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February 28, 2005

今日の通勤CD(ベートーヴェン・Sym.1,3)

ベートーヴェン・交響曲1,3番/シェルヘン/ウィーン国立歌劇場管(WESTMINSTER MVCW-18022)
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またもや子供がクライバーの5,7番を持ってきたので「違うのも選んでよ」と選ばせたらこれになった。ジャケットで選んでいるらしいが,クナとかアーベントロートの顔ジャケのはあっさり棚に戻していた。基準は何なのだろう?
シェルヘンの演奏は意外なほどストレートな演奏だ。フルトヴェングラーなんかだと盛り上がってテンポが伸びたり縮んだり,ためが入ったり,それはもういろいろなことが起こっているが,この盤の演奏はそういうことがほぼない。私はどちらかというとストレートな演奏のほうが好みなので,「けっこういいじゃない。」と思った次第。普段聴かないCDを聴くのもなかなかいいものだ。
エロイカでは2ndVnに異常に気合いが入ったプレイヤーがいるらしく,随所でG線がビリビリ鳴っている音が聞こえる。シェルヘンのかけ声も聞こえる。ルガノのライヴには負けるが,この演奏もけっこう熱い(この録音はライヴではないようだ)。解説には「1楽章のコーダ,トランペットが途中から旋律を吹かなくなる部分をスコアどおりにやっている」と書いてあるが,聴いてみるとスコアにない旋律の続きをきっちり吹いている。聞き違いではないと思うが,この録音以外はスコアどおりだったのだろうか?

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February 26, 2005

バッハ・コレギウム・ジャパン佐倉公演

練習のない週末を利用してBCJを聴きに行く。

バッハ・コレギウム・ジャパン佐倉公演
2005年2月26日(土)18:00 佐倉市民音楽ホール
J.S.バッハ:教会カンタータの夕べ
・カンタータ123番「最愛のイマヌエル,敬虔なる者の君主よ」
・カンタータ124番「私のイエスを離さない」
・カンタータ125番「平安と喜びをもって,私は逝こう」
・カンタータ111番「我が神のみこころが,常に成就しますように」
鈴木雅明(指揮)
野々下由香里(ソプラノ)
上杉清仁(カウンターテナー)
アンドレアス・ヴェラー(テノール)
ペーター・コーイ(バス)
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)

なかなかこういう機会はないのだが,通常より低価格でチケットが出ていたので購入。内容は東京や神戸でのカンタータ全曲シリーズVol.41とほぼ同一(オルガン独奏がない)。これはお得だ。私の最近のお気に入りである125番も演奏するし。
カウンターテナーのロビン・ブレイズがインフルエンザにより急遽ソリスト変更。生ロビン・ブレイズを聴いてみたかったので少々残念。野々下さんと上杉さんが代役を務めており,ちょっと大変そうなところもあったが健闘していた。
なんにしてもバッハのカンタータを生で聴ける機会はそうそうないので,満足だった。

このホールは10年ぶりくらいなのだが,こんなに響かなかったっけ?という印象。もう少し会場が音で充たされる感じのほうがいいと思ったが,これはこれで各パートの音がよく聞こえてよかったかも。教会なんかだと相当残響があるだろうから,かなりイメージが違うと思う。
123番を除きけっこう聞き慣れているのでいろいろ楽しめた。特に111番は我が家にはリヒターの録音しかないので,それと比較してかなり速いテンポで演奏されたのが新鮮だった。古楽器団体はこういう解釈が多いので,予想されたところではあるが。
125番のテノールとバスのデュエットもよかった。2本のヴァイオリンと通奏低音をバックにソリストが歌うスタイルは51番のコラールと似た雰囲気で,私はこういう響きが大好きだ。実力のあるソリストの歌唱で,しかも生で聴けたのは本当に幸せなことだ。
ホルンがソプラノと重なることや,通奏低音のチェロとオルガンが重なることはとても効果的だと思った。これも音程がぴったりしているうえ,音色が溶け合っているからこそ気づかせてもらえることで,さすがだと思った。
開演直後の鈴木雅明氏の簡単な解説もよかった。私のような不勉強な者でも,コラール・カンタータについてなるほど,と納得した。ちゃんと本でも読んでいればまったく問題のない知識なのだろうが。

どうでもいいことだが,ペーター・コーイ氏は譜面に黒いカバーをつけていなかった。他の人は皆つけていたのだが,これはポリシーなんだろうか?皆黒い譜面を持っている中,一人だけ白い表紙やオレンジ色の表紙の譜面を持っていたのが謎だ。

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February 25, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV34ほか)

