとても良かったのではないでしょうか。なにしろデコピンのためにあれこれ出来事が起きるわけですから。
ヴァイオリンは弾く曲も少なく,演奏の難易度もそれほど高くないので,曲のイメージ実現に注力しました。
どんな音がこの場面のこの音に最適か,というのは常に考えなければいけませんが,ストーリーがあるとより近づきやすくなります。マエストロおさPからも「リッチな音で」とか「優雅に」とかのイメージを言葉にした指示もありましたし,「マルカート」というような奏法の指示もありました。それをどう理解して,どんな音を出すかというのは奏者の想像力が要求されるところです。
自分なりにはけっこういい線行ったのではないかと思いますが,実際はどうだったでしょうか。

○室内交響曲
こちらは「ショスタコ=暗い,難しい」というイメージを抱くのに最適な曲。しかも弦楽合奏・・・。弦楽器奏者にとっては今回最も神経をすり減らす曲でした。
ただ弾くだけでもかなり難しいのに,パート内で音程やリズムを極限まで合わせるのは至難の業です。原曲の弦楽四重奏なら一人一パートですから,多少のことは「あれ?」くらいで通り過ぎるところも,弦楽合奏だとそうはいきません。合わせることへの意識が加わる分神経を使いますし,集中力をそちらに振り分けねばなりません。そのあたりのところが,かねこけんじ氏の評にあった「難しい曲だねぇ」というところにつながるのでしょう。
でも,現状で持てるものはかなり出せたと思いますし,得るものも大きかったと思います。
終楽章は言葉に表せない感情が凝縮された,非常に素晴らしい部分です。どこにもぶつけることのできない血を吐くような苦しみから「DSCH」への部分。ここでは私自身の同じような,誰にも助けを求められない,光の見えない苦しみの経験と重ねてしまいます。だから一つ一つの音に最大限の魂を込めるのです。一つ目,さらに強い二つ目,そして心が壊れる三つ目と分かつことのできない「DSCH」の音の上での結合。なんとつらく苦しいのか。
ppによる冒頭回帰は,壊れてしまった心が虚ろに漂っているのか。しかしそれでも,自身の運命に抵抗するかのように深く深く「DSCH」を刻み込むのは,軽々しくつらいとか苦しいとか言えません。まさに音楽のみが語ることのできる世界です。

○交響曲12番
ダスビにとっては2回目の演奏です。
1楽章はマエストロおさP曰く「革命への強靱な意志をもって」。決して朗々とした演歌調であってはいけないと。低弦が重戦車軍団となって響くのは,最近では最も強力だったかもしれません。
pやppは以前の演奏よりずっと雰囲気を出せるようになったのではないでしょうか。ダスビの音はダイナミクスについても,音の温度についても,良くなってきているのではないかと。
終楽章は人類の「夜明け」なのかそうでないのか。今回も議論がありましたが,「夜明け」だったとしても手放しでOKな夜明けではないだろうな,ということを最近感じています。前回12番を演奏した時とは,明らかに私の中の感覚は変わっていました。終楽章のホルンの裏の二分音符はどうしても強く弾けないのです。アタックをつけないのはもちろん,音の張りも弱く,エネルギーを低く,といった感じです。ものすごく神経を使って丁寧に弾きましたが,そんなことを考えていた人は他にいたのかいなかったのか。
結局ここでも言葉ではなんとも言えないのです。音楽のみが語れるなにがしかの真実があるはずです。数年前にはこんな(ブログ記事)ことを考えていましたが,今はまたちょっと違うというところです。
今回プログラムに「交響曲11番,12番,13番の共通性から考える12番の意味」みたいなことを書こうと思って止めたのですが,団長が似たようなことを書いていました。かぶらなくてよかったかも。

