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February 14, 2008

ダスビ演奏会(2/11)

前日の打ち上げから帰宅後,3時間程度の睡眠で起床。
毎年恒例のショスタコ好きの集う祭に参加した。

オーケストラ・ダスビダーニャ第15回定期演奏会
2008年2月11日(月・祝) 東京芸術劇場
指揮:長田雅人(常任指揮者)
ハンドベル:アテンポ・ハンドベルリンガーズ(ノヴォロシスクの鐘)
曲目:ノヴォロシスクの鐘 ~永遠の栄光の炎~
   交響曲第9番 Op.70
   交響曲第11番「1905年」 Op.103
   (すべてショスタコーヴィチ作曲)

 1stVnで出演。今年は交響曲が2曲というきついプログラム。きついプログラムなのはいつものことだが(笑)。折り返し先頭のプルトだったので2プルトだった昨年より気を遣ったとか,前日が市原フィルの本番だったので連日のステージだったというのもあるかも。

○ノヴォロシスクの鐘
 冒頭のチェレスタをハンドベルで演奏。私は意思決定過程で,本プロをチェレスタで,ハンドベルは本ベル代わりに,という案を支持した一人だ。理由として「スコアどおりに演奏したい」という考えもあるにはあったが,それよりも試奏段階でのでこぼこ感が気になったのだ。複数奏者による演奏という楽器の特性から,メロディーや和声のバランスが犠牲になっていると感じたからだ。しかし,試奏後の公約どおりアテンポの皆さんは見事に仕上げてきた。リハーサルの段階で,ハンドベルを選んだことが成功だったということがわかり,本番でも大満足の演奏だった。アテンポの皆様,本当にありがとうございました。
 自分としてはやはりオケに移った冒頭のアウフタクトだろう。このEs→Bをいかに演奏するか。私はここのフィンガリングは1(1st position)→3(3rd position)と1(1st position)→4(2nd position)のどちらかだと考えたが,前者はポジション移動の失敗がフレーズの断絶を生じさせる可能性,後者はその後のCの音質がフレーズ内で異質になる可能性が問題だった。kaorina。にも音を聞いてもらって一時は前者で行くことにしたのだが,練習で指揮者から「ポルタメントは無しで」との指摘があったため,最終的に後者を選択した。前者だとフレーズを滑らかにつなげるのにどうしてもわずかにポルタメントが入ってしまうのだ。それより後者のほうが滑らかだし,音質については全員同じフィンガリングになるわけではないので,注意深く音を作れば問題にならないだろうという判断だった。実際,本番ではなかなかうまくいったと思うが,こういう部分の演奏は何度やっても難しい。
 この曲についてはもうひとつ,今回初めて「曲目解説」というものを書いた。今まで「日記帳」は何度か書いたものの,曲目解説は自分の担当という頭がなかった。しかし,執筆者がいないということと「この曲を推薦した人に」という編集者からの呼びかけにこたえる形で思い切って書くことにしたのだ。というわけで,自分が知りたい情報をみな知りたいに違いない,という前提で構成した。ノヴォロシスクはどこにあるのか地図を調べたり,どういう経緯で作曲されたのかをショスタコ関連の本で調べたり,作曲者自身の言葉(とされるもの)を発見して載せたり。結果,けっこう長くなってしまったが,わりと好評だったようなのでよかった。

