October 31, 2004
ヴォロチャーエフはそんなに難しくないが,1番はとても難しい。無理に難しく書いてある気がするが,卒業作品で気合いが入っていただろうから,たぶんそのとおりなのだろう。落ちたり飛び出したりがまだかなりあるので,そのあたりは早いところきちんとできるようにしないといけないだろう。
今回はVnの参加決定者が少ないせいもあり,出席者が少ない。こんな状況が続いていては全体の方向性が揃いずらくて良くないと思う。なんとか参加者が増えないものか。というわけで,興味のある方はダスビホームページの下の方にある問い合わせ先にぜひ!参加条件は(1)オケでヴァイオリンの演奏経験がある,(2)練習にある程度参加できる,(3)参加費を払うことができる,(4)ショスタコーヴィチまたはダスビに興味がある,くらいですので,あまり堅苦しく考えずにどうぞ。
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October 29, 2004
バッハ・カンタータ22,23,75番/鈴木/バッハ・コレギウム・ジャパン(BIS CD-901)

あまり聴かない盤を選択。ここが好き,というのがないとあまり聴かないので,こんなふうにときどき聴いて新しい発見があると楽しい。今回は22番の終曲合唱がとてもいいことに気づいた。「コラール」とは書いていないのだが,コラール合唱のように思うが,どうなのだろう。詳しい人はすぐわかるのかもしれないが,私の場合はキリスト教関係は幼稚園だけだったので,そのへんの知識が貧弱なのだ。
いつも思うのだが,BCJの演奏はアタックが強くないのがいい。弱奏の場合なんかは,空気を乱すことなくすっと音が入ってくるようなイメージがとても気に入っている。当然アタックが必要な部分はちゃんとやっているので,なんでもかんでも同じ,というわけでないことはいうまでもない。
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October 28, 2004
バルトーク・ピアノ協奏曲1,2,3番/アンダ(Pf)/フリッチャイ/ベルリン放送響(DG POCG-3608)

記憶によると「この曲の名盤」ということで買ったんだと思う。ハンガリー出身の指揮者とピアニストが,自国の作曲家の曲を演奏するのだから,それは特別なものだと思う。
どれもバルトークらしい曲だと思うが,1番が最も土俗的な色合いが濃いような気がする。1番や2番は土俗的なリズムがステキで聴いていてとても血が騒ぐ。フン族はアジア系だから,日本人にも共通するものがあるのかもしれない,などと考える。3番はどちらかというとリズムより響きを重視しているようなイメージなのだが,バルトーク最後の年の作品だから,作風が変わっているというのは当然のことだろう。
kaorina。が「うちにこんなCDがあったなんて知らなかった。」と言っていた。ほとんど聴かないCDも多いから,kaorina。が存在を知らないCDがけっこうあるのだ。
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October 26, 2004
なんと,エキストラも含めて金管がずらりと並んだ。それに比べて2ndVnの惨状は・・・
・今回の出席者(1stVn:5,2ndVn:2,Va:4,Vc:2,Cb:2,Fl:1,Ob:3,Cl:1,Fg:1,Tp:2,Hr:2,Trb:4,Tub:1,Perc:0)
こうもり:版の検討が済んで,ようやくほぼ確定した練習ができるようになった。それぞれ練習して大分弾けるようになってきたので,そろそろ音楽面にも手をつけられるようになるだろうか。
いふくべ:何度かやっているので,慣れてきた人は変拍子にもかなり対応できるようになってきたが,まだまだそれだけではまったく不足だ。音の処理とかそういうところに気を遣えるようにならないと,ただ音を並べているだけの域を出ないだろう。もうそろそろそのあたりに取りかかりたいものだ。
しかし,伊福部のパート譜には不備がかなりあるが,その訂正に時間を割かれる場面が多かった。以前の記事で「他のパートの人たちはちゃんと確認しているのだろうか?」と書いたが,やはり確認していなかったということだ。そんなものは練習に来る前にきっちり確認して直しておくものだと思うのだが,いかがだろう。こういうところで意識の低さが露呈してしまう。まあ,2ndVn以外のパート譜は見た目もかなりきれいで見やすいので,そんな不備があるとは夢にも思わないのかもしれないが,初回練習で不備が発見されているのだから,少なくとも弦トップはその程度はやっておかないと話にならないと思うし,管楽器ももちろんそうだ。kaorina。の記事にもあるが,こんなふうに思っている人は多いのでは?
それに,今回練習が始まってから一度も出席していない人がいるが,その人がパート譜の間違いを直していなかったらたぶん私は頭に血が上るだろう。アマオケだから都合で練習に参加できないことがあるのは仕方ないと思うので,全部出席できないことにとやかく言うつもりはないが,出てきた時くらいきっちりやってほしいものだ。新響なんかは3回休むと席がないと聞くから,そういうところが高いレベルを保っている一因だと思う。さすがにそういう「鉄の掟」みたいなのは特別だと思うが,ある程度の厳しさは必要だと思う。練習にたまにしか来ないなら来たときくらいは完璧にこなせ,というのは求めすぎだろうか。たまにしか来ないで,ちゃんと演奏できず,しかも文句ばかり言っているようではまったく話にならない。それとなく言っても効果がないので,思い切ってストレートに伝えるしかないのだろうか。あぁ,イヤだなぁ。
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台風で練習が中止になったり,市原フィルの演奏会にトラで出たりしていたので,3週ぶりに練習に参加。
ようやく「ステージオーケストラのための組曲(通称ジャズ組曲2番)」のパート譜が揃い,全曲中の半分は初見で音出し。それでもそれなりに通るのだからみんなショスタコが好きなんだよなぁ。まあ,曲がそれほど難しくないということもあるが。しかし,これでやっと心おきなく練習できるというものだ。
1番はさすがに難しいのでまだまだの印象。かなりさらい込んでいる人もいるが,そうでない人もけっこういるので,自分も含めてもっと個人練習が必要だと感じた。気合い入れて年内には一旦仕上がるくらいにしたいものだ。
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October 25, 2004
ショスタコーヴィチ・ヴァイオリン協奏曲1,2番/オイストラフ(Vn)/M.ショスタコーヴィチ/ニュー・フィルハーモニア管/スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立響(intaglio INCD 7241)

