January 25, 2005
バッハ・カンタータ76,135番/リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団(ARCHIV POCA-3019)

リヒターのカンタータは久しぶりだが,この76番の演奏はちょっとばかり冴えないような気がする。録音のせいかもしれないが,合唱が不明瞭に感じられるのと,歌唱自体ちょっと不安定で,特にソプラノパートの音程がぶら下がり気味なのが気になる。冒頭合唱の後半で"Es ist keine Sprache"と始まるフーガが気に入っているのだが,そんなわけでなんとなく不満なのだ。バスはクルト・モル。リヒターのカンタータ録音では2曲にしか登場していないようだ。けっこう特徴ある声だと思うが,例えば第5曲のアリアで音程が跳躍するところの低音など,重量感があっていい。
135番ではバスがフィッシャー=ディスカウ。同じディスクで違うソリストだと面白い。リヒターのカンタータ録音ではかなりの曲をフィッシャー=ディスカウが歌っているので慣れてしまっているが,比較対照があると実はけっこう異質な歌唱だというように感じる。歌い方はかなりメリハリを強調しているのが明らかで,解説にある「リヒターの音楽づくりから浮き上がることもある。」というのがわかる気がする。曲はマタイで何度も出てくるのと同じコラールが用いられているが,明らかにそうだとわかるのは終曲のコラールで,冒頭のコラールでは定旋律がバスにあるのでわかりにくい。私は解説を読むまでわからなかったが,そう思って聴いてもなかなかわからなかった。テンポが引き延ばされているのと,連続して歌われていないことに加え,他パートの動きに惑わされるからだと思う。
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January 24, 2005
ショスタコーヴィチ・交響曲1,2,3番/バルシャイ/WDR響(BRILLIANT 6275-1)

1番を聴きたくなったのだが,バルシャイのはあまり聴いてないな,と思って選択。3番は途中までしか聴けず。
この激安全集は出たときすぐに買ったのだが,棚にドーン!と置いてあった方が雰囲気があると思い,普通のケース入りの11枚が収まったでかい方のBOXを買った。しかし,今となってはこれのおかげでCDが棚に収まらなくなりそうなので,小さいBOXを買っとけばよかったとちょっとばかり後悔している。まあ,小さい方を買ったところですぐにいっぱいになるから同じことなのだが。
演奏のほうは1番はまあまあ,という感じでそれほど悪くないが,もう少しキレがいいほうが好みだ。なんとなくさらっとしすぎているような気がするが,曲の性質からしてこういうふうになるのが本当なのかもしれない。ケーゲル盤なんかを聴いているから要求が高くなっているのか。
2番はなんとなく冴えない。普通に演奏してもあまり面白くない曲,ということだろうか。サイレンももっと派手にやって欲しい気がするし,シュプレヒコールの後のティンパニや,最後のトランペットもちょっとショボい。サイレンは手回し式のような音がするが,実際どんなものを使ったのか興味のあるところ。
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January 21, 2005
バッハ・狩,農民カンタータ/アルノンクール/アルノルト・シェーンベルク合唱団/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(TELDEC 2292-46151-2)

バッハの世俗カンタータ2曲を,早くから古楽器演奏に取り組んできたアルノンクールの演奏で。
このCDでは,農民カンタータがすごい。というのは,器楽合奏が尋常ならざる気合いなのだ。最近の古楽器団体ではこんな荒々しい演奏はしないんじゃないか,というような音で演奏している。アタックが強めなことと,通奏低音がかなり強力なことが影響していると思うが,例えば序曲などはとてもワクワクしていい。続くソプラノとバスのデュエットもワクワクする雰囲気でまさに「農民」のはしゃいだ感じにぴったりだし,全曲にわたって雰囲気満点だと思う。しかし,新領主が来て税金がどうだとか,罰金がどうだとか,まさに世俗的な内容のカンタータだ。コーヒーカンタータでもそう思うが,演技がないだけでこれはほとんどオペラだと思う。
狩りのカンタータもシュライアー盤(10/14の記事)とはかなり違った演奏だ。速めのテンポでアタック気味の演奏になっているが,私はどちらかというとこういうほうが好みだ。ソリストがちょっと歌いすぎのような気がするが,聴き慣れているせいかあまり気にならない。最近の演奏を聴いたらもしかするとこの演奏に違和感を感じるようになるかもしれないな,とも思う。
余談だが,このCDの日本語解説では指揮者は「アーノンクール」と表記されており,私は今でもアーノンクールと言っているが,最近になってNHKが表記を「アルノンクール」としたので,今回はそれに倣った表記にした。
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January 20, 2005
バッハ・ミサ曲ト短調,イ長調/パーセル・カルテット(CHACONNE CHAN 0642)

