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November 29, 2004

今日の通勤CD(ベートーヴェン・SQ.12)

ベートーヴェン・弦楽四重奏曲12番/古典四重奏団(ewe ewcc 0012)
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ベートーヴェンの後期四重奏曲は難解だと言われるが,理解するとかあまり考えずに聴く分にはどれも名曲揃いでとてもすばらしい。12番は妙に平和な気分が漂っていて,何かあったのか?と思わせるところがあるが,音の重ね方などはベートーヴェンらしい力のある曲だと思うし,何度聴いても生きた魅力というようなものを感じる。ここから後期の5曲の弦楽四重奏曲が始まったのだなあ。ベートーヴェンはやっぱりすごいのです。
古典四重奏団は,水野修孝氏の退官記念演奏会で初めて聴いて以来ファンになった。なんといっても全てを暗譜で演奏するというのがすごい。件の演奏会の打ち上げでそのことについて話を聞いた人がいる(私はそのとき同席していなかった)が,なんでも最初の小節から少しづつ暗譜していくそうだ。少しづつといったって膨大な量があるのだから,全て覚えて,しかも曲を理解して,構築していくのだから並大抵の所業ではない。まあ,暗譜するほど譜面と対峙するのだから,曲を理解するのは当然なのかもしれないが。

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November 25, 2004

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・Sym.6,12)

ショスタコーヴィチ・交響曲6,12番/ロジェストヴェンスキー/ソ連文化省響(OLIMPIA OCD 111)
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「今日はどれにしようかねー。」とCD棚を眺めていたら,「ショスタコ!」と子供が言うので選択。「カッコいいショスタコがいい」と言うので,最初はダビデの星のジャケットのバビ・ヤールを手にしたのだが,子供が「怖いのはイヤだ」というのでこちらに変更。(ジャケ買いみたいだ(笑))
このCDの演奏は重量級というか,とにかく音がビシバシ襲いかかってくる感じ。それがまたカッコイイ。と思って聴いていると,ここぞというティンパニが妙にショボく聞こえたりする。音が遠いように聞こえるので,おそらく録音状態によるものだと思うが,こんなのを生で聴いたら完全に打ちのめされそうだ。こういう演奏は好き嫌いがあるだろうが,はまるとやめられない。

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November 22, 2004

今日の通勤CD(バッハ・BWV8ほか)

バッハ・カンタータ8,96,100番/リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団/アンスバッハ・バッハ週間管弦楽団(ARCHIV POCA-3027)
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100番は機会不明だが,三位一体節後第15日曜日用か三位一体節後第12日曜日用または婚礼用などと推測されているらしい。そんなこともあるせいか,この曲にも世俗作品ぽい魅力があるように感じる。華やかな冒頭合唱に続き,生き生きとしたアルトとテノールのデュエット。続いて3曲のアリア(ソプラノ-バス-アルト),そして終曲の合唱。これらの雰囲気から,「婚礼用」というのはかなり説得力があると思う。
8番の冒頭合唱はシンフォニアかと思うくらい器楽部分が長く,一旦終止した後におもむろに合唱が入ってくるところがステキだ。今回聴いて妙に気に入ってしまった。バスのアリアでのフルート(この盤ではニコレが吹いている)の躍動感や,終曲のコラール合唱の響きなども魅力的だ。
96番ではテノールのアリアでのフルートに現れる妙に耳につく跳躍音型が楽しい。それに対して,テキストがそういう内容だからだろうが,深刻な雰囲気のバスのアリアが対照的だ。もちろん終曲のコラール合唱はそういった内容をまとめる雰囲気を持っている。
聴くたびに魅力を発見できるのがバッハのカンタータのすばらしいところだと思う。

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November 20, 2004

反抗その2

子供の反抗について書くのは昨日の今日だが,今度は近所の高校の自転車置き場の脇でイヤイヤをして泣き叫び続けた。ものすごい大声で周辺に響き渡るほどのイヤイヤをしていたので,自転車で帰ろうとしていた女子高生がその様子に驚いたのか10分くらい眺めていた。挙げ句,笑いながら「大丈夫?風邪ひかないようにね。」と声をかけて去っていった。
もっと早く抱きかかえて帰った方が良かったのかもしれないが,簡単に要求を通すのもどうかと思っていろいろ説得を試みたのだが無駄だった。反抗期だとそういう努力は無駄みたいなので,そんなもんかと思って対応したほうがいいのかもしれない。見極めが難しいものだ。

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November 19, 2004

反抗反抗また反抗

最近子供がことあるごとに反抗する。よくわかるように「こうこうこうだから,こうしなさい。」と説明しているつもりなのだが,まったく聞く様子もなく逆のことをやっている。挙げ句の果てに「お父さんなんかウンチになればいい。」とか言う始末だ。ウンチはないだろう,まったく(笑)。父親がウンチになったら収入源は絶たれるし,死んでないから生命保険も使えないし,君は飢え死んでしまうのだよ。と言ったところでわかるはずもないが。
しかたがないので,「それならやらなくていいよ。」と言って,相手をするのをやめると泣きわめきながら「やる~!!」と言ってくる。ほとんどのことで一度は泣きわめかないと事が進まないので時間がかかって仕方ない。ちょっと遅い第一次反抗期なんだろうか。これがしばらく続くのかと思うと,まったくやれやれだ。

