今日の通勤CD(バッハ・BWV106ほか)
バッハ・カンタータ106,118,198番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 581-2)
今日は仕事始め。年が明けてからバッハばかり聴いている。で,新年早々だというのに何気なく選んだのは葬送用カンタータ集。後にその理由めいたもの(虫の知らせ?)を感じたので,記す。
106番"Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit."(神の時こそ最良の時)。神の時とはすなわち死の時。私は無宗教者なのであまりピンとこないが,「人は必ず死ぬが,その後神とともにパラダイスに在る」ということらしい。
今日,ボスの仕事始めの挨拶で元上司(直属ではないが)の訃報を知った。新社会人になった初日に面倒を見てくれた人で,最近は部署が違ったがお互い音楽好きだということで親しくしてもらっていた。マーラー好きな人で,千葉フィルもいつも聴きに来てくれたし,最近では昨年のBCJ佐倉公演の会場で会い,バッハのカンタータでつながったことが嬉しかった。
衝撃的だったのは自殺だったらしいということだが,それでも「神の時」なのだろうか。kaorina。がひどい鬱の時はイヤというほど「死にたい死にたい」と言い,そのたびに何時間も根比べのように延々と生き死にについて語り合う。時には本当に死のうとするのを体を張って阻止したりしながら,朝起きてから夜寝るまでほとんどずっと,ということもある。
私は「死んだらなんにもならない」と常々思っているのだが,そんなときkaorina。はいつも「死ねばあらゆるものから解放される。」と主張する。私は死ぬことによって苦しみや重荷から解放されるより,生きて苦しみや重荷とともに訪れるわずかながらの喜びや幸福感なんかを享受するほうがいいのではないかと思っているし,大切な人間がこの世から消えるのはいやなので,なんとか説得して今までkaorina。をこの世に留まらせているわけだが,一方では死によってあらゆるものから解放されるということも一つの考え方だとは思っている(もちろんkaorina。の説得中にそんなことは言わないが。)。
だから,故人がその考え方を採用したのならば,せめて死に至った苦しみや重荷から解放されてくれていれば,と思う。そしてその考えに立てば,もしかするとこの「あらゆるものから解放された時」こそが「神の時」なのかもしれない。最後のフーガ"Durch Jesum Christum, Amen."(イエス・キリストによりて,アーメン)は,そんな思いを増幅させ,胸中になんともいえぬ感情を充満させる。でもやっぱり自ら命を終わらせるというのは・・・!!
合掌。
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Posted by: 1997 ford explorer fuel filter location | June 25, 2014 17:03