バッハ・カンタータ34,59,74,172番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 584-2)
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久しぶりに34番を聴こうと思って選択。(前回記事は10月)
最近落ち着いた響きのカンタータを好んで聴くので,このような華やかな響きの作品はちょっとイメージと違う気がした。最初にカンタータを聴き始めた頃は,ラッパと太鼓が入って祝典的なものをよく聴いていたが,いろいろ聴くうちに最近は静かな落ち着いた雰囲気のものをよく聴くようになった。どちらにもそれぞれの魅力があるが,カンタータの大部分は後者だし,そんな落ち着いた雰囲気の名曲が多い。自分の精神状態なども影響して,聴く曲の傾向も偏るというわけだ。

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February 24, 2005

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・SQ10,11,15)

ショスタコーヴィチ・弦楽四重奏曲10,11,15番/ショスタコーヴィチ四重奏団(OLYMPIA OCD534)
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15番はソロの部分が非常に多いので,「四重奏」というより「四人の弦楽奏者の」という感じだ。なんとも暗い,不思議な雰囲気は最晩年の作品に共通するが,カルテットならではの音の色合いというのか,それが特徴的だと思う。今回聴いて,15番は地獄めぐりとでも言ったらいいんじゃないかと思った。死んであの世に行ってとぼとぼ歩いていたら,いろいろな風景が見えたり,いろいろな出来事が起こったり,という感じだ。ショスタコーヴィチは臨死体験したんじゃないか,と勝手な想像をしてしまった。
11番は変な曲だ。でもこれがたまらなくいい。どの曲も短くてあっという間に終わってしまうし,「レチタティーヴォ」とか「エチュード」とか「ユモレスク」とか何じゃこりゃ?というようなのが楽しい。しかもこの演奏はかなりの気合いが入っているので,聴いていて飽きない。
10番はこの3曲の中で最も普通の曲だ。もちろんショスタコらしいから,一般的な「普通」というのとは違うと思うが。弦楽合奏版にも編曲されているから,より大編成向きのスコアということだろう。弦楽合奏版よりオリジナルの四重奏版のほうがキレがいい(この演奏だからかもしれないが)ので,私はいつも四重奏版を聴いている。

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February 23, 2005

今日の通勤CD(ベートーヴェン・Sym.5,7)

ベートーヴェン・交響曲5,7番/C.クライバー/ウィーンフィル(DG 447 400-2)
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子供がこれがいいというので選択。クライバーを選ぶとは,なかなかやるな。
タワーで「全繰り返し敢行!」とか書かれていたのに惹かれて買ったのだが,5番,7番とも一切手抜き無し,という感じでいい。映像でもウィーンフィルが必死で弾いている様子が見えるが,これはきっとそういう状況での録音なのだろう。7番の1楽章などは,あのリズムが最後まで厳しく保たれて演奏されるのは快感だ。途中で若干でも気が弛んだ感じがするとショボいことになるが,そんなことは全くない。実力のあるプレイヤーの集団が手を抜かずマジメにやったらこういうことになる,ということだろう。そしていつも思うことだが,技術力で及ばないアマチュアプレイヤーは,せめて手を抜かずにマジメにやるべきじゃないかということだ。演奏はもちろん,曲の理解のための努力も含めて,もっとできるんじゃないかと思うのだが。

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February 22, 2005

今日の通勤CD(バッハ・ロ短調ミサ)

バッハ・ミサ曲ロ短調/ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ(harmonia mundi FRANCE HMX 2951614.15)
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録音のせいかもしれないが,通奏低音が強めに聞こえる(響きすぎて輪郭がぼやけ気味な気もするが)。ちょっと強調されすぎて,旋律のイメージが薄れる部分もあるが,バロック音楽の魅力はやっぱり通奏低音だということがわかる演奏だ。
終曲ドナ・ノビス・パチェムは何度聴いてもすばらしい。最初にグローリア中のグラツィアス・アジムスで登場するのがオリジナルだそうだが,最終的にミサ・トータとして完成させる際にこの旋律を選んだということに,きっとバッハの思いが込められているのだろう。オリジナルよりさらに深い響きを持つ感動的なこの終曲を聴くと,やはりロ短調は人類の宝だと思う。

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February 21, 2005

今日の通勤CD(バッハ・チェンバロ協奏曲)