CHACONNEというのはCHANDOSの古楽レーベルでいいと思うのだが,CDの背の部分にはしっかり"CHANDOS"と書かれている。ジャケットには"CHACONNE"とでかく記載されているので,とりあえずCHACONNEでいいだろう。
このCDの演奏はいわゆるリフキン方式(ジョシュア・リフキンが提唱した,各パートソリストのみで演奏するという説(=リフキン説)による演奏。詳細に興味のある方はこちら→リフキン氏本人へのインタビュー(毎日新聞),
磯山雅氏へのインタビュー(紀尾井ホール))だ。声楽パートはもちろん,器楽パートも全部ソロ。まあ,パーセルカルテットだから当然といえば当然なのだが。今回そのことに初めて気づいたのだが,我が家ではリフキン方式のCDはこのシリーズの2枚だけ。聞き慣れた演奏は声楽ソリスト以外は合奏(合唱)なので,この演奏はとても新鮮だ。
例えば私が好きな曲では,イ長調ミサの第2曲はソロと合唱が交代で歌うが,合唱部分は各ソリストの重唱状態になっている。この部分が普通の合唱だと,響きが厚くなってソロとの対比が明確になるのだが,ソリストの重唱によるものだと対比はそれほど大きくない。しかし,音楽の雰囲気はリフキン方式ではとても自然に変化し,普通の演奏では合唱部分が過剰に,いくぶん作りすぎといえるようにも感じる。バッハの時代はこのような極めて小さい編成で演奏されたという説であるが,当時の状況を考えれば当然可能性は大いにあるわけで,説得力は十分だと思う。私としてはこの響きがとても気に入ったので,もっとリフキン説による演奏を聴いてみたいと思った。
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January 19, 2005
ワーグナー・楽劇「神々の黄昏」/フルトヴェングラー/スカラ座管弦楽団・合唱団(VIRTUOSO 2699112)