○交響曲9番
 初っ端から1stVnが丸裸にされる厳しい曲。その後も曲芸めいた音の跳躍が頻発する。かねこけんじ氏はこの曲のヴァイオリンソロに対し「瞬間芸的な高度なテクニックが要求される」と言っていたが,ソロだけでなくtuttiも高度な技術が必要だ。そして,コンミス様のソロは非常に良かった。音のスピードとか伸びとかが曲の雰囲気にぴったりしていて,自分が弾いたわけではないのに心の中でガッツポーズ,という感じ。やっぱりダスビのコンミスはこの人しかいない。ただ,ダスビのVnパートにはこの曲はちょっと荷が重かったかも。残念ながら私も含め,弾きこなした上で音楽面にも十分意識を配れるだけの技術を持った人は多くないのだ。皆自分の持てる力は発揮したと思うが,この曲を演奏するにはさらに高い水準が必要だと思う。こればかりは一朝一夕にどうなるものでもないので,今後も地道な努力が必要だと感じた。対して管楽器は見事だった。特に3楽章の冒頭クラリネット,クリアでキレ良し,あのテンポであんなに吹かれたらヴァイオリンはやばい。
 そうは言っても曲の雰囲気はかなりいい感じで出せたと思う。2楽章の怪しい雰囲気もわりと良かったと思うし,終楽章の第二主題は指揮者の意図もかなり反映できたと思う。私自身は数日前に聴いたスヴェトラーノフのCDで得たイメージが最高に思えたのでそういった音作りをしたつもりだが,もうひとつ届かなかったか。ついでに,G.P.でひらめいた譜めくりが成功したのも良かった。終楽章でE線開放弦のピツィカートの間に左手で譜めくりするという,なんで今まで気がつかなかったのか?という程度のものだったが,効果は絶大だった。

○交響曲11番
 プログラムの「日記帳」にも書いたが,今回は「11年前の演奏との比較」というようなものがどうしてもついて回ってしまうところがあった。しかし終わってみれば「比較」というものが無意味であるということが証明されたような演奏だった。たしかに,技術的にレベルダウンしたとか,相変わらず管・打楽器の音がでかくて弦が弱いとか,いやいや冒頭の弦は前より冷たい感じになった,とか比較すれば比較はできるのだが,まったく違う一つの演奏として結実させることができたと思う。yevgeny氏の革命歌研究とその普及により,各自の意識が高まったこともあるし,ただショスタコが好きだとかカッコイイとかではなく,自己の体験のフィードバックによる音楽作りができたこともあるだろう。「年齢を重ねた味」はうまい具合に生かされたというわけだ。そして実際,この曲の真価を垣間見ることができる演奏になったのではないか。異様な緊張感とオーバーフロー気味の感情が,崩壊寸前の危うく絶妙なバランスの上で音楽として語られる。あるときは不安を,あるときは怒りを,あるときはパニックを,あるときは哀しみを,それはショスタコーヴィチのものであり,演奏者のものであり,聴衆のものであったと思う。弱音部分でのホールの緊張感はどうだったか!たとえばチェロのピツィカートが響いて消え,無音の時間。そして次の音が響き,また無音。ただの無音ではなく,空気の動きさえもないかのような無音。「背筋が凍るほどの」とはこういうことを言うのではないだろうか。
 曲のラスト,ホールに飽和する打楽器の轟音,鋭く響きわたる鐘,ともすれば自分のタイミングが合っているのかどうかさえもわからなくなりそうな中,自分なりの「警鐘」を全身全霊を傾けてこの世に送り出した。鐘の余韻が消えるまでの約30秒間,皆何を考えていたのだろう。放心状態だった人も多かったのではないだろうか。私は「ああ,鐘が響いている・・・」といった感じで,もう11番は終わりなんだ,とか,これがオケで最後の演奏になるかも,とか,そんなことはまったく考えなかった。
 演奏終了後,服に汗が落ちていることに気づいた。あぁ,それほどだったのか,と妙に納得。メガネだったら絶対にずり落ちていただろう。コンタクトで出演してよかった。
 終わってから最後の鐘の余韻について改めて考えた。スコアにはこの鐘は八分音符で書かれている。その前が四分音符だから音価はそれより短い。フェルマータも付いていない。だから考えようによっては「余韻などなくて良い,音価どおり響きはすぐに止めるべき」ということも可能になる。しかしショスタコーヴィチなら,鐘を打てば余韻は付き物であることは当然承知していたはず。するとこの八分音符は音質についての記載であると考えられる。つまり「硬くて強い音を最も短時間の打撃で得ること」がその意味だろう。文字で書けば「カーーーーーーン!!」ではなく「カン!!!!ーーーーーーーー・・・」となる。後ろの「ーーー・・・」がその余韻だ。だからこそ警鐘なのであり,消えゆく余韻は警鐘の影響力がやがて消えることを表し,警鐘は鳴らし続けなければならないということをこの音に込めたのではないだろうか。などとにわか評論家になってこのすばらしい曲に思いをめぐらせたのだった。