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November 17, 2004

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・森の歌ほか)

ショスタコーヴィチ・森の歌,我が祖国に太陽は輝く/ユルロフ/モスクワフィル/イワノフ/ソ連国立響(RUSSIAN DISC RDCD 11048)
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なぜかこのCDを手に取ってしまった。体制賛美のキャンペーンソング集みたいな内容だが,そんなことを考えずに聴くのもまた一興。どうせ歌詞は聞き取れないんだし。
これらの曲にはショスタコーヴィチの「職人技」が発揮されていると思う。おそらく彼にとっては全くどうでもいいテーマについて作曲しているにもかかわらず,音楽としての仕上がりは素晴らしいと思う。こんな曲を使って国民を洗脳しようとするのだから,やっぱりソ連というのは恐ろしい国だったのだ。
初めはツァーリの専制から民衆が取り返したはずの「国」だったのが,いつの間にかまた「共産主義体制」とやらに牛耳られる「国」になってしまった。そして従順な盲目の羊を育成するために音楽やそのほかの芸術を利用する。
このCDの曲は,そのための歌詞が付いているから,解釈は制限されてしまう。しかし,歌詞さえなければ解釈は自由だ。だからショスタコーヴィチの音楽は二面性を有するのだ。音楽の意味は直接的ではない。それぞれの聞き手がそれぞれのベースに則って聴くのだから,感じ方は千差万別だが,素直に聴けば道は開けるのだ(たぶん)。

どういう偶然か,昼休みに職場の人と「国」について議論した。日本人は「国」というものの概念が曖昧なので,もう少し「国」というものについて考えた方がいいのではないか,と私は発言した。選挙の問題にも絡んだ話しになったので,個人が考える「国」が正体不明だから,「国」をどうするかということに興味もなく,「よくわからないうちに勝手に選ばれたらしい政治家に好き放題やられている」,という状況になっているのではないかと。
敗戦のトラウマで「国」というものについて考えることをやめてしまった戦後教育が産んだ最大の失敗なのではないかと思う。今からでも,「国」というものについて真剣に考える必要があるのではないだろうか。例えばパレスチナやイスラエルの問題は,「国」というものを考えるためのヒントになるのではないだろうか。少なくとも我が家ではそういったことを話題に挙げていきたいと思った。
国境が海である日本は幸いにも「国」ということを考えなくても今までなんとかやってくることができた。もちろん「愛国心」と混同されている「島国根性」という弊害も生まれた。「国際化」という,一見「国なんか関係ない」とも見える動きが当たり前になってきているが,「国」があってこその「国際化」ではないだろうか。だからこそ「国」というものについての考えをはっきり持っていなければいけないのではないだろうか。
「国」というのは決して「国の役所」という仕組みを指すわけではなく,戦争を招いた「帝国主義」という概念を指すわけでもなく,もっと精神的な,何か遺伝子に組み込まれたようなものなのではないかと思う。特に音楽をやっていると,「ドイツもの」とか「ロシアもの」「フランスもの」なんて言うこともあり,「国」というものが人間の精神に重要な影響を及ぼしていると思う。伊福部氏や芥川氏のような日本人が作曲した曲を聴いたり演奏したりすれば,そのことを感じることができる。
当然私の考えに反論もあったし,だれ一人として同じ考えもなく,まったくまとまらない話であったが,そう簡単に決着がつく話ではないと思う。CDを聴いてここまで考えるのは考え過ぎかもしれないが・・・

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November 11, 2004

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・Sym.12,ステンカ・ラージンの処刑)

ショスタコーヴィチ・交響曲12番,詩曲「ステンカ・ラージンの処刑」/ダルヤン/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管/フォーゲル(Bass)/ケーゲル/ライプツィヒ放送響&合唱団(PHILIPS 434 172-2)
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このCDは「ステンカ・ラージンの処刑」の名盤の一つである。
まだショスタコ歴が浅かった頃,弥生の某氏と飲み会で話していた際,私が「バビ・ヤール」が好きだと言うとすかさず「ステンカ・ラージンの処刑」が名曲だから聴いた方がいい,と勧められたので,必死で探して買ったのだ。いやー,いい買い物をしたものだ。
歴史上はかなりの悪党であると思えるステンカ・ラージンであるが,このエフトゥシェンコの詩では英雄にされている。まあ,芸術作品なので「四裂きの刑」が「斬首刑」になっているなど史実と相違する部分もあるから,そんなことはどうでもいいわけだが。
とにかく音楽は名作だ。ラージンが処刑場に曵き出されるところから,処刑の直後まで,異常なまでの緊張感が続く。この演奏はまさにそれを実現しているところがすばらしい。当然ショスタコ好きとしては,体制に逆らって粛正された人々を思い浮かべて更にテンションが上がるわけだ。いつ聴いてもゾクゾクする。
この記事を読んで「処刑」を聴きたくなった方に一点ご注意申し上げますと,「KOCH」から出ているCDを聴くのはお勧めしません。とってもやる気のない演奏で,緊張感もほとんどありません。現在入手しやすいCAPRICCIOのユロフスキー盤か,まだ入手可能かもしれないDANTEのコンドラシン盤をお薦めします。