こんなライヴを聴かされたらもうたまりません,という印象の一枚。その証拠に演奏が終わった瞬間の拍手と歓声はすごい。1番も2番もこんな難曲をライヴでこれだけ弾くなんて驚異的だ。さすがオイストラフ。録音でこれだけすごいと思うのだから,現場で聴いたらたとえようもなく感極まって熱狂間違いなしなんだろうなぁ。(記事を書いていても興奮ぎみ)
すでに廃盤のようだが,これだけ充実した演奏が2曲も入っているのだからスバラシイ。2番のほうはちょっと前にBBC LEGENDSから出たが,1番のほうはほかに出ていないようだ。こういうのを手に入れようと思うと苦労する(実際苦労した)ので,マメに中古屋通いができる人がうらやましい。
しかし,1番では2楽章の荒れ狂った感じなんかがちょっと聴くとソ連のオケかと思ってしまう。マキシムが振っているからか,オイストラフの熱気にあてられたのか,と考えてみたが,そのどちらともかもしれない。
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October 21, 2004
マーラー・交響曲10番(クック版)/ラトル/ベルリンフィル(EMI 5 56972 2)

ここ数日kaorina。が鬱なため,私もなんとなく気分がさえないのでマーラーを選択。
10番は未完だということで1楽章アダージョのみしか録音しない指揮者も多いが,ラトルはこの盤で2枚目。出たときはすごく期待して買ったのだが,ボーンマス響との旧盤のほうがいいような気がする。なんとなく心に響くものが少な目のようで,旧盤では5楽章の最後のほうで涙,涙なのだが,こちらの盤ではそうでもない。この時期はまだベルリンフィルとなじんでなかったということだろうか?それとも私の精神的な問題なのだろうか?
クック版は他の版と比べるとオーケストレーションが薄めのようだから,そういうところで「マーラーの曲じゃない」と全曲完成版を認めない人の根拠となっているのかもしれない。でも,特に5楽章は聴いて損はないと思うのだが,というより5楽章を聴かずして10番は聴いたことにならんだろう,と思う。
10番は「金子建志と19世紀オーケストラ」でのアマチュア日本初演に参加させてもらった(クック版(1989):1998/10/17於すみだトリフォニーホール)。実際演奏してみるとよくわかるのが,この曲は紛れもなくマーラーの曲であるということ。ベートーヴェンの10番などと違い,マーラーは略式総譜により曲の骨格は完成させているうえ,よく知られているように1楽章はほぼ完成しているし,さらに2,3楽章は7割程度は完成されていたらしい。
とはいっても,限られた資料を基に補筆されているわけだから,練習過程でも金子氏の解釈や実際の音を聞いての試行錯誤があったりして,普段の練習とは違ったおもしろさがあった。
最も印象的だったのは,コンサートマスターがパート譜の最終ページに書き込んでいた言葉「絃楽器奏者の魂の全てを込めて弾くべし!」だ。絃楽器奏者がまさにこのページの音符に魂の全てを込めた好演だったと思う。ffで現れる5連符や,自筆略式総譜に「おまえのために生き!おまえのために死ぬ!アルムシ!」が書き込まれた最後のグリッサンドなど,何か違う世界の出来事のようだった。あんな演奏はおそらく一生に何回あるかどうかだろう。
ちなみに10番(完成版)のCDはけっこう出ているので,これを読んで聴いてみたいと思った方は探してみてはいかがだろう。クック版はシャイー,インバル,ザンデルリンク盤あたりは手に入りやすそうだし,スラットキンのマゼッティ版もけっこう見かける。先日はカーペンター版も見かけたから,これも手にはいるかもしれない。
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October 19, 2004
バッハ・カンタータ113,179,199番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 591-2)

