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March 07, 2013

3.3ダスビ演奏会

今年も年に一度のショスタコ祭りに参加しました。
聴きにいらしてくださったみなさま,スタッフとしてお手伝いくださったみなさま,一緒に音楽を作ったみなさま,どうもありがとうございました。

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オーケストラ・ダスビダーニャ第20回定期演奏会
2013/3/3(日)すみだトリフォニーホール
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:5つの[バレエ組曲]より抜粋 「ワルツ-ダンス(ピツィカート)-ダンス-エレジー-ギャロップ-荷馬車引きの踊り-スケルツォ」
   交響曲第4番op.43
   (どちらもショスタコーヴィチ作曲)

○バレエ組曲
前半は1stVnトップサイドで参戦。
ショスタコーヴィチのよく知られた交響曲からはなかなか感じられないであろう,楽しい,軽快,美しいなどの要素を多分に含んだ,ショスタコーヴィチの音楽を一覧したような抜粋でした。
大音響のダスビらしい箇所もあり,各種管楽器の見せ場もあり,なかなかいい演奏ができたのではないかと思います。最後のスケルツォはちょっとひねった感じで,ダスビっぽくもあり,そうでなくもあり,という面白さがあったのではないでしょうか。
この曲は小さ目の編成で比較的薄いオーケストレーションの部分が多く,それはすなわち音程やらリズムやらのごまかしがきかないということであって,いろいろなところにこのオケの問題点が見えてしまう曲でもありました。
たとえば2曲目のダンスに出てくるピツィカート。アマチュアオーケストラでピツィカートといえば定番の「走る」。5曲目のギャロップに出てくる「タータタ,タータタ,・・・」というリズムも,後ろの「タタ」が詰まってしまいやすいのです。こういった箇所は個々の奏者がしっかり注意を向けないといけないのですが,ちょっと気を抜いて走ったり詰まったりしてしまうと,全体がそちらに引っ張られてどんどんころんでいってしまうという悪循環なのですね。もちろん鉄のカウントで流れを留めるということもありだとは思うのですが,そうすると自分一人が遅れていくというかなり間抜けなことにもなってしまうわけで。いつもそのあたりの加減には悩むところですが,最前列に座っている限りは,練習の間は間抜けでもなんでも鉄のカウントでいかないといけないのかな,と最近は思っています。
また,4曲目のエレジーの主題などは長いフレーズをつないでいかなければなりません。フレーズ感を持った音の運びをしなければならないのは当然ですが,弦楽器の技術面ではいかにフレーズの断絶を防ぐかということが重要になります。弓の配分を考えたり,返しの際にアタックを付けないようにするなど,神経を使わないといけないのですね。うまくコントロールできている人と今一歩の人,アマチュアなので技術レベルに差があるのは仕方ありませんが,シンフォニーでもそういう場面はたくさんありますし,そのあたりをもっともっと進化させていくことが,オケのレベルアップに直結するのだと思います。