kaorina。が買ってきたリング全曲のBOXから。子供がどうしてもこれがいいと言うので仕方なく聴く。どうもジャケットのイラストが気に入ったらしく,毎日「この火のやつがいい」とか,「この雷のやつ(ワルキューレ)がいい。」と言って聞かないのだ。私はジャケットの左上隅の表記を指して「ここに"more than 4 hours"って書いてあるでしょ。これは ものすごく長いですよ,っていうことで,本当にものすごく長くて聴ききれないよ。」と言ったのだが,「長いの聴く。」と言って譲らない。今からこんなの聴いたってわからないだろうに。しかもとりあえず聴こうとしたら,4枚目を取り出して「これ聴く」と言うのだ。まさに物語はクライマックス。わかって言っているのだとしたらすごいが,まあそんなことはあるまい。
私はワーグナーは苦手なのでほとんど聴かないし,演奏もなるべくしたくないのだが,この曲は以前千葉フィルで一部を弾いたり,テレビで映像を見たこともあるので,多少は馴染んでいる。千葉フィルで弾いた曲目は「ジークフリートのラインへの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」の3曲だったが,この4枚目には後の2曲が含まれている。なるほど何度もいろいろなレーベルから出ているだけあってなかなかいい演奏のようだ。歌手もいかにもワーグナーという感じの声で歌っているし。
でもワーグナーに弱い私はそれほどよくわからないのだ。だって不倫もしたことないのにワーグナーが理解できるわけはないでしょう,と思う。というわけで,ワーグナーを語るのは不倫してからにしよう。
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記事のアップが遅くなってしまったが,昨年のサマーコンサートに続き,コントラバスM氏の誘いに乗って聴きに行った。「私がこのオケを選んだ理由をお聴かせできるかわかりませんが・・・」ということをメールに書かれたら,興味もわくというものだ。
千葉フィルハーモニー管弦楽団 第20回演奏会 習志野文化ホール
指揮:金子建志
・チャイコフスキー・デンマーク国歌による祝典序曲
・ストラヴィンスキー・バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年原典版)
・ベートーヴェン・交響曲第3番
・シュトラウスⅡ・トリッチ・トラッチ・ポルカ(アンコール)
今回の注目はやはりペトルーシュカだろう。金子建志氏もダスビの練習後の飲み会で「ペトルーシュカがものすごく大変」と話していたので,果たしてどうなっているかと思って聴きに行った。適当に出かけたら(実はいつもの練習と時間がごっちゃになっていた^^;)少々早く着きすぎたので,ホール下のダイエー内をうろうろしていたら,2ndVnのお二方と遭遇した。挨拶の後,「今回はどんなもんですか?」と聞いたら,「(ペトルーシュカは)事故が多くて,行方不明者続出で大変。」と言っていたので,「ではそのへんに注目して聴きます。」と言って別れた。先に会った人は多少苦労しているように見受けられたが,本番は大きく乱れることなく演奏されており,千葉フィルらしいな,と思った。個別では,トランペットはさすがだった。K氏は以前から安定した技量の持ち主だが,今回も全音域できれいに鳴らしており,演奏全体の出来に大きく貢献していると思われた。また,弥生メンバーでもあるホルンのN氏とクラリネットのY氏もいつもながらのいい音を出していた。いずれにしてもこの難曲を演奏するには,各プレイヤーに相当の技量が必要なことは間違いないだろう。
チャイコフスキーの曲は初めて聴いたのだが,解説のとおり確かに1812年みたいだった。チャイコフスキーの序曲集があったら,きっと同じ感じの曲が多くて飽きてしまいそうだ。リストの前奏曲集とどっちが飽きるか,という話になるかもしれない(笑)。
ベートーヴェンは今回のプログラムで唯一私が演奏したことのある曲だ。演奏はもう少しベートーヴェン特有のエネルギーを感じさせてもらいたいと思ったが,あまりやりすぎると弥生みたいに下手さがばれるので,このくらいがいいのかもしれない。例えば2ndVnとVaの激しいキザミとか,これでもかというくらい聞こえるといいのだが。倍管で演奏されていたため,弦楽器の特に中声部が埋もれやすかったのも影響しているのかもしれない。そのほか印象に残ったのは,弥生にも何度か来てくれているオーボエのY女史の音が非常によかったこと。それにしても,自分が演奏したことのある曲は演奏時の苦労などを思い出してよくない。胸がざわざわして落ち着かなくなってしまう。
サマーコンサートでも思ったが,1stVnは全般的に安定しており,ストレスなく聴くことができた。前回聞こえづらかった低弦は比較的よく聞こえていたが,ここぞというところでもう少しパワーが欲しいとも感じた。そして,やはり内声は聞こえづらかった。また,あさがら氏が書いているようにこれは千葉フィルの特徴かもしれないが,弦楽器では一部のプレイヤーを除いてたいへん上品に演奏しているように感じた。これは私が千葉フィルから離れた原因の一つなのだが,現在もあまり変わっていないのかもしれない。プログラムに「千葉フィルはやんちゃ坊主」といった内容の投稿が載せられていたが,やんちゃな部分は以前よりかなり少なくなっているように感じた。その分技術的に優れたメンバーが入っているようなので,それはそれでよかったのかもしれないが。
ついでに,今回のプログラム冊子で一番おもしろかった記事は編集後記だ。私が学生オケに入り,オケを初体験した練習でプルトを組んだ(と記憶している)F氏が書いているのだが,数々の「伝説」の真実を本人が語っているという,興味深い記事だった。そのうちの一つは千葉フィルで私とF氏がトップを分担した回の話であり,私が弾いていた後ろでそんなことが起きていたのか,と感心した。そのF氏の演奏スタイルも以前よりかなり大人になっているように見受けられた。それでも一番目立っていたが(笑)。
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January 18, 2005
ベートーヴェン・エグモント序曲,交響曲3番/アーベントロート/ベルリン放送響(TAHRA TAH 490-491)

2枚組の2枚目のみを聴く(1枚目はシューマンとブラームスの交響曲1番を収録)。ベートーヴェンを聴こうと思って最初はクライバーの5,7を手に取ったのだが,7はやめようと思ってこちらに変更。7をやめた理由は千葉フィルで聴いたばかりだから。それと,このエロイカのコーダ以外もちゃんと聴いてみようと思ったし。
エグモント,エロイカ,どちらもかなり攻撃的な演奏で私は好きだ。テンポも速めに演奏されているし,ティンパニの打撃も硬めに入ってくる。乱暴と思える部分もあるが,ベートーヴェンの管弦楽曲はこのくらいの方がいい。ただし録音が悪く,音量が大きいところで細部が聞き取れないのがちょっと残念。カラヤンによってベートーヴェン演奏がつまらなくなったとかいうのを昔なにかで見たが,メジャーレーベルで全世界にああいうベートーヴェン演奏を広めたカラヤンの前には,こういう演奏が普通だったのかもしれない。といってもこれはライブ録音だから,スタジオ録音とは違う熱気みたいなものが割り増されているのかもしれない。
以前の記事に書いた(コメントにコーダの演奏時間を掲示)が,このエロイカの演奏は終楽章のコーダが異常に速い。我が家では暫定世界一だ。そんな猛烈な速さだから,最後の弦楽器のキザミはおそらく演奏不可能だろう。録音が悪くて音がつぶれているので実際どうなっているかわからないが,絶対弾けていないと思う。
もう一つどうでもいいことに今回気付いたのだが,この録音では一楽章の冒頭で非常にタイミングよく咳が入る。ご存じのとおり,エロイカの1,2小節目はそれぞれ1拍目に和音の強奏が置かれ,2,3拍目は休符で全く音がない。そして3小節目から主題が始まるのだが,この1,2小節目の3拍目の裏に狙ったように咳が入るのだ。「ジャン!,2,3(ゴホ),ジャン!,2,3(ゴホ)」という感じだ。誰なんだこいつは!咳が上手すぎる!気になるけどものすごく可笑しい。あまりのことに戻してもう一度聴いてしまった。実際狙ったわけではないと思うが,狙ってやったと思った方がおもしろいので,そういうことにしておこう。
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January 17, 2005
バッハ・復活節オラトリオ,カンタータ66番/ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ(harmonia mundi FRANCE HMX 2951513)

