今日の通勤CD
バッハ・カンタータ51,199,202番/シュトルテ(sop.)/マズア/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管/ボッセ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管(BERLIN Classics 0031782BC)
バッハ・カンタータ51,199,202番/シュトルテ(sop.)/マズア/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管/ボッセ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管(BERLIN Classics 0031782BC)
kaorina。がやっていたひつじ占いというのをやってみる。
(こういう記事は久しぶりだ^^;)
以下結果
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ぐり~んひつじっ
ひとこと・・・・いいよいいよ
・基本的な性格
君と一緒にいるとみょーに落ち着いてしまうのだ。穏やかで、とっても安らぎを与えてくれる。
のほほんとしていて、誰に対しても自然体に接することができるんだよね。
もちろん、常識をちゃんと持ち合わせているからみんなから好かれるタイプだ。とても正直者だし、とってもいいひつじだ。
ストレスの多いひつじ達が、ぐりーんひつじのそばに行くと、不思議に気持ちが落ち着いて時には、眠ってしまうかもしれない。
でも、逆にとってもいい人だから良いように扱われたりして、責任を全部背負ってしまう可能性大だ!
そうなってしまったら、泣くしかない。それでも、いいひつじであってしまう。
これは運命なのかもしれない。
・ぐりーんひつじとラブラブなひつじは?
全員のひつじたち
全部のひつじたちの画像に触れたら、最強ひつじになるかも?
・ぐりーんひつじと相性が悪いひつじは?
相性が悪いひつじはいません。
来るもの拒まず
・ラッキーアイテム
森
・ラッキーナンバー
3
・ラッキーカラー
いろいろ
・家でのぐりーんひつじ
ぼぉ~(口を半開きにして)
・外でのぐりーんひつじ
「まぁまぁ」(他のひつじたちを落ちつかせる役目)
・恋人の前でのぐりーんひつじ
「なんでもしてあげるよ」
・ぐりーんひつじの苦手なものは?
あんまりないみたい
・ぐりーんひつじの口癖は?
いいよいいよ。
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む,あまり当たっていないような?誰とでも仲良くなんてできないし。「まぁまぁ」って言われる方だし。でも「恋人の前での・・・」というのは当たっているかも。
バッハ・2台のチェンバロのための協奏曲BWV1060,1061,1062/ピノック,ギルバート(cemb.)/イングリッシュ・コンサート(ARCHIV F35A 50055)
最近携帯の着信音で落としたBWV1061が気に入ってよく聴いている。この曲はこの3曲の中で唯一オリジナルらしいとされていて,2楽章はオケは休み,1,3楽章もオケの出番は少ないという,まさにチェンバロのために書かれているといえる曲だ。(ちなみにBWV1060はオーボエとヴァイオリンのための協奏曲を(とされている),BWV1062は2台のヴァイオリンのための協奏曲をそれぞれオリジナルとしている。)
このBWV1061の3楽章"Fuga"は冒頭からチェンバロのフーガで始まり,オケが出てくるのは1分以上たってから。そこまでのチェンバロのすばらしいこと。そして同主題でオケが入ってきたときの華やかさといったらもうたまらない。この盤の演奏はゆったり目のテンポだが,もう少し速めのテンポの演奏を聴いてみたい。
余談だが,このCDは高校生の頃買ったもので,なぜか当時腹具合が悪かったり吐き気がしたりしていた(たぶん風邪だったのだろう)。そのせいで,このCDは「吐き気」と強く印象づけられてしまい,しばらくあまり聴かない時期があった。そんなはずはないのに聴くとなぜか胸がむかむかしたのだ。心と体はそれほど強く結びついているということだ。
バッハ・ヨハネ受難曲/クイケン/ラ・プティット・バンド(deutsche harmonia mundi GD77041)
来年度のBCJ定期の案内が来て,受難節コンサートはヨハネだということで聴く。普段あまり聞かないし,演奏もしたことがないのでマタイに比べて馴染んでいないのだ。
ヨハネもすばらしい曲なのに,マタイに比べると影が薄い気がする。どちらも聖書の受難に関する記述を元に人間の弱さを露わにする内容だが,マタイはより深く心理的な面に寄り添った音楽であるのに対し,ヨハネは情景的な面に注目しているように感じる。そんなように聴くものへのメッセージの発信方法が違うように思うのだ。受難の物語全体を感じやすくなっているヨハネと,受難の意味を洞察するマタイ,といった感じで。だからマタイは暗く内省的な音楽が多く,ヨハネは比較的そういう曲の割合が少ないのではないか,と思った。
ショスタコーヴィチ・交響曲4番/オーマンディ/フィラデルフィア管(SONY SB2K 62409)
昨日のN響アワーで3楽章だけ聴いたので,なんとなく全曲を聴きたくなって選択。10番とのカップリング。
こちらの演奏もあまりヤバい感じはしないが,曲そのものが10番と違うのでかなりいい感じに聞こえる。感情的なものよりも感覚的なものというのか,主観ではなくて客観というのか。
重量感には乏しいがストレートに来る感じの金管とか,ショスタコっぽい冷たさのない弦とか,あれ?と思うところがあってもちゃんといい感じになるというのは,この曲がより純音楽的なものを目指していたという証拠なのだろうか。
ベートーヴェン・弦楽四重奏曲12番,ディッタースドルフ・弦楽四重奏曲5番,ヴァンハル・弦楽四重奏曲/ヴェラー四重奏団(DECCA 475 6796)
手近においてあったBOXをつかんで出る。8枚組のうちの一枚。
ベートーヴェンは3楽章の中間部に入るところが特徴的。接続部分で少し間を取るのだ。
これを聴いているせいで,実際自分が演奏するときにどうしようかと迷っている。もしやったらBBQメンバーは付けてくれるだろうが,はたしてどちらがいいものなのか。両方やってみていいほうにすることにしよう。
ディッタースドルフというと大学オケの卒演で同期の男が弾いていたコントラバスコンチェルトくらいしか知らなかったが,この曲はハイドン風のモチーフや響きが聴き取れるなかなかステキな曲だ。
ショスタコーヴィチ・交響曲15番/ケーゲル/ライプツィヒ放送響(WEITBLICK SSS0039-2)
ダスビの練習も開始したので,マメに15番を聴くようにしている。なにしろまだ体に馴染んでいない気がしているのだ。イメージが固定するのもいけないのだが,その点はいろいろな演奏を聴くことでカバーするということで。
終楽章のクライマックスで「ロンドン(ハイドンの交響曲104番)」の冒頭が鳴り響く。同時に響き渡る弦楽器の動きは切なく苦しい。そして全てが終わるかのような打楽器の強打。諸説あるようだが,これはやはり「最後の交響曲」を意識していたんだろうと思わずにはいられない。自分としては今のところそういう解釈で行こうと思っている。
そして,最近のラストの解釈は「人は死んで無に還る。しかし時は淡々と流れ続ける」だ。終楽章で何度か現れるトリスタンの音型の後に出てくるヴァイオリンのテーマ。自分の人生の軌跡を愛おしく思っているような,懐かしむような暖かさを持ち,しかし現実的でないものに対する醒めた視線のような,そんなところからもそう考えている。
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