バッハ・チェンバロ協奏曲1,2,3,4番/リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団(ARCHIV POCA-3036)
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しんいちろうさんの記事にあったリヒターによるバッハのチェンバロ協奏曲集を選択。
壮麗な響きというのか,重厚な響きというのか,圧倒的なものを感じる演奏だ。特にオーケストラがものすごく立派だ。録音でレベルを調整していなかったらチェンバロのソロはおそらくほとんど聞こえないだろう。チェンバロ相手にここまで歌いきっているというのは最近の古楽器演奏ではまずあり得ない。そもそもオーケストラの編成からしてずっと小さいだろうし。
これはバッハ演奏の一つの解釈としての完成形なのだろうと思う。バッハの音楽はそれぞれの解釈ごとにすばらしく響くから,古楽器の演奏だろうと,モダン楽器の演奏だろうとその魅力は失われないということだろう。器楽曲は普段古楽器の演奏を聴くことが多いので,なんだか得をした気分になった。

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ディマンシュ練習(2/20)

オーケストラ・ディマンシュの練習へ。
初参加だったのでタプカーラはちょっとばかり様子見で弾いたのだが,ある箇所の音符を弥生と同じ感じで音価どおりテヌートで弾いたら「マルカートで短くていいです。」と言われてしまった(苦笑)。でも短くすると軽くなるような気がするんだがなぁ。まあこれも解釈だから,今回はそういうことで。
ドヴォルザークは以前弾いたのである程度はいけるのだが,さすがにちゃんと練習していないとダメだ。かなりごまかしてしまったので,気合い入れて練習しなければ。

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February 18, 2005

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・Vnソナタ,Vaソナタ)

ショスタコーヴィチ・ヴァイオリンソナタ,ヴィオラソナタ/カガン(vn)/バシュメット(va)/リヒテル(pf)(Regis RRC1128)
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今の気分だったらヴィオラソナタの真髄の一部でも感じられるかもしれないと思って選択。
音楽を聴いたり弾いたりする際,私は理屈より感覚から入るので,まずは何かを感じないと始まらないのだが,現在のところ私はこのヴィオラソナタに考えが及ぶほど感じることができていない。でもまあ,70年近く生きた人間の人生観がここにあるわけだから,たかだかその半分程度しか生きていない私がその真髄の全てをわかるはずもないが,少しでも感じるところがあればそれがきっかけになったりするものだ。
というわけで今回もあまり近づけた気がしないのだが,両ソナタともに現れる"sul ponticello"による部分に何かあるのか?ということが妙に気になった。あの部分でわざわざあんな音色を使うというのはきっと何かあるに違いない,と思うのだが考え過ぎか。演奏はどちらもライヴだが,緊張感も伝わってくるし,破綻もなくほぼ完璧な出来だ。おかげで雰囲気はかなり感じることができた気がする。こういう演奏を何度も聴いていればそのうちもっと近づけるのだろうと思うが,通勤の車で聴くには適していない。やはり家でじっくり聴くべきだろう。

そういえば前記事のベートーヴェンの作品に続いて作曲者晩年のものを選んでいる。もしかしてそろそろ私もお迎えが近いのか?(笑)

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February 17, 2005

今日の通勤CD(ベートーヴェン・SQ.15)

ベートーヴェン・弦楽四重奏曲15番/古典四重奏団(ewe ewcc-0015)
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3楽章が聴きたくなって選択。冒頭に「リディア旋法による,病気から回復した者の神に対する聖なる感謝の歌」と記されている,このモルト・アダージョの超然とした音楽を聴いて現実逃避したかったのかもしれない。途中「新しい力を感じつつ」の部分でがらっと雰囲気が変わるが,これだって人間の思考の及ぶ範囲を超えているように思う。世間と隔絶された人の精神世界はやはり常人の及ばない域に達しているということか。遅めのテンポの演奏もこの重厚な響きを存分に伝えていて非常にすばらしい。

『なにもさせずにほったらかしておくパートなど,ここではありえない。たとえ強引にであっても,声を発させること。言葉として語らしめることこそが,弦楽四重奏のエクリテュール(フランス語で書体,文体のこと)としてあるのだ。そしてその強引さこそが,「沈黙は金」であるような発想をうちくだく,語り切れぬところまで語る,のだし,そうでなくてはならぬのだ。言葉で語りきれぬところにきたら,沈黙を守らねばならないと書き記したヴィトゲンシュタインのテーゼを参照するなら,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は,最終楽章のエンド・ポイントにおいて,初めて語り切れぬことが立ち上がる。言葉はそこにおいて,聴き手にむけて,沈黙のなかで,沈黙を媒介にして,委ねられる。(小沼純一)』ということが解説に書かれている。語りきること,語りきれないこと,沈黙と言葉。演奏する際には聴き手に何かを伝えたいと思ってやっているが,自分は語りきっているだろうか。語りきれないと思っていることをまだまだ語れるのではないだろうか。そのために人生経験も演奏技術も増さなければ,と思った。