最近まとめ買いしたうちの一枚。(kaorinaの記事参照)
復活節はキリスト教ではクリスマスと同じかそれ以上重要な祝日だそうだが,さすがにそのための曲も祝典にふさわしいものだ。復活節オラトリオは祝典的雰囲気のシンフォニアに続いてオーボエソロのアダージョが続くが,この雰囲気の異なるアダージョがなんとも美しい。そして第3曲にようやく合唱が入るが,ここではまた最初の祝典的な雰囲気が戻ってくる。普通のカンタータならここから始まりそうなものだが,このオラトリオはBWV249a(通称「羊飼いカンタータ」というらしい。未聴)の改作だそうだから,冒頭の2曲は後付けだったりするのだろうか。その後祝典的なのは復活の喜びを歌う終曲の合唱くらいで,それ以外はわりと落ち着いた雰囲気だ。特に第7曲の平安に満ちたテノールのアリアや,第9曲のアルトのアリアがステキだ。この盤ではアルト(カウンターテナー)がカイ・ヴェッセル,テノールがジェイムス・テイラーとなっているが,なんとなくカイ・ヴェッセルの声は私にはしっくりこない気がする。kaorina。と違って私は声楽にあまり通じていないので,あくまで印象だけだが。
カンタータ66番は復活節第2祝日用,つまり月曜日に演奏される曲だ。日本ではこういう祝日はないので(ハッピーマンデーというのはあるが)なんとなく違和感があるが,クリスマスと並ぶ祝日ならこれも当たり前の話なのだろう。ヴァイオリンのオブリガートがステキな第5曲のアルト(恐れ)とテノール(希望)のデュエットがいい。ガーディナー盤(マイケル・チャンス(A),マーク・パドモア(T))に比べてレガートな感じで,歌唱もわりと良く歌詞を聞き取れるが,ちょっと柔らかすぎるかも。でもこの曲の場合,ヘレヴェッヘ盤のほうが雰囲気が出ているような気もする。
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January 14, 2005
モーツァルト・交響曲40,41番/ブリュッヘン/18世紀オーケストラ(PHILIPS PHCP-10511)

