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June 30, 2005

今日の通勤CD(バッハ・無伴奏ソナタ・パルティータ)

バッハ・無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータ/シェリング(SONY MP2K 46721)
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DGの録音より2年前の1965年録音の無伴奏。
「シェリングの旧盤がいい」という話は聞いていたのだが,最近ようやく購入。なるほどDGのものとは多少違った雰囲気を持っている。こちらのほうがより音楽の言葉を,その意味において明瞭に表現しようとしているように感じる。とはいっても,過度な表情付けをしているとかそういうことではなく,句読点を意識させる弾き方というか,音楽の呼吸感をより多く持たせているというところか。DGの録音では音楽の意味を聴くものに考えさせるような雰囲気だが,こちらは意味を伝えようとする雰囲気,といったらいいだろうか。これは音楽のありようと大きく関わっていて非常に難しいと思うが,意味が伝わってくる演奏のほうが聴く方はありがたいし,いい演奏だと感じることが多いと思う。意味を考えさせられる演奏は,味気のない演奏になる危険もあるわけで,聴く方も精神力が必要だし,演奏する方もよほどのものを持っていないといけないだろう。同じ曲に対する表現も演奏するたびに違って当然だし,むしろ違わなければいけないわけだが,すべての演奏に説得力を持たせるのはとても難しいと思う。
録音はこちらのほうが残響が多く,教会とかそういう空間での響き方に聞こえる。これがまた雰囲気よく感じる一因かもしれない。

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空の穴を見に行こう(3)

次の朝,こうくんは「あれれ?」と思いながら目を覚ましました。ぐにょぐにょした物体がベッドの形からソファーの形になったからです。なんてすごい目覚ましなんでしょう。JRの「おこし太郎」も真っ青です。
「やあ,おはよう」「おはよう」二人はすがすがしい気分で朝を迎えました。さあ,また空の穴に向かって出発です。

しばらく歩いていくと,ぐにょぐにょした物体が突然言いました。「なんだか飽きてきちゃったなぁ。僕はそろそろ失礼するよ。」
こうくんは内心「もう飽きちゃったの?」と思いましたが,しかたありません。「わかった。さようなら,気をつけてね。」と手を振って別れました。ぐにょぐにょした物体は「ばいば~い」と言って,どこかへ行ってしまいました。こうくんはまた一人で空の穴を目指すことにしました。

どんどん歩いていると,向こうにパンダのようなものがいるのが見えました。でもなにか変です。まっすぐ立って歩いているし,頭に直接前足が付いているようで,とてもバランスが悪いのです。こうくんは思いました。「はは~ん。あれはきっと着ぐるみだ。チャックを開けて中を見てやろう。」
こうくんはそっとパンダのようなものの後ろに近づき,チャックを捜すと,ありました!アタマの下あたりからおしりのあたりまで下ろせそうです。こうくんは一気にチャックを引き下ろしました。
すると中から黄色っぽい液体があふれ出てきて,こうくんの体にかかりました。「わぁ,大変だ!」とこうくんは逃げようとしましたが,体はなんともありません。おそるおそるにおいをかいでみると,なんだかちょっと甘いにおいがします。
こうくんは思い切ってなめてみました。すると,なんとオロナミンCの味がします。こうくんはその液体をごくごくと飲みました。オロナミンCですから,どんどん体に力がわいてくるようです。せっかくなので,ビンにその液体を詰めて持っていくことにしました。

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June 27, 2005

市原フィル演奏会(6/26)

市原フィルハーモニー管弦楽団第15回定期演奏会 市原市民会館大ホール
指揮:小出英樹
曲目:リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」
   チャイコフスキー/交響曲第5番
   チャイコフスキー/眠りの森の美女~「ワルツ」(アンコール)