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ダスビ演奏会(2/13)

ダスバーと全国のショスタコファンにとって一年で最も熱い一日(たぶん),池袋は東京芸術劇場でのダスビ演奏会。

オーケストラ・ダスビダーニャ第12回定期演奏会
指揮:長田雅人(常任指揮者)
曲目:映画「ヴォロチャーエフ要塞の日々」のための音楽 Op.48
   劇伴オーケストラのための組曲(通称:ジャズ組曲第2番)
   交響曲第1番 Op.10
   スケルツォ Op.1(アンコール)
   (すべてショスタコーヴィチ作曲)

1stVnで出演。ダスビ特有の緊張感の中での演奏はやめられない。数年前に比べて団員個々を取り巻く状況が変化したことも原因して,以前のような演奏を期待して来た人には若干不満が残ったかもしれないが,それでも現状での最大限のものを出せたのではないかと思う。

○ヴォロチャーエフ
終曲の合唱が非常に素晴らしく響いていた。オケの最大音量がでかいこともあり,最後のffはちょっと埋もれてしまったかもしれないが,出だしからゾクゾクするような雰囲気で存在感バッチリ,まさに闘う男の心の襞までも表現したと思える歌唱だった。本番に最高の声を出したコール・ダスビの皆さん,ブラヴィーです。
2,3曲目は弦楽器全休なので,映画のシーンを頭に浮かべながら聴くことに専念できた。映画のほうは短く編集されているようだが,組曲は音楽を楽しむのに十分なもの。パルチザンの部隊が鉄条網を乗り越え装甲車も突入,日本軍を敗走させるシーン(日本人がこんな映画見てていいのか?(笑))で使われている部分は感動ものだった。音量,音圧,魂はいつもながらのソ連系ダスビサウンド。
個人的にはなぜか前日から突然間違えるようになってしまった箇所を本番でも間違えてしまったのが悔やまれる。

○劇伴オーケストラのための組曲
変わった配置での演奏だったが,1stVnには大きな変更がなかったので演奏しずらいということはなかった。それでも目の前でアコーディオンやらギターやらサックスやらが鳴っているというのは面白いものだ。チェロやコントラバスの人たちは横一列の配置だったが,相当演奏しずらかったのではないだろうか?終演後に金子建志氏と話したところ,この配置はストコフスキー(だったか?)がやったことがあるらしいが,実演で見たのは初めてだと言っていた。気になっていた聞こえ方については,ホールの特質によるものかもしれないが思ったより問題はなく,管楽器はよく音が回ってきていたとか,弦楽器は「塊」という感じで聞こえた,と言っていた。
演奏はなかなかいい雰囲気が出ていたように思う。本番特有の高揚感によりテンポがかなり先に行く場面もあったが,これも音楽の要求とかけ離れているわけではないのでそれほど気にならなかった(弾くのは大変だったが)。特殊楽器の響きの面白さも客席によく伝わったのではないだろうか。映画にも使われた第二ワルツはサックス陣の当然の名演により客席からブラヴォーが出た(この曲は組曲全曲終了後にアンコールで再演)。クリアさが要求される部分も本番ではけっこううまいこといったように思う。
個人的にはこの曲が今回の演目で最もヤバイと感じていた。細かい動きの精確さが要求される上,普段のショスタコ作品とは違った雰囲気を持っている。本当に最後の最後まであがくことになったが,その効果も多少あって本番でミスがほとんどなかったのでよかったと思う。

○交響曲1番
これまた難曲。オーケストレーションが薄い部分や,わざと難しく書いているようなところが多く,一瞬たりとも気を抜くことができない。「俺の曲を演奏できるのかい?」とショスタコに挑戦されているようなものだ(実際本当に挑戦していたのではないかと思う)。各楽章,各楽器に課題が満載だったが,本番は集中力が切れることなく演奏できたように思う。客席にはどのように伝わったのだろうか。
余談だが,いつもながら最後の練習後の長田氏の発言はいい。今回の要旨は「曲が始まってから何度か盛り上がるが,全部は発散せずにストレスを溜めに溜めて,(終楽章)練習番号44で一気に解放してください。」だった。毎年この最後の発言で一段階意欲が高まるような気がする。ダスビは毎年本番1~2週前の練習で必ず大きく乱れるが,これはショスタコーヴィチを演奏するという思いのオーバーフローみたいなものではないかと思う。そこから本番までのもって行き方はダスビというオケをよく知っている長田氏ならではのものではないだろうか。また,各メンバーの異常なまでの執着心も(私は)他では見ることがないものだ。もちろん,そこまでにちゃんと練習しているのはいうまでもないはずの,「あなたはもう十分できているから,それ以上やる必要ありませんよ。」と言いたくなるくらいできている人が,そこここでとりつかれたように練習している。こういうこともあって本番の一種異様な緊張感が生まれるのだと思う。