交響曲12番。「森の歌」と並び「駄作」と評される作品である。各楽章に付いている「革命のペトログラード」「ラズリフ」「アウローラ」「人類の夜明け」という,どこかの映画のタイトルみたいなものも駄作っぽさを醸し出している。
聴いても大興奮,演奏するともう大興奮,といった趣の爆裂系音楽なのだが,終楽章はちょっとショボい。そしてクドい。なぜか?
終楽章のタイトル「Заря человечества」は通常「人類の夜明け」と訳されているが,原語の「Заря(ザリャー)」は「太陽の出ていない薄暗い状態」を指し,夜明け前でも日没後でも同じだそうだ。(参考:オーケストラ・ダスビダーニャ第8回演奏会プログラム)
これに加え,近年言われだした「Es-B-C」がスターリンのイニシャルを表しているという説,個人的に感じている終楽章冒頭のテーマが「怒りの日」の主題に似ていること(仮に人類のたそがれ主題とする),ということもひっくるめて考えた。
コーダではファンファーレの中にスターリンの主題が現れ,突然循環主題(1楽章の第2主題など:仮に革命の理想主題とする)が回帰した直後に人類のたそがれ主題が上塗られ,さらにゆがんだファンファーレが吠えたてるところにまたもやスターリンの主題がユニゾンで割り込んでくる。最後は訳もわからず吠えたてているような暴力的で白々しいファンファーレの中,革命の理想主題はなくなり,人類のたそがれ主題の断片とスターリンの主題がしつこく繰り返される。
そこで,ショスタコ好き特有の勘ぐりというやつで,スターリン時代のソ連の異常さを音にしたと理解したくなるわけだ。要約すると「革命の理想は今や死に絶える寸前,理想の国家・国民を讃えるはずだったのに,気付かないうちに国家権力を我がものにする独裁者を讃える社会に変質している。」という,ショスタコがらみのよくある解釈になるわけだ。これはやっぱり人類のたそがれだと思う。
ショスタコ作品の中でも「駄作」と言われているうちの一つだが,「駄作」だったからこそ演奏可能だったのであり,現在まで存在しているわけだ。加えて,作品番号で言えばこの作品の直後に13番「バビ・ヤール」があるのもショスタコマニアの勘ぐり精神を刺激する。
さらに,この作品についてのムラヴィンスキーの演奏がなぜか冴えない(いつもの深みがない)ように感じるのは,この作品の意味を体制側に気付かせないためだったと考えるのは考え過ぎか。ムラヴィンスキーはそうしてショスタコーヴィチの命を守ったのだ,なんてね。
この曲を聴いた数日後,日没前後の犬吠埼で灯台の背景の空の色が微妙に変化していく様を見ながら,頭の中では「人類のたそがれ」が鳴りひびき,こんな考えがぐるぐると回っていた。

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November 02, 2004

今日の通勤CD(バッハ・ロ短調ミサ)

バッハ・ミサ曲ロ短調/レオンハルト/オランダ・コレギウム・ムジクム・バッハ合唱団/ラ・プティット・バンド(deutsche harmonia mundi BVCD-1836〜37)
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某氏の言葉を借りると,ロ短調は人類の宝だ。
今回思ったのは,「やっぱりクレドは素晴らしい」ということだ。素晴らしいのは当たり前なのだが,聴けば聴くほどクレドの魅力を感じる。最初はグローリアなどに惹かれ,クレドは地味な印象を持っていたが,何度も聴いていると「クレドは素晴らしい」と言いたくなってしまう。クレドさえあれば幸せ,という感じだ。もちろん,全曲が素晴らしいのは言うまでもない。でもやっぱりクレドはいいなぁ。

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November 01, 2004

今日の通勤CD(ショスタコーヴィチ・ピアノ五重奏,SQ.2)

ショスタコーヴィチ・ピアノ五重奏曲,弦楽四重奏曲2番/ショスタコーヴィチ(Pf)/ベートーヴェン四重奏団(VANGUARD CLASSICS OVC 8077)
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ピアノ五重奏は名曲だ。最初のピアノが鳴り,弦楽器が入ってくるところからいきなり感動ものだし,随所に現れるショスタコらしいステキな響き。4楽章の胸を締め付けられるような音楽のなんとすばらしいことか。終楽章は意外なほど平和な雰囲気な上,あっけなく終わってしまうが,もったいつけずにさらっと終わるのがカッコイイと思う。
ピアノはショスタコーヴィチ自身が弾いているが,3楽章中間部でピアノがリードする場面の突進はいつ聴いてもすごい。他のメンバーを無視して勝手に弾いているような気もするが,これを聴き慣れるとこうじゃなきゃいけないような気がしてくる。

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