毎度おなじみ2ndVnのエキストラで出演。
シェエラザードのほうは,コンミスのソロが素晴らしかった。ここまでの経過の一端しか知らないが,ほんとうにお疲れさま。チェロや管楽器のソロもよかったし,オケ全体としてもまとまっていたと思うし,いいオケになったものです。
チャイコフスキーも熱演だったと思う。リハーサル終了後のコンミスの一言でさらに一段階良い演奏になったのではないだろうか。こんなコンミスがいるこのオケはとても素晴らしい。

個人的にはどちらも演奏経験がある曲だったので,かなり満足いく仕上がりだった(ちょっとやり過ぎたところもあったかもしれないが)。チャイコフスキーの最後のプレストも9割くらいは弾けたと思う。

最後に,ご来場の皆様ありがとうございました。
出演した皆様,お疲れさまでした。

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June 25, 2005

バッハ・コレギウム・ジャパン定期演奏会

久しぶりに演奏会を聴きに行く。といっても,前回に引き続きまたまたBCJ。

バッハ・コレギウム・ジャパン第69回定期演奏会
2005年6月24日(金)19:00
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
ライプツィヒ時代1725年のカンタータ3
・スウェーリンク(?) なんと美しいことでしょう,暁の星が照り輝くのは
・バッハ カンタータ126番「我らを保たせたまえ,主よ,あなたの御言葉のもとに」
・バッハ カンタータ127番「主イエス・キリスト,真の人にして神」
・ブクステフーデ なんと美しいことでしょう,暁の星が照り輝くのは BuxWV223
・バッハ カンタータ1番「なんと美しいことでしょう,暁の星が照り輝くのは」
鈴木雅明(指揮)
キャロリン・サンプソン(ソプラノ)
山下牧子(アルト)
ゲルト・テュルク(テノール)
ペーター・コーイ(バス)
今井奈緒子(オルガン)
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)

今回のプログラムはコラール・カンタータ年巻の最後となるもの。
今回は東京なので,2曲のオルガン演奏も聴けた。やはりオルガンの音色はいい。西洋の人たちはこういう音を普通に聴いているのだなあ。うらやましい。2階席だったので,見上げることなく聴けたのは良かった。
126番の冒頭はトランペットが入る。トランペット入りの場合祝典的な曲が多いのだが,珍しく短調でとても厳しいイメージ。「我らを保たせたまえ」の決意のようなものを表現しているのだろうか。ナチュラルトランペットの音色が全体と溶け合って,とてもいい響きだった。第4曲のバスのアリアはペーター・コーイ氏の力強い声が良かった。「奈落に突き落とせ」の表現はやはりこうでなくては。少々低音部が埋もれてしまった感はあったが,ステージから遠い席だったせいかもしれない。
実質コラール・カンタータ最後となる127番は直後の聖週間との関わりが強く,受難コラールが使われていることや,後年のマタイ受難曲との類似点など,鈴木氏のプレトークを頭に置いて聴いた。初めて聴く曲だったが,冒頭曲の長調と短調が入れ替わる(というより自在に行き来する)感じは面白い。修行不足なため,受難コラールを聴き取ることはできなかったのは残念だった。印象的だったのは第3曲ソプラノのアリア。低弦のピツィカートが特徴的なのだが,ダ・カーポ直前にのみヴァイオリンとヴィオラが参加する。しかも間隔はそれまでの半分。これはテキスト「死の鐘」を表しているようだ。続くバス・ソロのレチタティーヴォとアリアは,マタイでイエスが息を引き取った直後のような雰囲気。低弦の下降音型が特徴的な弦楽器の激しい刻みの部分と,ゆったりとした歌唱の部分。鈴木氏の解説では,このあたりがマタイの芽だということだった。いずれにしても低弦の下降音型が稲妻を表すのは間違いないだろう。
1番ではオーボエ・ダ・カッチャの渋くくすんだ音色を聴くことができた。冒頭曲の2本のヴァイオリンによるかけ合いも素晴らしい。普段聴いているリヒター盤と違い,ヴァイオリンの入りなど,いかにも古楽器的な表現がとても心地よかった。最後のコラールはホルンの響きがなんとも素晴らしく,合唱と器楽との溶け合った「アーメン」は感動的だった。アンコールに再びこのコラールを演奏するサービス付き。