○アンコール
J.シュトラウス2世のポルカ「観光列車」をショスタコーヴィチが編曲したもの。原曲は以前市原フィルで演奏したことがある(ヴィオラだけど^^;)ので,曲のイメージはあった。
この編曲は原曲より短縮されていたりするが,中間部の警笛が演出付きで入ったし,雰囲気は出せたのではないだろうか。こういう軽いアンコールもなかなかいいものです。

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今回はちゃんと打ち上げも2次会まで参加。
「なんちゃってダスビ賞」というのをいただいたり,「やってなかったじゃない!」って怒られたり,私も意外と存在を認めてもらっているのだなあ,と思ったりしました。
毎回書いているけれど,次回はどうなるかな・・・

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February 13, 2010

2.11ダスビ演奏会

毎年恒例のショスタコ好きの集う祭に参加した。
聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,そして一緒に音楽を作り上げた皆様,ありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第17回定期演奏会
2010/2/11(木・祝)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
チェロ独奏:丸山泰雄*
曲目:映画音楽「ベルリン陥落」より
   チェロ協奏曲第2番*
   交響曲第6番
   (すべてショスタコーヴィチ作曲)

1stVn(2プルト表)で参戦。

○ベルリン陥落
 ショスタコーヴィチの駄作の代表のようにいわれることもあるこの曲。でも映画を見れば音楽の完成度の高さがわかるというものです。駄作なのは映画であって音楽にあらず。とはいっても,映画もソ連という国の国策映画としてはものすごい完成度です。なにしろ見終わったら「スターリンて偉大だ」と思わずにはいられないのですから(笑)
 それにしても,ソ連崩壊後しばらく経った時代に,日本という国でこの曲をこれだけ真面目に演奏するというのは奇跡的なことでしょう。終曲でスターリンのシーンの音楽を弾くときは「これをこんなに真面目に弾くなんて」という思いがして,なんだか愉快な気持ちになってしまいました。
 練習当初からOさぴーに指摘されていた「ユニゾンの音程!!」は最終的にはかなり改善されたと思いますが,もう少しいけたはず,というのもまた正直なところ。私自身,若干甘いところがあったというのは反省点です。でも,弦楽器のppの作り方など,以前よりずっと進歩したのではないでしょうか。

○チェロ協奏曲2番
 暗く,意味深な,きわめてショスタコーヴィチらしい曲。自身の60歳の誕生日のために,人生を織り込んだ曲を作った,というのはかなり信憑性が高いと思います。
 そして演奏はソロ,オケともにかなりの高難度。特に2楽章は高速で絡み合うリズムがオケを翻弄します。拍をとることに神経が行ってしまい,音楽の流れがギクシャクしたのではないか,というのが気になりました。このあたりを終演後かねこけんじ氏に聞いてみたところ,「間違えて池袋に行っちゃって3楽章からしか聴いていないんだよ」と言われました。うーん,残念。実際どうだったのでしょう?録音を聴くまでのお楽しみですかね。
 ソリストの○ぴょんは超人的な演奏でした。台に乗っていても伝わってくる振動が,いかに楽器を鳴らしているかを示しています。10度の響き,重音のグリッサンド,激しいピツィカート,曲芸のような音の跳躍など,完璧にこなしていたのは本当にすごいと思いました。もちろん深く,静かに聴かせるところはグッとくる音色です。近距離で聴くと弓が弦に当たる打撃音がかなり聞こえましたが,おそらく客席では楽器の鳴る音の方が勝って聞こえると思うので,客席ではかなりのものだったのではないでしょうか。もともとめったに演奏されない曲を,こんな凄まじいソリストで聴けた人はラッキーでしょう。
 2楽章のFgはかなりたいへんだったと思いますが,本番少し前から上手いことはまるようになって,すごいと思いました。それ以外の木管楽器も,ティンパニも,好演でした。
 私自身はそのリズムにやられ,一箇所飛び出してしまいました。練習ではほぼ完璧だったところなのですが,本番はどうもそういうところでミスしてしまいます。そんなことではイカンですね。
 アンコールは「馬あぶ」から「ノクターン」。短いながらもチェロの味わい深いソロが主役の曲です。協奏曲とは違った,しみじみと感じ入る音色を披露してもらいました。