約半年「今日の通勤CD」を書いているが,モーツァルトの登場はカペー四重奏団の「不協和音」以来2回目。そんなわけでkaorina。にも「モーツァルトなんか聴いてどうしたの?」と言われる始末。なぜモーツァルトを選択したかというと,理由はこうだ。最近子供があまりにも言うことを聞かないのでどうしたものかと思っているのだが,前日kaorina。が「ショスタコばっかり聴いてるからいけないのかなぁ?」と言うのを聞き,教育的音楽はモーツァルトだろ,と勝手に考えたのだ。実際効果があるかどうかはまったく謎だが。
私のモーツァルト嫌いは中学生の時からで,レッスンでやった「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が原因だ。引っ越しで先生が替わってなかなかなじめなかった頃,このアイネ・クライネのレッスンになった。そもそもこの先生は私に対する態度と,ほかの女の子に対する態度がまったく違っていて気に入らなかった。私には何かと難癖を付けて来るのに対し,女の子にはあからさまににやけ顔で,しかも猫なで声でレッスンするのだ。今思えばただのロリコンオヤジじゃないか。そんな時この曲のレッスンになったのだが,最初の回に「ここはこう勢いよく弾いて。」みたいに言われたのでそれを信じて練習していったら,次の回にそのとおり弾いたところ「そんなふうには教えていない。モーツアルトはもっと美しい音楽を書いたんだ。」とか言われたのだ。確かに私の弾き方は教わったとおりにできていなかっただろうし,美しくなかっただろう。しかし,そんなふうに教えていない,というのはウソだろう。少なくとも「美しく」弾けとは言われなかったと思う。そんなこともあってモーツァルトが嫌いになり,モーツァルトは美しい,などということを聞くたびにあのにやけ顔を思い出して気分が悪くなるのだ。最近はモーツァルトは決して美しくないということがわかったので,かなり聴けるようになったのだが。
さて,40番は「悲しみの交響曲」とか言われるように,悲しい曲という評価が定着しているようだが,私はあまり40番は悲しい曲だと思わない。むしろ41番「ジュピター」の,特に終楽章がものすごく悲しい音楽だと思う。古今東西3本の指にはいるくらい悲しい音楽ではないだろうか。特にコーダから先はものすごく強烈にそう感じ,曲が終わると思うのだ,「なんて悲しい曲なんだ」と。そこでなぜそう感じるのか考えてみた。この終楽章は下降音型に支配されている。バッハが下降音型を「神がキリストに姿を変えて地上に降りた」を表すのに使ったと同様,モーツァルトもこの下降音型に何か滅びの概念のようなものを与えているのではないか。約2小節かけて1音くらいの上昇をした後,わずか1小節の間に1オクターブ下降する。これは時間をかけて到達したものがあっという間に崩れ去る,ということをイメージさせる。その原因は何か抗し難い力,つまり神の意志とか宇宙の真理とか,そんなものであり,その力を表すのが冒頭から現れる4音のモティーフだ。努力して何かを手に入れたとしても,結局は滅んでしまうのだよ,という諦めのような悲しさ。私はそれを感じている。これはモーツァルトも関係していたというフリーメーソンの思想だったりするのだろうか?コーダではこの「抗し難い力」と「到達して崩れる」が強烈に主張し,それがいっそう悲しさを増強する。こんなことを以前kaorina。に話したところ,「人それぞれだからねぇ」とまったく相手にされなかったのだが,最近似たようなことを書いているのをどこかで見たらしく,「同じこと言ってる,と思った。」と言っていた。ま,これも人それぞれなのだが。
ちなみに40番の終楽章を同じように聞いてみると,こちらは上昇音型が支配している。そして上昇した後は下降しない(音は低くなるが)。40番は短調で書かれているだけで,実はとても肯定的で,まったく悲しくない曲に感じるのはそのせいなのか,と勝手に納得したわけだ。
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January 13, 2005
帰宅時北の空に変な雲が見えたので、地震が起きたら「地震雲撮った」と言おうと思い撮影。起きないに越したことはないが。

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ショスタコーヴィチ・ピアノ協奏曲1,2番,2台のピアノのための協奏曲,ピアノ三重奏曲2番/D.ショスタコーヴィチ(p)/サモスード/モスクワフィル/ガウク/モスクワ放送響/M.ショスタコーヴィチ(p)/オイストラフ(vn)/サードロ(vc)(YEDANG YCC-0022)

トリオを聴きたかったのと,ついでにコンチェルトを聴きたくて選択。
どの曲も雰囲気は最高なのだが,中でも息子のマキシムと弾いている2台のピアノのための協奏曲がいい。おそらくこれ以上の演奏はないだろうと思える。最近新譜で買った盤ではこの曲の魅力があまり感じられなかったが,この演奏を聴くと,とても楽しいショスタコーヴィチらしい雰囲気が味わえる隠れた名曲だということがわかる。あまりにいい曲なので自分で弾きたいと思うくらいだが,私はピアノはほとんど弾けないので,カルテット編曲版なんかはないのかと思ってしまう。編曲の技量があれば自分で編曲したいくらいだ。
ほかの曲はショスタコーヴィチのピアノに乱れがあったりするが,雰囲気は最高だ。1番はチープな雰囲気のトランペットがものすごくいい雰囲気だ。このトランペットを朗々と吹かれたら興ざめだが,この演奏は冒頭からものすごく貧乏くさい音がしていい。この音色が全曲通しで聴けるのだからすばらしい。ショスタコーヴィチのピアノも強奏する部分で指を痛めるんじゃないかというほどの音で弾いていたり,猛烈な勢いで弾いていたりしてワクワクする。2番のコンチェルトでも,終楽章のハノンの部分で猛スピードで弾いているうちにかなり乱れ,つられたようにその後のピッコロがかなりメロメロになっていたりする。猛烈なスピードや異常なまでの強奏,そういうのがショスタコーヴィチが思い描いていた音楽なのだろうから,これを弾くソリストは生ぬるい演奏は許されないだろうと思う。そう考えるとトリオは少々地味かもしれない。それでもこれほどの演奏はそうないから,もちろん名演の一つといえるだろう。
ついでに,この盤ではコンチェルト1番の3楽章の最後と4楽章の最初がだぶっている。トラックを切るときのミスだろうが,初めてこの曲を聴いた人はこういう曲だと思ってしまうだろう。「この音型を2回繰り返すのがかっこいいんだ!」と思っていると,実演を聞きに行ったら1回しか弾かず,「なに?間違ったんじゃないの?」とか思ったりして。さすがイェダン。私が持っているのがたまたまミスのあるプレスということだったりするのだろうか。どうなのだろう?
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January 12, 2005
バッハ・カンタータ59,69,179,190番/コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団(ERATO WPCS-6311/4)