それにしても今回のソリスト陣は良かった。特にソプラノのサンプソンさんは初登場のようだが,まっすぐでよく伸びる声がカンタータにはとても合っているように思った。テノールのテュルク氏とコーイ氏は当然の安定した歌唱。(アルト・ソロは126番のレチタティーヴォのみの出番。)席のせいか,若干バスの低音が聞こえずらかったのが残念だったが。
ホールの響きも良く,こういう響きでカンタータの演奏を聴けるのはとても幸せなことだと思った。また聴きに行くぞー。

おまけ:こういう演奏会だと知人には絶対会わないだろうと油断していたら,ダスビのT氏(Fg)に会った。油断していただけではないのだが,失礼なことにすぐにわからなかった。どうもすみませんでした。ついでに某団体のお誘いも受けた。弾けたらいいなぁ。

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June 24, 2005

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・SQ.1~7)

ショスタコーヴィチ・弦楽四重奏曲1〜7番/タネーエフ四重奏団(Aulos AMC2-055-1〜3)
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永らくほぼ幻だったタネーエフ四重奏団によるショスタコーヴィチ全集が再発(もう一月ほど前だが)。今回は2日かけて前半3枚を聴く。ベートーヴェンの全集でも感じた「骨太」という印象はこちらでも同様。
1番,2番は全集の中では最後のほうの録音のようだが,少し表現を変えたのだろうか,ちょっと表情付けがわざとらしい部分が多いように感じる。
3番は特に凄い。全体に異常な雰囲気が漂っているが,中でも3楽章は尋常ではない。凄まじさに心臓鷲掴み,という感じ。4楽章の悲痛な叫びも凄い。これは超名演でしょう。
4番は冒頭のチェロがかなり抑えられているが,これは解釈なのだろうか。私はここでオルゲル・プンクトのように鳴り続けるチェロの圧倒的な音が好きなのだが。終楽章はこの団体の特質を生かし切ったような感じでとてもいい。
5番は少し遅めのテンポで重量級な印象。強奏部はこれがかなり効果的だと感じる。もちろん弱奏部も緊張感を失っていないので,問題なし。
6番はこの団体に向いていなさそうな平和な感じの曲だが,これはこれで説得力がある。やはりしっかりした音できちんと演奏していて,深い響きになっているからだと思う。
7番はもう少し狂った感じのほうが良いとも思うが,そこまでは求めすぎだろう。十分名演。

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June 23, 2005

空の穴を見に行こう(2)

二人が歩いていると,向こうからもじゃもじゃした犬がやってきました。犬はどんどん近づいてきます。
すると,ぐにょぐにょした物体は突然犬に覆い被さりました。犬はびっくりして「ワン,ワン,ワン!」と吠えています。でもぐにょぐにょした物体はまったく気にする風もなく,犬を包み込み始めました。
「ワン,ワン,ワン!ガルルルーー,ワン,ワン,ワン!」ともじゃもじゃした犬はすごい勢いで吠えていましたが,そのうち静かになりました。
「いったいどうなったんだろう?」こうくんがよく見ると,なんということでしょう!犬はぐにょぐにょした物体の中でドーナツになっているではありませんか!
とってもおいしそうなドーナツです。するとぐにょぐにょした物体が言いました。「どうだい,おいしいから一緒に食べよう。」
そういえばこうくんはちょっとお腹が空いていました。だって家を出てから何も食べていないのですから。そこで二人は仲良くドーナツを食べました。甘くておいしいドーナツ。これが犬だったなんて信じられません。こうくんはすっかりお腹がいっぱいになりました。

お腹がいっぱいになると,こうくんは眠くなってきました。「ぼく眠くなってきちゃった。」
すると「ぼくがベッドになってあげるよ。」とぐにょぐにょした物体は言いました。そして四角くて平らな形になりました。さわってみるとやっぱりぐにょぐにょしています。そう,これはまるでウォーターベッドです。
「おやすみなさい。」 こうくんはウォーターベッドのような寝心地に大満足して,すぐに眠ってしまいました。