○交響曲6番
 この曲はOさぴー曰く「葬送の曲」。1楽章が葬送。2楽章があって,3楽章が最終的に天国で,そこには死んだ人がみんないて,みんなでラインダンスを踊る。スターリンもヒトラーもジャンヌ・ダルクもみんないるんだそうです。そして最後に「ちゃーらっ!ちゃららっちゃっちゃっ!!!」と終わると。今回はそんな解釈を共有した演奏でした。
 私は1楽章終盤の,チェレスタ,ヴァイオリンのトリルに乗せてホルンが吹くところが好きなのです。
 1楽章の後半部分,意識は深いところに沈み,思考をゆっくりと停止していく。ひたすら鳴り続ける低音とトリル。チェレスタのトリルでその意識に刺激が与えられ,再び意識はゆったりと活動を始める。意識は目覚め,冒頭の感情を再度思い出す。しかしその感情はすでに過去のもの。やがて意識は再び深く沈んでいく。過去の記事から引用)
 とても切ない1楽章。Oさぴーの言った「墓碑の前でのどうしようもない感情」という言葉は,まさにぴったり来るもので,そんな音楽を余すところなく音にしてあげたいと思ったのです。
 2楽章以降はは1楽章のことなんか忘れてしまったような雰囲気。でも無理に忘れようとしているのかどうなのか。終盤の空気がそんな気分を反映しているような。
 肝心の演奏はやはり「走らない!ころばない!」が重要です。とにかく以前からずっと走る・ころぶが直らないダスビですから,今回もかなり走り・ころびでした。走ったりころんだりするポイントは決まっているのですから,そういうところをちょっと意識すれば変わると思うのですが。でもほとんどすべての人が曲を熟知しているので,それでなんとかなる,というのがダスビのいいところでもあり,悪いところでもあります。これを直してしまったらつまらないオケになってしまうのかもしれません。でもやはり,直したほうがいいんじゃないかと思ってしまいます。
 3楽章は1stVnは曲芸みたいなことをやらされます。これを大変そうでなく,しかもクリアに弾くのはなかなか大変です。スプリング・ボーゲンのテクニックを駆使し,素早いポジションシフトを実現し,前打音をきっちり聴かせるためのボウイングを的確に使用します。このあたりは○ぴょんの弦セクション練習が大いに役立ちました。これはこの曲だけでなく,今後の演奏にも役立つに違いないので,本当に大収穫でした。
 最後のみんなでラインダンスの決め!みたいなところは上手く決まったでしょうか?

○アンコール
 「モスクワ・チェリョームシキ」から「モスクワを疾走」と「コルジンキナの出来事」から「追跡」(白川編)を。どちらもとにかく爆演向き。しかも「追跡」は2回演奏。
 ダスビらしい爆音を鳴らしまくり,きっと弦楽器の音はかき消されていたことでしょう。弦楽器全員が最大音量を出しても,あの管打楽器には勝てないのだろうな,と思います。
 「モスクワを疾走」は,以前4番の前に「モスクワ・チェリョームシキ」の組曲を演奏した時の第一曲です。とにかく音楽が疾走します。1stVn も珍しく後打ちをやらせてもらえます。後打ち大好きな私としてはとても幸せでした。
 「追跡」は以前5番のアンコールで本邦初公開したものを,さらにオーケストレーションを派手なものに改訂した版。ちゃんと2度の「ハイッ!!」もシャウトします。1stVnは最初の「ハイッ!!」は弾く音があるのですが,もちろん弾きながらシャウトです。最後の「ハイッ!!」は弾かなくていいので,ちょっと客席向きでシャウト。いやー,楽しい曲です。
 おまけの話ですが,今回のアンコール,2曲とも珍しく1stVnに後打ちがたくさんあります。後打ち大好きな私は「頭打ちと後打ちは違う」と思います。理論的には同じなのかもしれませんが,音楽的には確実に違うと思います。だから,内声を愛する人は後打ちが得意,そうでない人は後打ちが苦手,という現象が起こるのだと思います。今回も1stVnで後打ちを上手くできなかった人がいるのではないか?と思ったりもします。