○スケルツォ
作品1。13才の時の作品。でもナメてはいけない。ひどく難しい。
CDはロジェストヴェンスキーのものしか出ていないようだが,あのテンポよりかなり速かったことが難度を増した。でもスケルツォ(速度表記はAllegretto)なんだから本来こうでなくてはいけないのだ(たぶん)。そのこともあって細かい動きがクリアに出なかったように思うが,実際どうだったのだろう。こういう場合はテンポを抑えるか,そのまま行くかの決断が必要だと思うが,私は解釈を妥協するよりその解釈を実現するべく努力をするほうを選びたい。
そうは言っても私自身はほとんど余裕がなく,なんとか音程とリズムに関して最低限の要求をこなしたとは言えるが,音楽的な詰めは不十分だった。次回以降はこのような情けないことがないように肝に銘じておこう。

※おまけ:打ち上げ
いつものごとく1次会の途中から記憶無し。2次会会場入りあたりから記憶復活。タバスコ一気男の記憶あり。楽器及び黒服の紛失無し。しかし数年前に比べるとおとなしくなったものだ。特定の人物がいなくなったためなのか,平均年齢の上昇によるものなのか。おそらく前者のような気がするが。

最後に,聴きにいらした方(や関係者の方)がいらっしゃいましたら,コメントなどいただけると嬉しいです。(←正しい日本語は「嬉しゅうございます」らしい。)

以下はブログに感想を書いてくださった方々(ご来場ありがとうございました。トラックバックしました)
yoyogiさん
きのっぴさん
takatakaさん
dubroさん

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February 16, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV17ほか)

バッハ・カンタータ17,27,51,148番/リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団(ARCHIV POCA-3026)
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51番はほかの演奏を聴くことが多いので,このCDもあまり聴くことがなかった。古楽器による演奏が好きなのと,同じリヒターのものでも最初の録音のほうの,速いテンポで浮き立つような雰囲気のものが好きだったからだ。今回久しぶりに聴いてみて思ったのが,この演奏は弥生でやったときの響きに近いのかな,ということだ。冒頭のアリアでのトランペットがかなり強調されて聞こえているところや,コラールでの弦楽器がモダン楽器のソロになっているあたりがそうだ。ソプラノのエディット・マティスはヴィブラート多めなのでソリストの雰囲気はけっこう違うが,こういう響きでも曲の良さは変わらないなぁという感想だ。やはりリヒターは偉大だったということか。

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February 10, 2005

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・sym.7)

ショスタコーヴィチ・交響曲7番/ベルグルンド/ボーンマス響(EMI SERAPHIM TOCE-8910)
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ダスビの本番も近いのでショスタコーヴィチ感を高めたいと思って選択。これは私が初めて買った7番のCD。あまり考えずに安いという理由で買ったのだったと思うが,かなりいい演奏だ。全曲にわたって飽きさせないし,各楽器の気合い,バランスも満足。例を挙げると,終楽章コーダでの第一,第二金管群それぞれと弦・木管も全部ちゃんと主張しているし,打楽器も大満足。現在はEMIのdouble forteシリーズで11番とのカップリングで入手できると思う。

今回このCDを聴いていてなぜか過去のやりとりを思い出した。以前ダスビで一緒に弾いていたS氏とのメールでのこと,
私:「ショスタコーヴィチの音楽に共感する人って、心の痛みの経験が多い人のような気がしませんか?」
S氏:「もし、『 ショスタコーヴィチの音楽に共感する人って、心の痛みの経験が多い人だと思いませんか?』と、原文の表現を変えてよろしければ、わたくしの回答は『思います』となります。」
このやりとりと当時の気分,そのほかのつらかったことなどを思い出してとても切なくなってしまった。

(自分の信念に起因するトラブルに際してのやりとりだったが,この記事の最初の投稿から記事完成までの期間にほぼ同様のトラブルが発生した。この事態は歓迎しないが,トラブルによる心の痛みによって,また一歩ショスタコに近づけるということなのか。)

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弥生演奏会(2/6)