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June 22, 2005

空の穴を見に行こう(1)

ある日の夕方,こうくんは空に浮かぶ太陽を見て思いました。「なんだか空に穴が開いているみたい。あの穴の向こうはいったいどうなっているんだろう?」
こうくんは考えます。「穴の向こうは明るいのかな?真っ暗なのかな?なんにもないのかな?だれかが住んでいるのかな?」不思議で不思議でたまりません。
そのときいいことを思いつきました。「そうだ,見に行ってみよう!」お母さんにいってきますをして,お母さんがくれたきびだんごを持って,さあ出発です。

しばらく歩いていくと,向こうからぐにょぐにょした物体が歩いてきました。
こうくんが「こんにちは」とあいさつをすると,ぐにょぐにょした物体は「どこに行くんだい?」と聞いてきました。
こうくんが「空の穴を見に行くんだ!」と答えると,ぐにょぐにょした物体は「それは面白そうだ。ぼくも一緒に行くよ。」と言います。
こうくんはぐにょぐにょした物体がちょっと気持ち悪いな,と思いましたが,「いいよ,一緒に行こう。」と言い,桃太郎がそうしたように,お母さんからもらったきびだんごをぐにょぐにょした物体にあげました。
そして,こうくんとぐにょぐにょした物体は二人で空の穴を目指して歩き始めました。

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適当な話をしてみよう

私はいつも適当な話を作ったり,適当な歌を歌ったりしているのだが,先日車を運転しながら適当な話をしていたら子供にえらくウケた。そこでそのときの話を記録しておこうと思った次第。少しづつ書いてみることにする。

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June 21, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV34ほか)

バッハ・カンタータ34,44,68,175番/リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団(ARCHIV POCA-2037)
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リヒターのカンタータ集は久しぶり。
44番では第2曲入りの弦楽器の音などがリヒターならではの厳しいものだ。マタイの各種録音などを聴いた印象だが,最近の演奏だとおそらくこれほど厳しい音は出さないのではないだろうか?
34番は聖霊降臨節第一主日用。第1曲と終曲(第5曲)に祝典用でおなじみのトランペットとティンパニが入る。第1曲は心躍る長大な合唱曲。第3曲のアリアはフラウト・トラヴェルソを用いた,穏やかな雰囲気の印象的なもの。レチタティーヴォを挿んで終曲はまた祝典的な合唱曲。冒頭「イスラエルに平安あれ!」との一節が独立して置かれているのが特徴的だ。余談だが,この曲の原曲は伝承不完全の結婚カンタータBWV34a。原曲をぜひ聴いてみたいのだが,1種類しか存在を知らないCD(ヘンスラーのバッハ全集第140巻だったと思う)はどこに行っても見かけない。バラ売りを買わずに箱で買えということか?
68番は狩りのカンタータから2つのアリアが転用されている。世俗曲からの転用は珍しい。第2曲ソプラノのアリアは第13曲パレスのアリア,バスのアリアは第7曲パンのアリア。どちらも穏やかな雰囲気のものだが,終曲の合唱は一転厳しい印象のもの。
175番では第6曲のアリアにトランペットが用いられている。これは祝典的な意味ではなく,「おのれを開け,両の耳よ」というテキストに沿って,メッセージ性を強調するものだろう。フラウト・ドルチェが伴奏する終曲のコラールも印象深い。フルート族は聖霊を象徴する楽器ということだろう。

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June 20, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV56ほか)