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 昨年も書いたことだが,ダスビのような情熱先行型の一般的なアマオケにとっては9番のような曲は厳しい。ダスビの技術レベルが特に低いというわけでもないのだが,とにかく絶対的な技術レベルを要求され,実現するためにはかなりの困難が伴う箇所がかなりある。情熱とかそういうものだけではどうにもできない,力量不足を明らかにされてしまうような曲だ。対して11番はもう少しなんとかなる曲ではないか。もちろん相応の技術を持って演奏することは必要だが,情熱とかそういうものが不足を補える部分がわりと多いように思う。それは感情を重ねやすい背景を持った曲だからというのもあるかもしれない。しかし,より深く音楽に近づこうとする努力があれば,もっともっといいものを作り上げられるかもしれない。
 毎年思うだけではいけないのだが,そういった課題を忘れず,今後も精進するのみだ。

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 さて,演奏会後の打ち上げは久しぶりに朝までコース。前日も市原フィルの打ち上げに1時半過ぎまでいたというのになにをやっているんだか。それでも今回は楽器も黒服も失くすことなく,無事に帰宅した。そして予定どおり一日休養をとり,淡々と社会復帰。実はうまく復帰しきれずに余韻を引きずっているのだが,みんな一緒だろう(笑)。しかし,案外抜け殻にもならずすっきりした気分だ。頭の中は演奏に関することで一杯なのに,無気力とかそういうことはない。これはどういうことだろう?
 そういえば2次会で「HUP」について話題になった。その場の人は「ハップ」と言っていたが,私はそのまま「エッチ,ユー,ピー」と言っている。これは以前ダスビに出ていた某T氏の発案で「Hip Up Position」の略なのだ。要するに演奏中にイスから尻を浮かせる,ということ。そのT氏は譜面に「HUP」と書き込んでいた,と彼と大学オケで同期だった男から情報を得ているが,私は特に書き込んではいない。でもたしかにHUPはよくやっている。尻を浮かせる程度ではなく,ほとんど立つこともあるし,同時に足を踏んだりとかもする。そして,なんでも私が最後の鐘と同時にHUPしたかどうか,が議論の的だったそうで。はい,HUPしましたよ。でも,すぐに座りましたよ。しかし話題になるほど目立つのかなぁ?もしかして控えたほうがいいのかもしれないが,まあ無理だな。

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 最後になりましたが,聴きに来ていただいたみなさま,スタッフでお手伝いいただいたみなさま,そして一緒に音楽を作り上げた皆様,ありがとうございました。
 聴きに来てくれた上司からも好評をいただいた。ワルシャワの労働歌が懐かしかった,と言っていたなぁ。
 次回は参加することができるだろうか?

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February 13, 2008

市原フィル演奏会(2/10)

市原フィルハーモニー管弦楽団第19回定期演奏会
2008年2月10日(日) 市原市市民会館
指揮:飯田仁志
曲目:フンパーディンク/「ヘンゼルとグレーテル」序曲
   グリーグ/「ペール・ギュント」第一組曲
   チャイコフスキー/交響曲第4番
   チャイコフスキー/バレエ「白鳥の湖」~ワルツ(アンコール)

 ここでは久々の1stVnでエキストラ出演。一週間前の練習が雪のため中止,という厳しい条件だったが,なんとか乗り切った。アニトラの踊りもきっちり弾いたし,チャイコフスキー4番の細かいところもほぼ弾いたし,エキストラとしての仕事はこなせたのではないだろうか。しかし,最後の極めポイント,つい足を踏んでしまうところなのだが,前で弾いていたY嬢に「足音は聞こえたけど音が聞こえなかった」と言われてしまった(泣)。音がつぶれてしまったのかもしれない。猛反省。そしてアンコールでも一部弾けなかった。これも猛反省。

 打ち上げはしっかり2次会まで行き,1時半過ぎまで飲んでいた。翌日(というかすでに当日)はダスビの本番だというのに。

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