弥生室内管弦楽団第28回演奏会
指揮:小出英樹
曲目:ハイドン/交響曲第103番「太鼓連打」
   シュトラウスⅡ/喜歌劇「こうもり」序曲
   伊福部/シンフォニア・タプカーラ
   伊福部/SF交響ファンタジー第1番(アンコール)

2ndVnで出演。ハイドンと伊福部はトップを担当。
今回一番の目玉は伊福部作品でおそらく最も人気のある「シンフォニア・タプカーラ」。G.P.とリハーサルでヤバイ部分をかなりうるさく言ったこともあり,1,3楽章の土俗的リズムが軽く流れることなくしっかり出せたと思う。2楽章もホールに助けられたところもあると思うが,いい雰囲気が出たと思う。私自身は練習時からの課題を順次こなしながら演奏し,ほぼ満足いくできになるかと思われた。ところが最後の最後,弦楽器に"piu forte"が現れたところで汗により手が滑り,一時は弓を取り落としそうになるトラブルが発生,ラストの打楽器のゾクゾクするクレッシェンドに続く怒濤のリズム攻撃を8割程度の出力に抑えざるを得なかったことが悔やまれる。
余談だが,指揮の小出氏は新響による日本初演(1980年)を聴いて感動し,すぐさま伊福部氏に電話したらしい。スコアが欲しいと言ったところ,日本作曲家協議会を紹介され,配布用に残っていたスコアを入手したそうだ。配布用のスコアはその時点で4~5部しか残っていなかったそうで,このスコアを持っている人はほとんどいないはず,と言っていた。それからは弥生で伊福部作品を演奏するたびにテープを送ったりしているので,伊福部氏も弥生が自作を演奏していることをよく知っているとのこと。今回も本番2日前に伊福部氏から電話があり,「楽しみにしていたが体調不良で行けない。演奏の録音は欲しい。」と言っていたそうだ。作曲者は自作が演奏されるのは嬉しいに違いないから,「楽しみ」というのは当然かもしれないが,わざわざ電話があるというのは演奏する側としてはとても嬉しいことで,気合いも入るというものだ。

ハイドンはリハーサル前に小出氏が「ハイドンでは清潔な演奏を」と発言したことにより,リハーサルでは慎重になりすぎたのか流れが悪かったが,本番にはいくらか冗談で「清潔なんてダメだ。」とか言って臨んだせいか,なかなか流れよく演奏できた。しかしやはり緊張感を持続することができず,散漫な演奏になってしまった部分が多々みられた。ハイドンのユーモア精神は,カッチリ演奏する中にときどき顔を出すところに魅力があるのであり,散漫な中に現れてもちっとも面白くない。このあたりを理解して演奏に臨むという態度が今後の課題だろうと思う。

こうもりは今回の曲目で最も「なんでもあり」な曲だったのと,トップではないということで,いろいろやって楽しんだ。特にワルツの入りで真っ先に音を出すというのを狙い,見事狙いどおり。ビオラのS氏に「やられた」と言わせた(Y氏はお見通しだった)。セカンドとビオラの特に最前列は雰囲気も良く,うまいことアンサンブルできていたと思う。セカンドトップを担当したkaorina。お疲れさまでした。全体としては最後まで細かい部分の,特にヴァイオリンが目立つ部分の精度がよくなかった。これはもう個々の技術と練習量に左右されるので,どれだけ努力したかということが出てしまう。特に弥生は技術があまり高くないプレイヤーが多いので,練習量が勝負だと思うが,私も含め少々努力が足りなかったのだろうと思う。

アンコールはSF交響ファンタジー1番。それほど難しい部分もなく、演奏効果抜群の曲だ(金管楽器は吹きまくって体力がいるかもしれない。あさがら氏はじめ金管楽器の方お疲れさまでした)。アンコールということで最初はカット(石井真木版)による演奏を予定していたが、前週の練習後に新響メンバーが「カットは評判が悪い。石井さんのカットでやったときはひどく評判が悪かった。」と言っていた。そこで、キングコングのところもやりたかった私はそれに乗っかり、他のメンバーと一緒に小出氏に「全部やりましょう。」と言っておいたのだ。そんなわけで、前日のゲネプロで急遽全部(一部繰り返し省略)やることになった。演奏時間としてはカットしたものより2~3分長くなるだけなのだが、カットした部分のキングギドラのあたりは音を間違えやすいのでよく見ておく必要があった。私としてはキングコングのところができてよかったが、アンケートにも「速いテンポでさらっと流す演奏が多い中、映画と同じテンポ設定で雰囲気がよく出ていた。」という趣旨の好評をいただいたので、カットしなかったのはよかったのではないだろうか。