バッハ・カンタータ56,82,158番/ヘレヴェッヘ/シャペル・ロワイヤル(harmonia mundi FRANCE HMX 2951365)
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バス独唱用カンタータ集。独唱はペーター・コーイ。このCDはすでに持っていた別のBOXに同録音が入っていたのだが,よく確かめずに買ったのでダブってしまった。でも重いBOXを持って出るより便利なので良しとしよう(それより中古屋に売ればいいのか?)。どれも名曲揃いだが,内容は宗教的に死を印象づけているので,若干馴染みにくいかも。
82番の福音書該当個所は,「幼子イエスがエルサレムの宮に入り,シメオン老人に会う。老人は聖霊の示しのとおり,救主に会い,死に赴く(ルカによる福音書第2章22節~32節)」というところ。第1曲は救主イエスに会った老人が「私はこれでもう満足」と言う,穏やかなアリア。オーボエの旋律が死を前にした安息を表現しているようだ。ペーター・コーイの歌唱は,最初に"Ich habe genung,"と入ってくるところからこの心情を十分表現していてすばらしい。第3曲のアリアはソプラノ用に編曲(アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳)もされている,非常に美しく印象深いもの(音楽帳には第2曲と続けて記されている)。内容は「死ぬことによって安息を得る」というもの。こちらも叙情的な弦楽の伴奏で,来世への憧れとこの世への別れを告げる老人の心情を歌う。終曲(第5曲)は,「私は死を待ち望んでいる」というもの。ここまでの穏やかな雰囲気とは一転し,ヴィヴァーチェの速いテンポを採っているところが特徴的だ。安息をもたらしてくれる死を今にも迎えることに対する憧れがこれほどに熱いものなのか,ということを感じさせられて胸が締め付けられるようだ。
56番のテーマも死による救済。第2曲のレチタティーヴォは「人生は船路」というもので,波を表すチェロが特徴的だ。チェロ(=波)がなくなると「船路が終わり,船を去り天に昇る」と歌い,第3曲のアリアに続く。現世から解き放たれる喜びを表現したアリアは,音の跳躍を伴って高音から低音までを行き来する。技巧を要すると思うが,ペーター・コーイの歌唱は見事だ。終曲は四声の合唱が入る「死と永遠を想うコラール」により,静かに曲が閉じられる。
158番第2曲のコラール付きアリアは印象的だ。ソロ・ヴァイオリンとソプラノのコラールを伴ってバスが歌う。内容は「この世よさらば」で,前の2曲と同じく「天国には平安がある」だ。ここでもペーター・コーイの歌唱はテキストを余すところなく表現していると思う。第3曲レチタティーヴォでは「シメオンの如く平安をもって」という部分があり,シメオンと死,天国,というのが重要な題材であることがわかる。終曲(第4曲)はルター作の復活節コラールで閉じられる。

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June 16, 2005

今日の通勤CD(ベートーヴェン・Sym.7,8)

ベートーヴェン・交響曲7,8番/フルトヴェングラー/ベルリンフィル(DG POCG-2355)
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またもや子供が「これ聴いて」と持ってきたのを聴く。なぜいつも顔ジャケなんだ??
7番のほうはM&Aの戦中盤と比べて若干おとなしめの感じ。とは言ってもテンポ設定なんかの基本的イメージは変わっていないようだ。終楽章コーダの追い込みはやっぱり大興奮だし。録音状態はM&Aのよりずっといい。
8番でもやはりテンポの伸び縮みやところどころに入るタメがフルトヴェングラーらしい。演奏時間だってシェルヘンは19分なのに,この演奏は25分以上。これは違いを感じない方がおかしい。ほんとうにメヌエットのテンポで演奏されている3楽章は久しぶりに聴いた。まあ,雰囲気はまったくメヌエットではないが。4楽章の下降音型を強調してオクターヴ上で弾かせているのも久しぶりに聴いた。中間部でぐっとテンポを落として,またテンポアップして主題に持っていくとか変幻自在。しかしこのテンポだったら余裕で6連符を弾けそうだ。クリアに聴かせるにはこれでないとダメなのか。

ガーディナーやシェルヘンの演奏ばかり聴いているが,たまにはフルトヴェングラーもいい。音の処理なんかも含めて慣れないのでなんとなく違和感があるが,これはこれで説得力があるように感じるのは気のせいではあるまい。やはりフルトヴェングラーのベートーヴェンは特別だ。

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June 15, 2005

今日の通勤CD(グレツキ・Sym.3)