このCDは買ってからあまり聴いていなかった。ライプツィヒの第一年巻を中心とする3枚組(+おまけ1枚)の2枚目。
59番は冒頭からソプラノとバスの二重唱だ。これがステキな二重唱で,歌えたら歌いたいくらいだ。私もkaorina。に負けずに声楽の勉強でもしてみるか,なんて。第4曲のバスのアリアもいい。ヴァイオリン独奏とバス独唱がなんとも幸せな雰囲気を醸し出している。この録音では初演時と再演時の曲順変更についての研究に基づいた細工をしているようで,最後のコラールがその細工らしい。確かに音楽的にこのコラールがあった方が落ち着くと思う。バッハ研究はいろいろなアプローチがあるので,こういうことをチェックしだしたらきりがなさそうだ。
69番はバッハ最晩年の作だが,その原曲のBWV69aがライプツィヒ第一年巻の中の一曲で,このセットの3枚目に入っていることから収録されているようだ。さすがに祝典用だけあって華やかな音色の曲になっているが,実際はとても穏やかな印象だ。冒頭合唱の雰囲気は何かまろやかで,やさしげで,心に訴えかけてくるような感じだ。第3曲のアルトのアリアや第5曲のバスのアリアも同じくやさしい感じ。最後のコラールも同様に穏やかな雰囲気だ。こういうのが「癒し」なのか。
179番は全体に速めのテンポで演奏されていて,コープマンらしいちょっと鋭角的な感じが出ている気がする。このへんはおそらくテキストの解釈に合わせてのものなのだろう。そのためだろうが,最後のコラールは柔らかい雰囲気が出ていて,テキストの内容にあった雰囲気だと思う。
190番の冒頭合唱では通奏低音の動きが心躍らせる。終曲のコラールはほかの作品でも使われていたと思うが,どうも思い出せない。それにしても同じコラールで違う楽曲になっていると面白い。ついでに,冒頭合唱から「ハレルヤ」が歌われるのが珍しいと思う。そういえば4番も「ハレルヤ」が最初のほうから歌われるが,多くのカンタータでは終曲のしかも最後で出てくる場合が圧倒的に多い。この「ハレルヤ」というのは日本語訳でも「ハレルヤ」なので意味がよくわからない(そもそも「ハレルヤ」なのか「アレルヤ」なのか。)のだが,神を賛美するような言葉なのだろう。そうなるといろいろ話の流れがあって,だから神は偉大なのだ,ということになり「ハレルヤ」なのだろうから,必然的に最後に出てくることが多いのだろう。だからそういう話の流れでなければ,最初に出てきてもおかしくはないわけだ。なるほど。
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January 11, 2005
バッハ・カンタータ8,125,138番/ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ(harmonia mundi FRANCE HMX 2951659)

