今日の通勤CD
ブルックナー・交響曲7番/ケーゲル/ライプツィヒ放響(ODE CLASSICS ODCL1019)
ショスタコーヴィチ・24の前奏曲とフーガより7,8,11,13,14,15,17番,ピアノ協奏曲1番/グリンベルク(pf)/ロジェストヴェンスキー/モスクワ放響(TRITON DMCC-24051)
バッハ・フーガの技法/古典四重奏団(ewe ewcc-1080)
弦楽四重奏によるフーガの技法(カノンなし)+「おお人よ,汝の大いなる罪に泣け」BWV622。未完の「3つの主題によるフーガ」は突然中断する演奏。ずっと欲しいと思っていたのだが,大晦日の演奏会(ベートーヴェン後期弦楽四重奏曲演奏会)後に購入。ついでにサインももらう(下写真)。
期待どおり,古典四重奏団の緊密なアンサンブルがすばらしい。この団体はモダン楽器を使っているが古楽器寄りの奏法なので,過度な音色の装飾などもなく,曲そのものの魅力を引き出す演奏だと思う。そんな演奏だからこそ,旋律を和声的に取り扱うこの曲のような場合,すばらしい,時に奇跡的な響きを作ることができる。旋律を追いかけてやたらに歌うだけでは決して到達できない境地なのだ。これは大晦日の実演に接して改めて感じたことだ。
最後にBWV622が収録されているのだが,解説にこの録音に至った経緯が書いてある。それを知って聴くとこの曲がなんとも重く,深く,心に響くように思う。古典四重奏団がフーガの技法を演奏する際はこの録音と同様に演奏するようだが,実演に接したらどういう思いになるのだろう。
ベートーヴェン弦楽四重奏曲後期全6曲演奏会
ルートヴィヒ弦楽四重奏団(op.127,130,133),古典四重奏団(op,131,132,135)
2006/12/31(日) 15:00開演 東京文化会館小ホール
大晦日の東京文化会館に至高の曲集を聴きに行く。隣の大ホールでは交響曲全曲演奏会をやっていたが,室内楽好きとしては(本当はそうでなくても^^;)こちらを選ばない手はないだろう。
●op.127(12番)
●op.130(13番)
●op.133(大フーガ)
ルートヴィヒ弦楽四重奏団
op.127,133:ステージに向かって左からVn1長原幸太,Vn2小森谷巧,Vc山本祐ノ介,Va店村眞積(敬称略)
op.130:ステージに向かって左からVn1小森谷巧,Vn2長原幸太,Vc山本祐ノ介,Va店村眞積(敬称略)
前半は国内著名オケの主席を揃えた,この演奏会のための(おそらく)急ごしらえの団体。それぞれが優れたプレイヤーなのだが,弾いて合わせるのに目一杯な感じで,明らかに準備不足に思えた。テクニックや勢いは申し分ないのだが,後半と比較してしまうと散漫さが目立ち,弦楽四重奏としての魅力は半減していたように思う。特に大フーガでは途中何度もメチャクチャになったりして,私としては終演後の拍手がためらわれた。おそらくほとんど合わせる時間はなかったのだろうが,このプログラムはハードなので,それなりにまとめてきただけでもさすがだといえるだろう。
音としてはop.130の小森谷氏が1stの配置が良かった。長原氏の少し荒めで強い音が内声に入った方が,小森谷氏の音色とのバランスが良く,全体としての響きが良くなっていたと思う。チェロとヴィオラはもう少し鳴っても良かったように思うが,私の席のせいかもしれない。
●op.131(14番)
●op.132(15番)
●op.135(16番)
古典四重奏団
ステージに向かって左からVn1川原千真,Vc田崎瑞博,Va三輪真樹,Vn2花崎淳生(敬称略)
後半は日本の代表的な弦楽四重奏団である古典四重奏団の演奏。私は実演を聴くのは三度目だが,今回はこちらが目当てだった。Vnの対向配置,全曲暗譜演奏,など,他とは一線を画す団体。開演前から前半よりステージを下げたりと,音づくりへのこだわりが見える。
op.131が開始して4本すべての音が鳴ったとき,その音色と音楽の統一感,集中力により,会場が一気に引き込まれ,空気が変わった。上手く言えないが音が一つなのだ。各奏者の上方の一点に音の源があり,そこから音が鳴っているような状態。これこそ弦楽四重奏!音楽の流れも不自然に滞ったりすることなく,演奏上の問題で安全運転に流れることなど決してない,常に驚異的な集中力で曲の真の姿を現すような演奏はさすがだ。
op.132の3楽章,ほぼノンヴィブラートでのコラールは,その音程の確かさと完璧なバランスにより,ただ4本の楽器が鳴っているとは思えないほどの豊かな響きを作り出していた。奏される音と発生する倍音のどちらともが最も効果的にミックスされ,ホール内を満たすというのはまさに奇跡的だった。
op.135の最後のピツィカート,死を目前にしたベートーヴェンがどうしてこんな音楽を書いたのか,まさに奇跡的(こればっかり^^;)な響きなのだが,この場面をすばらしく実現した演奏だった。終演後のブラヴォーと大拍手,立ち上がる人もあり,いかに素晴らしい演奏であったか自ずからわかる光景だった。
どの曲も驚異的な完成度であり,こんな体験はめったにできるものではないと思うが,けっこう空席が目立っていたのは日本ではまだまだ室内楽はあまり人気がないということだろう。なんとももったいない。
余談だが,今回私の隣に座った私と同年代の人物はどうにも妙な男だった。後半はほとんど拍手もせず,さんざん「この曲も前半の団体で聴きたかった」とか,古典四重奏団について「こんな団体が日本を代表する弦楽四重奏団なんて言われると困る。恥ずかしい」とか連れの女に言っているのだ。どういう感性をしているのだろう?と疑問に思っていたが,極めつけにop.135終演後には「こんな団体でもこれだけ聴かせられるんだから曲がいいんだ」などと宣った。うむ,こいつは曲を知らないに違いない。この曲をまともに聴かせられる演奏ができる団体がどれだけいるというのか。それほどにこの曲は難しい。弾いたことがあって言っているなら大したものだが,もしそうだとしてもとても言えないだろう。少なくとも私はとりあえず弾いたがまともに曲にできなかった(当たり前だ)。会話の内容を聞いているとアマオケをやっている風だったが,こういう知ったかぶった輩が困ったことを言い出したりするものだ。まあ,私には関係ないことだが。
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