グレツキ・交響曲3番/アップショウ(sop)/ジンマン/ロンドン・シンフォニエッタ(Elektra Nonesuch 7559-79282-2)
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弥生メンバーから借りたままになっているもの。「悲歌のシンフォニー」。ずいぶん話題になったCDらしいが,話題盤にあまり縁がないので,借りでもしないと聴かないのだ。
1楽章が開始するとずっと同種の旋律(カノンらしい)が続くが,なるほど「癒し」というのはうなずける。ベースは15世紀の哀歌らしいが,ある種映画音楽のような雰囲気の音の重なりは心を刺激せず,徐々に色を変えながら乱れた心の澱を深く沈殿させる効果を持つように思う。中間部にソプラノが入るが,歌唱がちょっと薄い感じ。ほかの盤を聴いたことがないのでわからないが,もう少し厚みのある声のほうが似合う気がする。歌が最高に盛り上がるとまた元の旋律に戻り,徐々に沈静化する。楽章の形をほぼ対称にしたということか。
2楽章はこれまた映画音楽風に始まる。まもなくソプラノを伴って現れる聖歌風の旋律の一部はチャイコフスキー第5の2楽章冒頭に酷似している。ということは,やはり聖歌を意識したものなのだろうと推測するが,私は勉強不足なのでよくわからないのだ。後半は冒頭の旋律がソプラノを伴って現れ,今度はこの雰囲気を保ちつつ進む。最初のほうは1楽章と同様厚めの声が欲しい気がするが,こちらはこの多少薄めの声が似合っているように思う。
3楽章は終始漂泊するような弦楽器の伴奏に乗せてソプラノが歌う。こちらのベースは民謡らしいが,最初の旋律と中間部の旋律が若干雰囲気を異にする。最初は祈りというイメージ,中間部は多少光が射した感じ。最後はまた最初の旋律に戻り,弦楽器が動きを緩慢にして漂着するように曲を閉じる。

心が弱っているときはこういうのが良いだろうと思ってkaorina。に勧めてみたところ,気に入ったらしい。同じような精神状態の人は聴いてみるのもいいかも。

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June 10, 2005

今日の通勤CD(ベートーヴェン・SQ15ほか)

ベートーヴェン・弦楽四重奏曲15番,2本のホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲/タネーエフ四重奏団/ブヤノフスキー,シャリート(hr)(boheme CDBMR 009163)
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15番はこの団体らしく,過度の感情表現を排して厳しい音で作る感じの演奏。ところどころ少しきつすぎる感じがするのと,ちょっと軽めになる部分があるのが若干不満かも。3楽章のモルト・アダージョは13番のカヴァティーナとは違い十分時間をかけているが,私としてはもう少し重めの音色のほうが深みが出ていいと思う。
こういう雰囲気は終楽章に似合うなあ,と思っていると意外なところでアタックをつけないで弾いていたり(譜面にはアクセントなどの指示はない)して,ハッとさせられたりもする。最後のアッチェレランドももっと追い込む感じが欲しいし,狂った感じでやって欲しいと思う。そんなわけで私としてはもう一つの演奏。
ホルンの六重奏はEs-Durのop.81b。どこかの体育館で練習してます,といった趣の響き。スタジオ録音だがどういうところだったのだろう。ホルンはきれいに響いていていいのだが,弦楽器はとても遠く,埋もれてしまっている感じ。もう少し聴き取りやすいといいのだが。曲のせいかもしれないが,弦楽器の雰囲気は平和な感じで,15番とは別団体のような気になってしまった。

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June 09, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV152ほか)