打ち上げは終電までで終了。3次会には8人くらいしかいなかったし,朝までやるという気力体力がなくなってきているということだろうか。とは言っても私はいつも途中で寝ている時間があるので,本当に朝まで起き続けている人の体力消耗具合はわからないが。

最後に,この記事をご覧になった方で,聴きにいらした方がいらっしゃいましたら、コメントでもいただけるとありがたいです。

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February 09, 2005

今日の通勤CD(バッハ・BWV71ほか)

バッハ・カンタータ71,106,131番/鈴木/バッハ・コレギウム・ジャパン(BIS CD-781)
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このCDはよく聴くものなのだが,「今日の通勤CD」をやりだして以降いろいろ聴こうと思っていることもあって9月以来の登場となった。ライプツィヒ以前のカンタータの雰囲気はなんとなく独特のものがあるような感じがして好きなのだ。
リフキン方式に興味を持ったせいか,これらの曲のリフキン方式による演奏を猛烈に聴きたくなった。BCJも最近は合唱の人数を減らしているようだが,この録音では各パート5人(テノールのみ4人)。わりとしっかりした響きがするので,もっと薄めの響きだったらどうなのだろう,きっとステキに違いない,などと思ってしまうのだ。
このCDの演奏はコールトーンを用いている(実際の演奏では移調した楽譜を用いているのだろう。本をちょっと読んだだけなので演奏上の問題などもっと勉強したい)。コープマンもそうだが,この時期(1723年以前)のカンタータはコールトーンで,というのが一般的になりつつあるのかもしれない。BCJの演奏は澄んだ響きを作っているので,ピッチが高いことと併せて実に効果が上がっていて,とても説得力があると思う。
今回気づいたこととして,71番の第3曲はカンタータ4番の第5曲と同じ旋律を使っているように思うが,テキストが違ってコラール定旋律が同じということはあるのだろうか。このへんもスコアがないとよくわからないので,そのうちスコアを入手したい。

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February 02, 2005

弥生練習(1/30)

今回の出席状況
Vn1(7),Vn2(7),Va(5+1),Vc(5),Cb(4),Fl(3),Ob(2),Cl(3),Fg(2),Hr(4),Tp(4),Tb(4),Tu(1),Perc(3)
タプカーラは金管・打楽器が勢揃い。そのうちトランペット2名と打楽器3名の方は「タプカーラを世界一たくさん演奏している」新響のプレイヤー。トランペットのお二方はアマチュア金管楽器吹き憧れのプレイヤーだそうだし,打楽器の皆さんも「あの新響の打楽器」といえば誰でもわかるようなすごい人たちばかり。そんな人たちとタプカーラを演奏できるのだから,本当に幸せなことだ。練習の録音を聴いてみたところ,もうテンション上がりまくり。ヤブロンスキー/ロシアフィル(NAXOS)の演奏は軽く超えている。「そんな演奏なら聴いてみたいぞ!」という方は是非聴きに来てください。コメントまたはメールいただければご招待できます。当日券も出る予定です。演奏会の詳細は弥生室内管弦楽団ホームページの"Concert"をご覧ください。
そんなわけで,練習も当然気合いが入っていた。1,3楽章は打楽器が揃うことでリズムも締まり,金管の団員も緊張感もあってかいつもよりいい感じ。そうなると問題は叙情的な2楽章になる。木管・弦が主体になり,日本の(アイヌの?)叙情を歌う。ビオラのY氏曰く「釧路湿原」の風景だ。打楽器のN氏も言っていたが「2楽章が最も素晴らしい」ので,ここをどう仕上げるかが最後の難関だと思う。練習終了後N氏がニコニコしながら「今日で仕上がったでしょ」と言っていたが,我々にはまだまだクリアしないといけない課題が残されている。
ハイドンもそうだが,弥生は緩徐楽章に弱い。そして速いパッセージがクリアに演奏できない。本番までにどこまで行けるでしょうか。さてがんばらねば。

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February 01, 2005

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・ピアノ三重奏曲1,2ほか)