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 今年は財政難で金を払えないので打ち上げは欠席。考えてみたらダスビで打ち上げに出なかったのは14回出たうちで2回目。前回出なかったのも6番をやったときでした。6番と相性悪いのか?
 いよいよ来年こそ参加が怪しくなってきたが,どうなることやら。他のオケは全部我慢しているのだから,ダスビだけは死守したいんだけどな・・・

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February 17, 2009

ダスビ演奏会(2/15)

毎年恒例のショスタコ好きの集う祭に参加した。
聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,そして一緒に音楽を作り上げた皆様,ありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第16回定期演奏会
2009年2月15日(日) 東京芸術劇場
指揮:長田雅人(常任指揮者)
テノール:小貫岩夫*
バス:岸本力*
合唱:コール・ダスビダーニャ*
児童合唱:すみだ少年少女合唱団*
曲目:オラトリオ「森の歌」 op.81*
   交響曲第10番 op.93
   (両曲ともショスタコーヴィチ作曲)

 1stVnで出演。

○森の歌
 オーケストラが合唱を消さないバランスを作るため,特に高音のヴァイオリンは小さい音を要求された。でも,小さい音で弾こうとすると,音楽もショボくなってしまいがちなのがアマチュアの弱み。そうならないためにはちゃんとテクニックがあるのだがなかなか難しい。そのあたりも考え,可能な限り努力しつつ演奏。
 客席での感想は「オケが聞こえなかった」というのが多かったので,ホールでは合唱が上に位置したため,練習時のバランスとは違ったということだろうか。練習場所と本番のホールとでは違いが多いので,午前中のリハーサルだけで修正するのは難しいということだろう。
 テノールの小貫氏は張りのある声で,惚れ惚れする歌唱だった。岸本氏は声の通りなど,以前より衰えがみられたのが残念だった。ご本人はそのあたりをカバーしようとしたのか,音楽の流れから離れていきがちになったので,オケとしては難しかった。
 合唱のコール・ダスビは,大健闘だった。特に第6曲のアカペラは,年明けには仕上がりが心配されたが,その後の集中的な練習で非常に素晴らしいものになったのがよかった。
 児童合唱はさすが常設団体,訓練されたピオネールの歌声は,曲の印象を数段良いものにしたに違いない。

○交響曲10番
 こちらはオケのみでバランスを作れるので全開もアリだったのだが,何か今ひとつ乗り切れなかったような気がする。過去の演奏会に比べて小さいミスも多かったような?
 個人的にもちょいとやらかしてしまったので,なんだかな・・・,という感じ。

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 演奏会後の打ち上げは流れに乗り切れない感じで,2次会終了後に帰宅。
 それなのに,翌日はまったく何もできなかった。ちゃんと休みを取っておいてよかった。

 来年は参加できるかわからないが,どうなることやら。

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February 14, 2008

ダスビ演奏会(2/11)

前日の打ち上げから帰宅後,3時間程度の睡眠で起床。
毎年恒例のショスタコ好きの集う祭に参加した。

オーケストラ・ダスビダーニャ第15回定期演奏会
2008年2月11日(月・祝) 東京芸術劇場
指揮:長田雅人(常任指揮者)
ハンドベル:アテンポ・ハンドベルリンガーズ(ノヴォロシスクの鐘)
曲目:ノヴォロシスクの鐘 ~永遠の栄光の炎~
   交響曲第9番 Op.70
   交響曲第11番「1905年」 Op.103
   (すべてショスタコーヴィチ作曲)