最近125番が気に入っている。12/28の記事でも書いたが,テノールとバスのデュエットがいいのだ。この曲の冒頭"Mit Fried und Freud"がタイトルになっているこの盤でもとてもいい演奏が聴ける。テノールはマーク・パドモア,バスはBCJでもソロを歌っているペーター・コーイ。気に入った曲はいろいろな演奏を聴いてみたくなるので,ほかにも探してみよう。
8番もわりと最近(11/22)聴いたばかりだ。こちらはリヒター盤と違い,古楽器団体らしい速めのテンポ設定だ。この曲,何度も聴いていると良さがわかってくる感じ。BCJ主宰の鈴木雅明氏もこの曲が最も好きだとかいうのをどこかで見たが,それもわかる気がする。ちなみにこの盤のフルートは"Patrick Beukels"というプレイヤーのようだが,どんな人かと思って検索してもうまく探せなかった(名前の読み方もよくわからない。ベウケルスとかでいいのか?)。ヴィブラート少な目の,軽めで素直な音がなかなかいい。
138番は第5曲のバスのアリアや終曲のコラールが気に入っている。いつも気に入るのはこの手の曲なので,私は軽快な伴奏に乗せて歌われる曲が好きだということがわかる。もちろんそうでない曲も好きな曲はたくさんあるが。
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休みの間実家に預けていた子供が帰ってきたのだが,帰ってくるなり「おしっこ!」とトイレに行った。今までは洋式便所に補助便座をのせて座って小便をしていたのだが,今日は「立ってできるんだよ。」と自慢げに言うので,洗面所で使っている踏み台を用意してやった。するとまあまあ上手いことやっていたので,「進歩したなぁ」と思った。その後踏み台を使って水を流し,手を洗うところまで教えたが,ここまで身に付くまでにはもう少しかかりそうだ。踏み台ももう一つあったほうがいいかもしれない。風呂上がりのパジャマへの着替えも,自分で上着の裾をズボンの中に入れるようになっていた。今まではただ着るだけだったのだから,これも進歩だ。
こういうふうに突然何かが身に付くことがあるのは面白い。さて,次はいつ何が起こるのか。希望としては「ちゃんと聞き分けが良くなる」とかいうのがいいなぁ。
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麻婆茄子
余っていた長ナスと挽き肉を消費できるということで,今夜はこれ。ネットで検索してちゃんとたれも自作したが,とろみが少し足りなかった。次は片栗粉を多くしよう。最後に酢を入れるのも忘れた。でも美味かった。今日の分は材料費300円くらい(たぶん)。
参考にしたところ
1.超簡単!うさうさレシピ:麻婆茄子@本場四川風
2.gooグルメ&料理:レシピ:麻婆なす
作り方
(大人2人分で長なす3本,挽き肉200g,長ねぎ1/2本使用)
1.なすを適当に切って(今回は上下半分に切ってからそれぞれ8分割した)水に浸してあく抜きしたものを,油(大さじ4くらい?)をひいた中華鍋で炒め,皿に取る。
2.挽き肉を水分が飛ぶくらいまで油(なすを炒めた残りを使った)で炒め,酒(大さじ1),醤油(大さじ1),甜面醤(大さじ1)を加えてさらに炒め,皿に取る。
3.ニンニクみじん切り(3片分),おろししょうが(小さじ1くらい),豆板醤(大さじ1と1/2),トウチ醤(小さじ1)を油で炒め,2の肉味噌を加えて炒める。これにがらスープ1/2カップを注ぎ,酒(小さじ1),醤油(小さじ1),砂糖(小さじ2),塩(少々)を加えて煮立たせる。
4.1で炒めたなすを加え,再び煮立ったら水溶き片栗粉でとろみをつけ,長ねぎみじん切りを加える。さらに様子を見ながらとろみをつける。最後に酢(小さじ1)を加えて(←忘れた)できあがり。
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今回の出席状況(Vn1:6,Vn2:6,Va:5,Vc:6,Cb:3,Fl:3,Ob:1,Cl:1,Fg:1,Hr:3,Tp:2,Tb:0,Tu:0,Perc:0)
本番も近いせいか参加者も多く,わりと練習らしい練習になった。
ハイドンはまだまだ荒っぽい。どの曲に対しても同じようにやっていてはこの状況は変わらないだろう。もう少し音の出し方に気を遣うよう促さねば。リズムの甘さも相変わらず。リズムが甘いから走る。だから下手くそに聞こえる。これはちょっと気をつければなんとかなると思うので,こちらもしつこく言うことにしよう。
こうもりはけっこうそれらしくなってきた。あとは音程の悪さが目立つところをなんとかすればそこそこ行くだろう。古典の曲と違ってこういう曲はごまかしがきくということだろうが,本当はごまかしはいけないんだよなぁ。
伊福部もまあそこそこまで来た。こちらも細かい部分の精度を上げる必要があるが,それなりに聞こえてしまうところが危険かもしれない。
全体に感じることは,集中力がすぐ途切れること。こうもりは時間も短いのでなんとか保っている感じだが,あとの2曲はかなり危ない。特にハイドンの2楽章などは半分も行かないうちにもうダメな感じ。この2楽章は私自身もかなり意識していないと集中力の持続が厳しいと感じているが,集中力を保って意識して演奏しなければ音の垂れ流しになってしまう。こういうところが演奏の質に影響するのは明白なのだが,どれだけの人が実践しているのだろう。とにかく譜面を音にすることに精一杯では音楽も何もあったものではない。やはり練習不足なのだろうから,本番までにきっちりさらい込んでいかなければ。
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合宿の1日目のみ参加。
1番をみっちり練習。そろそろ仕上げ段階なのでテンポの変化などにも手が入るが,もう少し各人が精度を上げないとちょっと苦しい感じ。今回は人の集まりも少々良くないので,影響が出ていると感じる。自分自身も含め,あと一月気合いを入れよう。
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January 07, 2005
「毎日ひたすら夕食のメニューを書くblogもある。」とのkaorina。の一言にのせられ,とりあえず始めてみる。(もちろん不定期)