ショスタコーヴィチ・ピアノ三重奏曲1,2番,トゥリーナ・ピアノ三重奏曲1番/トリプレット(Victor PRCD-5062)
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このCDはショスタコーヴィチの1番のトリオが欲しかったため,以前中古屋で適当に買ったもの。当時はトリオ1番の録音はあまりなかったようだが,最近はかなりの録音が存在しているから,今だったら買わないかもしれない。トリオの2番ははライヴ録音。1番のほうはなかなかいい感じで,美しいメロディーを美しく奏でている,安心して曲を楽しめる演奏だ。2番のほうは調子が悪かったのか(単にライヴだからか),ヴァイオリンがかなり危なっかしい演奏を繰り広げている。解釈も所々「?」と思うところがあって,あまり好きな演奏ではない。失礼ながら「なんか下手な演奏だなぁ。」と思ったのだが,有名な工藤さんのページの「探しています」コーナーに載っているので,きっと貴重なCDに違いないと思って大事にとってあるのだ。ちなみに工藤さんはダスビの練習に顔を出したことがあるので会ったことはあるのだが,私は「その他大勢」だったので工藤さんのほうはまず覚えていないことだろう。
トゥリーナの曲は普段聴かないのだが,今日は聴いてみた。ところどころラヴェルのカルテットみたいな響きがあったりしてなかなか魅力的な曲に思えたが,私にはちょっと似合わない曲だ。今後もそう聴くことはないのではないかと思う。

トリプレットというのは「三連符」という意味あいでつけたのだと思うが,解説によると「3人乗り自転車」とかそういう意味もあるらしい。私としては学生の時分に何かの講義で聞いた「(電子スピンの)三重項」という意味が真っ先に浮かんだのだが,中身も忘れてしまったので検索してみた。そうしたら,「ボース=アインシュタイン凝縮による超伝導」とか私の苦手な物理化学系の難しい説明が出てきたので,「まあそういうことか。」という程度でやめておいた。グーグルではこのCDの「トリプレット」は2件しかひっかからなかったので,現在はどういうことになっているのだろう,と別の疑問がわいてしまった。

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今日のCD(1/31)

「今日の通勤CD」を楽しみにしているみなさまこんにちは。といってもそんな人が何人いるかわかりませんが,「この記事があると,『ちゃんと通勤できてるんだな』と安心する。」と言われたことがあるので,特にその人あてに書いておくと,月曜日は仕事に行っておりません(金曜日も)。kaorina。のブログの記事を見ていただければわかりますが,このところkaorina。が鬱なので仕事を休んで犬吠埼に連れて行ったのです。ちなみに水曜は会議,木曜は講師に行ったので,普段と通勤パターンが違ったため記事はなしでした。
というわけで,往復で聴いた以下のCDもkaorina。の選んだものですが,ちょっとだけコメント。

1.コープランド・市民のためのファンファーレ,ロデオ,ビリー・ザ・キッド,アパラチアの春/ガンゼンハウザー/チェコスロヴァキア放送響(NAXOS 8.550282)
ロデオはなんだかぬるい演奏で,しかもちょっと下手。あまりアメリカっぽくないし,音程外しまくってる。先日同じNAXOSから出た,ロシアのオケが演奏したシンフォニア・タプカーラを試聴して「これはタプカーラじゃないぞ」と思ったが,このロデオをアメリカ人が聴いたら「これはロデオじゃないぞ」と思うんじゃないか。いや,アメリカ人じゃなくてもそう思うかもしれない。いくらなんでもちょっと出来が悪い気がする。2,000円のSACD出してる場合じゃないぞ,がんばれNAXOS。

2.ブルックナー・交響曲3番/クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィル(ALTUS ALT071)
最初の拍手が止んだか止まないかのうちに演奏が始まるのがクナらしい。さすがに盛り上がりのもって行き方はすごい。「ブルックナーの音楽は巨大な建築物」というような表現があるが,こういう演奏がそんな表現を生み出すのだろう。終楽章のコーダなんかは,この曲はものすごい名曲なんじゃないかと思うような演奏だ。この演奏はノヴァーク版第3稿のようだから,改訂時期を考えればこれは気のせいではなく,本当に名曲なのだろう。

3.シューマン・交響曲1番「春」,3番「ライン」/シャイー/ウィーン響/デ・ブルゴス/トリノ放送響(LIVE CLASSIC LCB127)
ちょっと前に記事を書いたので省略。

4.ラフマニノフ・交響曲2番,スケルツォニ短調,ヴォカリーズ/ヤンソンス/サンクト・ペテルブルク・フィル(EMI TOCE-8432)
千葉フィルで演奏したときkaorina。が買ったらしい。私がそのとき買ったのはカットがすごい演奏(オーマンディ/フィラデルフィア管)で,曲の勉強にあまり役立たなかったが,この盤はちゃんとカットなしで演奏している(当たり前か)。私はラフマニノフにはあまり興味がないのでBGM状態。ヴォカリーズは人気曲だけあっていい曲だと思う。ラフマニノフの美質みたいなものがほとんど入っていると思うので,私などはこれだけ聴けばもうお腹いっぱいだ。

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