 1stVnで出演。今年は交響曲が2曲というきついプログラム。きついプログラムなのはいつものことだが(笑)。折り返し先頭のプルトだったので2プルトだった昨年より気を遣ったとか,前日が市原フィルの本番だったので連日のステージだったというのもあるかも。

○ノヴォロシスクの鐘
 冒頭のチェレスタをハンドベルで演奏。私は意思決定過程で,本プロをチェレスタで,ハンドベルは本ベル代わりに,という案を支持した一人だ。理由として「スコアどおりに演奏したい」という考えもあるにはあったが,それよりも試奏段階でのでこぼこ感が気になったのだ。複数奏者による演奏という楽器の特性から,メロディーや和声のバランスが犠牲になっていると感じたからだ。しかし,試奏後の公約どおりアテンポの皆さんは見事に仕上げてきた。リハーサルの段階で,ハンドベルを選んだことが成功だったということがわかり,本番でも大満足の演奏だった。アテンポの皆様,本当にありがとうございました。
 自分としてはやはりオケに移った冒頭のアウフタクトだろう。このEs→Bをいかに演奏するか。私はここのフィンガリングは1(1st position)→3(3rd position)と1(1st position)→4(2nd position)のどちらかだと考えたが,前者はポジション移動の失敗がフレーズの断絶を生じさせる可能性,後者はその後のCの音質がフレーズ内で異質になる可能性が問題だった。kaorina。にも音を聞いてもらって一時は前者で行くことにしたのだが,練習で指揮者から「ポルタメントは無しで」との指摘があったため,最終的に後者を選択した。前者だとフレーズを滑らかにつなげるのにどうしてもわずかにポルタメントが入ってしまうのだ。それより後者のほうが滑らかだし,音質については全員同じフィンガリングになるわけではないので,注意深く音を作れば問題にならないだろうという判断だった。実際,本番ではなかなかうまくいったと思うが,こういう部分の演奏は何度やっても難しい。
 この曲についてはもうひとつ,今回初めて「曲目解説」というものを書いた。今まで「日記帳」は何度か書いたものの,曲目解説は自分の担当という頭がなかった。しかし,執筆者がいないということと「この曲を推薦した人に」という編集者からの呼びかけにこたえる形で思い切って書くことにしたのだ。というわけで,自分が知りたい情報をみな知りたいに違いない,という前提で構成した。ノヴォロシスクはどこにあるのか地図を調べたり,どういう経緯で作曲されたのかをショスタコ関連の本で調べたり,作曲者自身の言葉(とされるもの)を発見して載せたり。結果,けっこう長くなってしまったが,わりと好評だったようなのでよかった。

○交響曲9番
 初っ端から1stVnが丸裸にされる厳しい曲。その後も曲芸めいた音の跳躍が頻発する。かねこけんじ氏はこの曲のヴァイオリンソロに対し「瞬間芸的な高度なテクニックが要求される」と言っていたが,ソロだけでなくtuttiも高度な技術が必要だ。そして,コンミス様のソロは非常に良かった。音のスピードとか伸びとかが曲の雰囲気にぴったりしていて,自分が弾いたわけではないのに心の中でガッツポーズ,という感じ。やっぱりダスビのコンミスはこの人しかいない。ただ,ダスビのVnパートにはこの曲はちょっと荷が重かったかも。残念ながら私も含め,弾きこなした上で音楽面にも十分意識を配れるだけの技術を持った人は多くないのだ。皆自分の持てる力は発揮したと思うが,この曲を演奏するにはさらに高い水準が必要だと思う。こればかりは一朝一夕にどうなるものでもないので,今後も地道な努力が必要だと感じた。対して管楽器は見事だった。特に3楽章の冒頭クラリネット,クリアでキレ良し,あのテンポであんなに吹かれたらヴァイオリンはやばい。
 そうは言っても曲の雰囲気はかなりいい感じで出せたと思う。2楽章の怪しい雰囲気もわりと良かったと思うし,終楽章の第二主題は指揮者の意図もかなり反映できたと思う。私自身は数日前に聴いたスヴェトラーノフのCDで得たイメージが最高に思えたのでそういった音作りをしたつもりだが,もうひとつ届かなかったか。ついでに,G.P.でひらめいた譜めくりが成功したのも良かった。終楽章でE線開放弦のピツィカートの間に左手で譜めくりするという,なんで今まで気がつかなかったのか?という程度のものだったが,効果は絶大だった。