なすとトマトのチーズ焼き
先日買ったニンニクの袋に付いていたレシピを見て作りたくなったのでやってみた。
なす,トマト,ベーコンをグラタン皿に入れ,チーズをかけてオーブンで焼く。けっこう簡単で美味い。今日の分は材料費250円くらい(たぶん)。
作り方
(大人2人,子供1人分で長なす1本,トマト1個,ベーコン2枚使用)
なすは5mm幅に切り,水に浸してあく抜きする。水気を切って,オリーブオイルをひいたフライパンで中火で軽く焼く。軽く塩こしょうで味付けする。トマトは5mm幅に切る。ベーコンは適当な大きさに切る。
ニンニクをグラタン皿の底にこすりつけて香りをつけ,なす,トマト,ベーコンを適当に並べる。軽く塩こしょうしたら,オリーブオイル大さじ1を回しかけ,ピザ用チーズを覆うようにのせる。(オリーブオイルをかける前にオレガノとタイムをかけるといいらしい。)
200℃に予熱したオーブンで約15分焼いてできあがり。
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January 06, 2005
ショスタコーヴィチ・交響曲13番/サフューリン(bass)/ロジェストヴェンスキー/ソ連文化省響(MELODIYA MCD 132)

先日子供が「怖いのはイヤだ」と言った盤だが,今度は「怖いのがいい」と言うので選択。
演奏自体は悪くないと思うが,聴く分にはそんなに怖い感じではない。おそらく録音が悪いことが影響していると思う。特に1楽章で妙に弦楽器が聞こえずらかったり,肝心の鐘が聞こえなかったりする部分が多いので,そういうのを期待しているとなんだか拍子抜けだ。
とは言っても,そういうことが気になるのは1楽章くらいで,2楽章以降は十分堪能できる。全曲の終わり間近のヴァイオリンとヴィオラのデュエットになる部分はとても美しい。これを聴くと頭の中をあれこれと思いがぐるぐる回る感じだ。やっぱりこの曲は何度聴いてもすばらしい。
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January 04, 2005
ショスタコーヴィチ・弦楽四重奏曲1,3,4番,弦楽四重奏のための2つの小品/ショスタコーヴィチ四重奏団(OLYMPIA OCD 531)

前半の小品と1番はけっこう普通な感じだが,3,4番はいい。最初はなんとなく聴いているが,途中から惹きつけられる感じ。
3番はベートーヴェンカルテットと違って出だしの雰囲気が柔らかめだが,だんだん異様な雰囲気がムンムンしてくる。聴いているうちに音楽にぐいぐい引き込まれてしまい,3番は名曲だと認識する演奏だと思う。
4番は終楽章がとても好きなのだが,こういう演奏は感情を高揚させられてしまう。感情が高まって一定レベルを超えると人間は涙が出るというが,そういうことが起こる演奏だ。まあ,私だけかもしれないが。
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January 02, 2005
皆様,新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて,我が家では年越しで宴会をしていました。5人で鍋をやり,酒を飲んで年を越しました。にぎやかな年越しもいいもんです。年越しの瞬間はもちろん「東急ジルベスターコンサート」です(当然テレビで)。なんといっても同級生が出演しているので毎年これです。今年は大野和士でボレロでしたが,毎回カウントダウンに合わせて曲を終わらせる演出はよくやるな~と感心です。年越しで演奏する人たちも本当にご苦労様です。あとでメールを出したら,翌日は一日死んでいたと返事が来ました。年越しの仕事なんて,私には考えられません。サービス業(?)おそるべしです。
そのあと実家から連絡があり,弟(三男)の車が故障したというので牽引の手伝いに行きました(もちろん運転は弟(次男))。弟は救援を待つ車の中で年を越したとか。なかなかハードな年越しです。車のほうは翌日バッテリーを交換し,プラグを掃除して動くようになりました。作業自体は簡単だったのですが,バッテリーとプラグレンチを買わなければならず,近所のイエローハットに行きました。元日から開いているなんて,最近は本当に便利です。
さて,私がそんなこんなで家を空けている間,kaorina。はずっとクラシカジャパンでクライバーの映像を見ていたそうです。シュトラウスのこうもりから始まり,ベートーヴェンやブラームスをやっていたとか。感想は「やっぱりクライバーはすごい」と「やっぱり"俺ボウイング"はいい」だそうです。それを聞いて,今年は「俺ボウイング」を提案してみようかと思いました。ずっと以前から,ボウイングの辻褄を合わせるために意見が対立したり,結果おかしなことをやるのが気にくわなかったのですが,ボウイングを揃えないというのは勇気がいることです。そのあたりをうまく解決できる方法がないか考えてみるのもいいかな,と思ったわけです。
今年も最初からまとまりませんが,このへんで。
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