バッハ・カンタータ152,199,203番,クォドリベット/コープマン/アムステルダム・バロック・管弦楽団・合唱団(ERATO WPCS-4838/40)
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ライプツィヒ以前の教会カンタータと世俗カンタータの3枚組の3枚目。
152番は弦楽がヴィオラ・ダモーレ,ヴィオラ・ダ・ガンバ,ヴィオローネという珍しいもので,高弦がないぶん落ち着いた響きを作っている。高音はオーボエとフラウト・ドルチェが担当するが,オーボエもモダンと違い優しい音色なので,「魂とイエスの対話」というテーマにふさわしいものだろう。終曲は魂=ソプラノとイエス=バスの二重唱で終わる。途中に挿まれる管楽器の音色がとても印象的だ。
199番はソプラノ独唱用。第4曲のアリアはなんとも優しい雰囲気で,いつ聴いても心を委ねたくなってしまう。テキストは神に罪を告白して許しを請うというもの。なるほど,という感じだ。第6曲のコラールはオブリガートをヴィオラが担当しているのが珍しい。このくすんだ音色の中で浮き立つソプラノのコラール旋律が狙いなのだろう。終曲(第8曲)は救われた喜びを表現するにふさわしい,舞曲形式のアリア。
203番は世俗カンタータ。バス独唱用で,器楽はチェンバロとチェロのみ。特に終曲(第3曲)のアリアはチェンバロのみの伴奏で,まるでチェンバロ独奏曲のような雰囲気。パルティータに似たものを感じる。あまりにチェンバロの印象が強くて,バスの歌唱が薄まってしまう気がする。
クォドリベットは結婚式用作品の断片らしいが,歌詞がえらく下品だ。作品の前後が失われているそうだが,残っている部分の最初の歌詞が「尻」。いきなり「尻」という単語が目に飛び込んできたらそれはびっくりだ。その後も「間抜け」とか「裸」とか「豚」とか,下品な単語と言い回しが続いている。日本語訳を見てのものだが,おそらく原語がかなり俗っぽい言葉なのだろう。曲のほうも農民カンタータっぽいちょっと田舎臭い雰囲気を持っている。こちらも器楽はチェロとチェンバロだが,ソリストは4人。四重唱の部分もたくさんあり,なかなか贅沢な作品だ。

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June 06, 2005

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・24の前奏曲とフーガ)

ショスタコーヴィチ・24の前奏曲とフーガ/ニコラーエワ(Regis RRC 3005)
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ニコラーエワの2回目の録音。3回の録音の中ではおそらくこの音源が一番多く出回っていると思う。ピアノ曲はあまり好んで聴かないので,このCDも今までよく聴いていなかったが,最近の不安定な気分によさそうだと思って選択した。2枚目の途中まで聴く。
5/17の記事にも書いたが,この曲集はショスタコーヴィチの精神世界を共有させてもらえるような,そんな音楽だと思う。言葉で表現するのは難しいが,作曲者の気分が自分の気分と重なって共鳴するような,そういった感じだろうか。
そんな音楽をニコラーエワがこれまた強烈に聴かせてくれる。作曲者以外の演奏では,グリンベルクとニコラーエワは最高峰ではないだろうか?(予想ではリヒテルも凄そうだが,私は所有していないのでなんとも・・・)
今回特に印象に残ったのは12番のフーガ。不安な気分をもたらす,大きく跳躍して断絶する主題の音型が面白い。速いテンポでたたみかけるように展開し,そして最後に一音だけ,とても優しい和音。こういう瞬間を,私の持つ感覚とショスタコーヴィチの持つ感覚の共通点だと勝手に解釈している。こういう気分でものごとを見ることってあるよね?といろいろな人に聞いてみたい。

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June 03, 2005

今日の通勤CD(ゼレンカ・エレミアの哀歌)