○交響曲11番
 プログラムの「日記帳」にも書いたが,今回は「11年前の演奏との比較」というようなものがどうしてもついて回ってしまうところがあった。しかし終わってみれば「比較」というものが無意味であるということが証明されたような演奏だった。たしかに,技術的にレベルダウンしたとか,相変わらず管・打楽器の音がでかくて弦が弱いとか,いやいや冒頭の弦は前より冷たい感じになった,とか比較すれば比較はできるのだが,まったく違う一つの演奏として結実させることができたと思う。yevgeny氏の革命歌研究とその普及により,各自の意識が高まったこともあるし,ただショスタコが好きだとかカッコイイとかではなく,自己の体験のフィードバックによる音楽作りができたこともあるだろう。「年齢を重ねた味」はうまい具合に生かされたというわけだ。そして実際,この曲の真価を垣間見ることができる演奏になったのではないか。異様な緊張感とオーバーフロー気味の感情が,崩壊寸前の危うく絶妙なバランスの上で音楽として語られる。あるときは不安を,あるときは怒りを,あるときはパニックを,あるときは哀しみを,それはショスタコーヴィチのものであり,演奏者のものであり,聴衆のものであったと思う。弱音部分でのホールの緊張感はどうだったか!たとえばチェロのピツィカートが響いて消え,無音の時間。そして次の音が響き,また無音。ただの無音ではなく,空気の動きさえもないかのような無音。「背筋が凍るほどの」とはこういうことを言うのではないだろうか。
 曲のラスト,ホールに飽和する打楽器の轟音,鋭く響きわたる鐘,ともすれば自分のタイミングが合っているのかどうかさえもわからなくなりそうな中,自分なりの「警鐘」を全身全霊を傾けてこの世に送り出した。鐘の余韻が消えるまでの約30秒間,皆何を考えていたのだろう。放心状態だった人も多かったのではないだろうか。私は「ああ,鐘が響いている・・・」といった感じで,もう11番は終わりなんだ,とか,これがオケで最後の演奏になるかも,とか,そんなことはまったく考えなかった。
 演奏終了後,服に汗が落ちていることに気づいた。あぁ,それほどだったのか,と妙に納得。メガネだったら絶対にずり落ちていただろう。コンタクトで出演してよかった。
 終わってから最後の鐘の余韻について改めて考えた。スコアにはこの鐘は八分音符で書かれている。その前が四分音符だから音価はそれより短い。フェルマータも付いていない。だから考えようによっては「余韻などなくて良い,音価どおり響きはすぐに止めるべき」ということも可能になる。しかしショスタコーヴィチなら,鐘を打てば余韻は付き物であることは当然承知していたはず。するとこの八分音符は音質についての記載であると考えられる。つまり「硬くて強い音を最も短時間の打撃で得ること」がその意味だろう。文字で書けば「カーーーーーーン!!」ではなく「カン!!!!ーーーーーーーー・・・」となる。後ろの「ーーー・・・」がその余韻だ。だからこそ警鐘なのであり,消えゆく余韻は警鐘の影響力がやがて消えることを表し,警鐘は鳴らし続けなければならないということをこの音に込めたのではないだろうか。などとにわか評論家になってこのすばらしい曲に思いをめぐらせたのだった。

