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March 13, 2014

2.11ダスビ演奏会

今年も年に一度のショスタコ祭りに参加しました。
聴きにいらしてくださったみなさま,スタッフとしてお手伝いいただいたみなさま,一緒に音楽を作ったみなさま,どうもありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第21回定期演奏会
2014/2/11(火・祝)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:映画音楽「女ひとり」から抜粋
   交響曲第13番op.113
   (どちらもショスタコーヴィチ作曲)

○女ひとり
1stVnトップサイドで参戦。
映画音楽なので,映画のイメージを反映して演奏。原作ではクズミナは凍死してしまうそうですが,この映画では政府によって救出されるという結末なのがいかにもソ連ぽいですな。
ヴァイオリンの最初の出番では,「素晴らしい未来が待っている!」と恋人とはしゃぐクズミナのイメージと弦練で示された「ウィーン風に」というイメージを重ねて。楽しい気分でニコニコ弾いていたら「面白すぎ」と正面からクレーム?をいただいたのですが,そういう音楽だからいいのです。
吹雪の前の場面に入るテルミンはファルセットのような人の声に近い音色が面白いですね。演奏する姿がまた独特ですが,1stVnの後ろという配置では全く動きが見えず残念でした。
終曲は飛行機が飛来して瀕死のクズミナを首都へと運んでいく場面の音楽なのですが,映画ではウクレレのようなマンドリンのような民族楽器をかき鳴らす髭の男が何度か現れます。この曲を弾いているとどうしてもこの映像が頭に浮かんでしまうのですが,この男は何者なのでしょう?フィルムが失われた場面で登場した,例えば吹雪のシーンでクズミナを助けた人物だったりするのでしょうか?

○交響曲第13番
コンサートマスターで参戦。
この曲は第5回(1998年)に演奏し,興奮して打ち上げで飲みすぎ,記憶・楽器・舞台衣装の3点を池袋の街で喪失するという痛恨の出来事を誘発した曲です。アメリカでエフトゥシェンコの講演会に行き,会話してサインをもらった同志ユースキー・スガーノフには及びませんが,私もかなりのバビヤリストなのです。
心臓を鷲掴みにされるような1楽章。特にアンネ・フランクの部分や,インテルナチオナールの部分などはたまりませんね。言葉と音楽が融合して否が応でも感情が昂ぶりますが,アタマは努めて冷静に。見た目にはそう見えないかもしれませんが,ちゃんとカウントして,ちゃんとテンポキープして,ちゃんと周りを見て聴いて,と当たり前の基本は忘れないようにしていましたよ。
2楽章はユーモア。我が家の第一訓は「会話にはユーモアを」としているくらい,ユーモアはとても重要です。どうしようもなく心が疲れ果て,まさに刑場に連行されるユーモアのごとく沈んでいても,「ここだよ!」と踊りだすようにユーモアを口にするのです。そうすることで数々の困難を乗り越えてきたのです。
中間部にあるSoloは容易く弾けたわけではありませんが,どうやら私には合っていたらしくなかなかの評をいただきました。まあ,第5回のコンマス氏ほどの技量はないのでこのくらいで許してもらわないと。
3楽章は鍋の当たる音を表す打楽器の「ポコポコ」と,なんといっても「女たちを勘定でごまかすのは罪なこと!!」とその後の「ペリメニをポケットに突っこんで・・・」というくだりでしょう。コール・ダスビダーニャのアーメン(が隠されている箇所)の美しいこと。
4楽章「恐怖」。恐怖というのは死んだと見せかけて,姿を変えてまた現れるのです。当時のソ連だけがそんな恐怖に満ちていたわけではないということを,現在の日本で感じるわけですが,やはり「信念なく他人の言葉を繰り返す恐怖」というのは重要だと思います。歴史上重大な結果をもたらした事象の芽というのは,多くの人の思考を停止させたところにすっと入り込んで,信念なく声を上げさせることから始まっていると思うからです。
そして,大雪の日のゲネプロと「我々は吹雪の中の建設も恐れなかった」というくだりが重なったのも記憶されるでしょう。
これまでの出来事はいったいなんだったのかという雰囲気で開始する5楽章ですが,このまとめ方は8番とも共通するもので,苦しみや汚れたものを知ることによって真実が見えてくる,というショスタコーヴィチの考え方を示しているように思います。出世というものもおそらくその一つの例なんだろうな,と。言葉がある分あれこれ考えてしまい,音楽から離れていくような気もしますが。
演奏では途中止まる寸前の事故。第7回(2000年)の4番1楽章での事故以上で,私がダスビに参加するようになってから最も危ない場面だったと思います。1stヴァイオリンは休みで譜めくりがある上,合いの手のように入るという悪条件が重なったとはいえ,経験豊富なコンサートマスターだったらこういう場面で剛腕を発揮して流れを元に戻すこともできるんだろうな,と自分の力不足を痛感しました。コール・ダスビダーニャの決然とした声に助けられたわけですが,この事故を引きずらないで最後まで演奏できたのはやはり練習が生きたのだろうと思います。集中力を欠いてしまったとか,かえって冷静になったとかいろいろな声を聞きましたが,やはり十分な練習というのは重要だということです。
最後のSoliは本当に最後の最後でこんなの弾かせるなよ,という場面。ヴィオラ首席と普段どおり合わせにいってしまうとグダグダになってしまうので最後まで苦労しましたが,ステリハ後に何人かに聴いてもらって練習したことも生かせて,最終的にはそれなりになったでしょうか。

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コール・ダスビダーニャは当初少人数で心配されましたが,最終的にエキストラが入ったとはいえ重厚なバス合唱の響きを作っていて素晴らしかったです。私も一度練習に参加しましたが,その時も皆さんが熱心に取り組んでいらっしゃいましたので,メンバーの努力と先生方の熱い指導があったからこそだと思います。
また,今回打楽器チームや女ひとりのバンダ隊にいくつか要望を出させていただいたのですが,コミュニケーションが取れて良かったですし,対応していただいたので感謝しています。
加えて,私の演奏についていろいろな方に助言をいただいたことにも感謝しています。
どうもありがとうございました。

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