ゼレンカ・エレミアの哀歌/ヤーコプス(cond,alto)/メ(ten)/ヴィトマー(bass)/バーゼル・スコラ・カントールム器楽合奏団(deutsche harmonia mundi BVCD-5039)
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哀歌は聖週間のための音楽なので,ゼレンカのこの作品も聖水曜日,聖木曜日,聖金曜日のためのそれぞれ2つづつの哀歌からなっている。(本来は木,金,土曜日用のそれぞれ3つの章句が定められているらしいが,14世紀頃以降の慣習でその前夜に行われるようになっていたらしいのと,なぜかゼレンカはそれぞれ最初の2つの章句にしか作曲していない。)
曲は6曲のカンタータからなる構成で,順に,バス:ハ短調,アルト:ヘ長調,テノール:変ロ長調,バス:ト短調,テノール:イ長調,アルト:ヘ長調,というもの。器楽編成も小さく,落ち着いた響きだ。
各哀歌は最後に「エルサレムよ,エルサレムよ,神なる主に立ち帰れ」の語句が置かれていて,どの哀歌もこの部分が最も技巧を凝らしたものになっており,今のところ私はこの部分に最も注目(耳?)して聴いている。どれも素敵な曲ばかりなのだが,特にバスソロが歌う「聖木曜日のための第2の哀歌」は非常に気に入っている。最近どちらかというと短調の曲のほうが好みだというのもあるが,器楽によるフーガの開始部がとても私好みなことや,"Ierusalem, Ierusalem,・・・"とバスが入ってくる感じもたまらない。
聖水曜日のための第1の哀歌はバッハのカンタータ54番に似た雰囲気で開始する。このCDを買った当初は,この暗い雰囲気があまり好きでなかったのだが,最近は暗いというより落ち着いた,というイメージを持って聴いている。この数年間の激動がこういう雰囲気の曲を好むようになった原因だと思う。やはり人生経験と音楽の嗜好は密接だということだろう。

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June 01, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV72ほか)

バッハ・カンタータ72,73,111,156番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 582-2)
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顕現節後第3日曜日用カンタータ集。156番を聴きたくて選択。
156番の冒頭シンフォニアは5/20の記事に書いたBWV1056の2楽章と同一楽曲(旋律はオーボエ)。気分が低調なときにはこんな曲を聴きたくなる。実際は心が落ち着くわけではなく,心を乱す考えごとの色合いを微妙に変化させてくれる,といったところか。第2曲テノールのアリアとソプラノのコラールがまた同様の効果で心に作用する。後半のアルトのアリアと終曲のコラールを聴く頃には,少し気分も変わっているような気になるのは,そうありたいと願う自分の思いこみなのだろう。
111番はコラール・カンタータ。冒頭コラール合唱は本当に見事だ。器楽の溌剌としたリズムに乗せた合唱に,ソプラノのコラール定旋律が重ねられるこの曲は私の大好きな曲の一つだ。こういう曲が山ほど聴けるのだからバッハのカンタータはやめられない。第2曲バスのアリア「おそれるな,私の心よ」は,なんとも心に沁みる。信者でない,しかもドイツ語がほとんどわからない私でもそんな気分になるような曲だ。第4曲のアルトとテノールのデュエットも気に入っている。弦楽の細かい動きに挟まれるレガートの部分がとても優しい。安易に優しいものに頼ってはいかん,と思いつつもそんな気分に寄りかかりたくなってしまう。終曲は第1曲と同じブランデンブルク辺境公アルブレヒトによるコラールで締めくくられる。
72番冒頭合唱は決然とした出だしと,中間の密やかな部分の対比が印象深い。第2曲はアルトのレチタティーヴォ,アリオーソとアリア,というあまり目にしない形式。アリアの部分はヴァイオリンと通奏低音の伴奏。随所に現れるヴァイオリンの不協和音がなんともステキだ。第4曲ソプラノのアリアはオーボエの音色のせいもあってかとても平和なイメージ。コーダがあるのがちょっと変わっている。終曲は111番と同じコラール(111番冒頭と同じ第6節)が用いられている。
73番冒頭はコラール合唱にソロのレチタティーヴォが挟まれる形式。合唱部の音の厚みと,楽節間の弦楽とオーボエだけの薄い感じの対比が面白い。第2曲テノールのアリアは通奏低音のファゴットが独特の味わいを出しているが,これはスコアにあるのだろうか,それとも演奏上の解釈なのだろうか。第4曲バスのアリアでは後半部で器楽が弦楽器のピチカートのみになるが,これはあまりない形ではないだろうか。

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