○交響曲第4番
後半はコンサートマスターで参戦。
昨シーズンは「ダスビでショスタコーヴィチ作品を担当していないコンサートマスター」というレアさを楽しみましたが,今シーズンはあっさりショスタコーヴィチ作品の担当です。まあ,ダスビでは当たり前ですが。
曲はとにかく「難しい」という言葉に集約されるように思います。巨大編成のオーケストラが猛烈に突進したり,不協和音を吠え立てたり,かと思えばソロがただ独り延々と語ってみたり。1楽章には微妙に拍をずらしたカノンや高速フガート,2楽章にはご丁寧に弦と管それぞれに複雑な絡みのフガート,3楽章には延々と続く機械的な運動の部分など,難所だらけです。マエストロOSPの叱咤に必死で食らいついた練習を経て,不安を払拭できないまま迎えた演奏会本番でしたが,「あと一度しか演奏できないのだから,4番を味わい尽くそう。」と自分に言い聞かせ,舞台袖でも何人かの人にその思いを伝えて臨みました。
曲が始まると,練習期間で作ってきた音楽をできる限り語りつくします。譜面の情報をできるだけ正確に音にしていくところから始まり,出てきた音たちの重なりから得られる感覚が,さらに新しいひらめきを与えてくれます。そこには自身の経験が反映されているわけです。たとえば練習でマエストロが「あ゛ーーーッッ!!!!(絶叫)っていう感じ」と指示した個所だと,普段の生活でそんなふうに叫びたくても叫べないということはいくらでもありますが,実際叫ぶとしたらまさにこんな感じに叫ぶぞ,などと思いながら音を出したりするわけです。そして,奏者それぞれの音が積み重なることによって,その時々で少しづつ異なる音たちから得られる少しづつ異なる感覚とひらめきが生じ,いつも生きた音楽を語ることになると思うのです。練習会場とホールでは響きが違うのですから,違う語りになるのは不思議なことではないでしょう。
1楽章の中ほどでは,まるで滝に向かって流されていく舟のように,周囲がただならぬ雰囲気に変わっていくのを感じるものの,なすすべもなく流されていき,ついに練習番号63からの高速フガートという滝に飲み込まれます。そこからは激流に翻弄されながら,舟から振り落とされないようにひたすら必死です。そんな中でも今回はかなり冷静に周りを聞けたように思うのは不思議です。途中危ない兆候もありましたが,なんとかこの部分を乗り切れてほっとしました。
1楽章の最後にはヴァイオリンの長いソロがあります。こういう個所は私のような者には少々荷が重いのですが,ここに書かれている音楽を十分に語ることを目指しました。本番では少し高めに入ってしまったのが若干悔やまれますが,不思議と冷静に持てるすべてを語れたように思います。
2楽章は正確なカウントの中で,周りのパートの動きを楽しみます。ある部分は「おー,そう来たか。じゃあこれでどうだ。」ってな感じです。パートを受け継がれながら切れることなく続く音楽が楽しいのですね。中間部の弦と管のフガートは,各パートのひもが編みこまれていくイメージです。そして最後の1stVn,コントラバス,打楽器のアンサンブルは,この曲の最重要ポイントの一つです。練習ではなかなか打楽器の人が揃わず,バランスなどが心配なところでしたが,本番はうまくいったのではないでしょうか。
3楽章は次々と新しい音楽が現れますが,途中の機械的運動の箇所はちょっと危うさがありました。練習では慎重になりすぎてだんだん遅れていく傾向があったので,意識的に前に行くように心がけたのですが,今度は突っ込みすぎになってしまったのかもしれません。こういうところは今後の課題ですね。
最後の大絶叫からチェレスタのラストまではしびれます。イメージとしては,魂を削ってなにかを為した後,擦り切れてしまった魂の残骸を抱えた抜け殻が落ちている。救済されることなく永遠に流れていく時間,ただ万物の法則のみが結末を語る。最後の最後にヒントを残して。といった感じです。
それにしても本当にすごい曲です。こんな曲を演奏できるチャンスを与えてくれたことに感謝です。そして,いろいろな方に助言をいただいたり,演奏面でもたくさん助けていただいたことに感謝いたします。

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打ち上げでマエストロからもお話がありましたが,ダスビの練習では基本的な部分をトレーニングする時間がほとんどないというのは事実だと思います。たとえば4番の2楽章などは,ただ譜面を自分の好きなように弾いたり吹いたりしているだけでは到底音楽になりません。自分のパートと周りのパートの関係を知って他パートの動きを聞くのはもちろんですが,それ以前に自分の中のカウントがしっかりとしている必要があります。もちろん音量のバランスなど,出たり引っ込んだりということも考えなければなりません。残念ながらダスビは以前からこういうところが苦手なのですが,勢いでねじ伏せてきた時期を抜け出して,さらにアンサンブル力を増していかなければならないと思います。各自がアンサンブルの基本的な部分をより強固にする必要があり,そのためにはショスタコーヴィチのようなどちらかというとひねくれた曲ではなく,正統派とされる曲に取り組む中で訓練するのが早道なのではないかと思います。
ソロについては,今回なんと21年ぶりに個人レッスンを受けました。自分のイメージするしゃべり方を実現するためには,どうしても必要だと思ったからです。時間はそれほど多くありませんでしたが,大きな効果があったので正解でした。やはり,第一線で活躍しているプロ奏者の方は持っている引き出しの数が違いますね。今回のソロに限らず,カルテットでも生かしていけるはずですので,大感謝です。

今回の打ち上げも2次会まで参加しました。ダスバーも大人になったもので,かなり落ち着いた打ち上げだった印象ですが,いろいろな人とお話ができてよかったと思います。
次回はどうなるかわかりませんが,ぜひともバビ・ヤールにどっぷり浸かりたいものです。

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