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 昨年も書いたことだが,ダスビのような情熱先行型の一般的なアマオケにとっては9番のような曲は厳しい。ダスビの技術レベルが特に低いというわけでもないのだが,とにかく絶対的な技術レベルを要求され,実現するためにはかなりの困難が伴う箇所がかなりある。情熱とかそういうものだけではどうにもできない,力量不足を明らかにされてしまうような曲だ。対して11番はもう少しなんとかなる曲ではないか。もちろん相応の技術を持って演奏することは必要だが,情熱とかそういうものが不足を補える部分がわりと多いように思う。それは感情を重ねやすい背景を持った曲だからというのもあるかもしれない。しかし,より深く音楽に近づこうとする努力があれば,もっともっといいものを作り上げられるかもしれない。
 毎年思うだけではいけないのだが,そういった課題を忘れず,今後も精進するのみだ。

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 さて,演奏会後の打ち上げは久しぶりに朝までコース。前日も市原フィルの打ち上げに1時半過ぎまでいたというのになにをやっているんだか。それでも今回は楽器も黒服も失くすことなく,無事に帰宅した。そして予定どおり一日休養をとり,淡々と社会復帰。実はうまく復帰しきれずに余韻を引きずっているのだが,みんな一緒だろう(笑)。しかし,案外抜け殻にもならずすっきりした気分だ。頭の中は演奏に関することで一杯なのに,無気力とかそういうことはない。これはどういうことだろう?
 そういえば2次会で「HUP」について話題になった。その場の人は「ハップ」と言っていたが,私はそのまま「エッチ,ユー,ピー」と言っている。これは以前ダスビに出ていた某T氏の発案で「Hip Up Position」の略なのだ。要するに演奏中にイスから尻を浮かせる,ということ。そのT氏は譜面に「HUP」と書き込んでいた,と彼と大学オケで同期だった男から情報を得ているが,私は特に書き込んではいない。でもたしかにHUPはよくやっている。尻を浮かせる程度ではなく,ほとんど立つこともあるし,同時に足を踏んだりとかもする。そして,なんでも私が最後の鐘と同時にHUPしたかどうか,が議論の的だったそうで。はい,HUPしましたよ。でも,すぐに座りましたよ。しかし話題になるほど目立つのかなぁ?もしかして控えたほうがいいのかもしれないが,まあ無理だな。

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 最後になりましたが,聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,そして一緒に音楽を作り上げた皆様,ありがとうございました。
 聴きに来てくれた上司からも好評をいただいた。ワルシャワの労働歌が懐かしかった,と言っていたなぁ。
 次回は参加することができるだろうか?

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February 13, 2008

市原フィル演奏会(2/10)

市原フィルハーモニー管弦楽団第19回定期演奏会
2008年2月10日(日) 市原市市民会館
指揮:飯田仁志
曲目:フンパーディンク/「ヘンゼルとグレーテル」序曲
   グリーグ/「ペール・ギュント」第一組曲
   チャイコフスキー/交響曲第4番
   チャイコフスキー/バレエ「白鳥の湖」~ワルツ(アンコール)

 ここでは久々の1stVnでエキストラ出演。一週間前の練習が雪のため中止,という厳しい条件だったが,なんとか乗り切った。アニトラの踊りもきっちり弾いたし,チャイコフスキー4番の細かいところもほぼ弾いたし,エキストラとしての仕事はこなせたのではないだろうか。しかし,最後の極めポイント,つい足を踏んでしまうところなのだが,前で弾いていたY嬢に「足音は聞こえたけど音が聞こえなかった」と言われてしまった(泣)。音がつぶれてしまったのかもしれない。猛反省。そしてアンコールでも一部弾けなかった。これも猛反省。

 打ち上げはしっかり2次会まで行き,1時半過ぎまで飲んでいた。翌日(というかすでに当日)はダスビの本番だというのに。

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