三位一体節後第11日曜日用カンタータ集。なぜこの祝日が選ばれたのかが謎なのだが,何か理由があったのだろうか?
どれも魅力的な曲ばかりだが,179番冒頭合唱のフーガは素敵だ。この曲は小ミサ曲に転用されているし,バッハ自身も気に入っていたに違いないと思う。
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October 15, 2004
バッハ・フルート,ヴァイオリン,チェンバロ,弦楽と通奏低音のための協奏曲,オーボエ,ヴァイオリン,弦楽と通奏低音のための協奏曲,オーボエ・ダモーレ,弦楽と通奏低音のための協奏曲/ピノック/イングリッシュ・コンサート(ARCHIV F35A 50002)

3曲中オリジナルが存在しているのはフルート,ヴァイオリン,チェンバロのための協奏曲のみで,あとの2曲は現存するチェンバロ協奏曲からの復元。とはいってもちゃんとした研究に基づいて復元され,新バッハ全集にもちゃんと収録されている。
オーボエ・ダモーレ協奏曲は,同じピノックの演奏でもチェンバロ版と違っていくぶんおとなしめな演奏に感じられる。これは楽器の違いのような気もするが,自身がソロを弾いているかそうでないかの違いであるような気もする。
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October 14, 2004
バッハ・カンタータ204,208番/シュライアー/ベルリン・ゾリステン/ベルリン室内管(BERLIN Classics 0092232BC)

カンタータ208番は通称「狩りのカンタータ」,第9曲パレスのアリアはNHK-FM「朝のバロック」のテーマ曲(最近早起きしないので聴いていないが今もそうなのか?)なので,けっこう有名なんじゃないか。
演奏は声楽,器楽ともに全体にレガート気味で重めでしっとりした感じだが,なぜか合唱が入るところだけは「元気ハツラツ」な雰囲気になる。シュライアーの音楽と合唱団の音楽が一致しなかったのだろうか?最初はこの重い雰囲気に違和感があるのだが,聴いているうちにこれがけっこういいんじゃないかと思えてくる。そこで合唱の「元気ハツラツ」を聴くとアクセントになっていいのかもしれない。もしかしてこれが作戦なのか?
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October 13, 2004
ショスタコーヴィチ・ピアノ三重奏曲1,2番,格言集/モスクワ現代音楽アンサンブル(TRITON MECC-28004)

三重奏曲1番は普段あまり聴かないのだが,私が持っている中ではけっこういい演奏だ。モスクワ音楽院に移るときの作品だそうだから,まだショスタコーヴィチの個性は強く出ていないと思う。曲の終わりのほうで妙にロマンティックなメロディーが登場するが,この時期はまだまだ素直にこういう感情を表していたということだろうか。
三重奏曲2番は,1楽章の序奏がいい雰囲気で「おっ」と思うのだが,それ以降,全曲を通してなんとなく物足りない。妙に乾いたスタッカート気味の奏法と,あっけらかんとした雰囲気が原因だと思う。
格言集はベフテレフ/スピヴァコフによる室内楽編曲版(Vn,Fg,Perc,Pf)。かなり前衛的な作品で面白いが,終曲「子守歌」はいきなり普通(と思う)旋律で終わる。第9曲「伝説」は,交響曲4,15番やチェロ協奏曲2番などを思い出させる打楽器の規則的なリズムで終わるが,編曲者は当然意識していただろう。原曲は聴いていないのでわからないが,こういう雰囲気があるのだろうか。そうだとしたら15番の終結部のイメージはショスタコーヴィチが若い頃から持っていたものなのか,などと考えたりする。
解説書にショスタコーヴィチがユダヤの旋律の特徴について語った言葉「愉快な旋律を悲しげな音韻の上に構築することが可能なことにある」というのが載っている。こういうところが私の感覚とショスタコーヴィチの音楽を結びつけているのだと思う。
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October 12, 2004
バッハ・コーヒー・結婚カンタータ/アメリング(Sop)/コレギウム・アウレウム合奏団(deutsche harmonia mundi BVCD-1840)

世俗カンタータ集。
コーヒーカンタータは,コーヒーにからんだ親子のやりとりが生き生きと歌われるのがちょっとしたオペラの一場面といった感じで楽しい。この曲を聴くとバッハがオペラを書いたら面白かっただろうと思う。こういう曲を演奏できたら楽しいだろうが,実現はなかなか難しそうだ。
結婚カンタータはBWV202。ソプラノ独唱のカンタータなので録音はけっこう多いが,ソプラノのアメリングの歌唱は,控えめなヴィブラートと少し軽めな声質がバッハのカンタータに似合っていると思う。アメリングのカンタータの録音は他に持っていないので,BWV51など録音があったら聴いてみたい。
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October 08, 2004
バッハ・カンタータ34,59,74,172番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 584-2)

聖霊降臨節用カンタータ集。34番が聴きたくなって選択。
どの曲も祝典的気分が感じられるが,特に34番は華やかで気に入っている。バッハ最晩年の作だけあって充実した楽曲が並んでいると思う。終曲冒頭で「イスラエルに平安あれ!」と歌われるが,エジプトでイスラエル人に数十人の死者が出るテロがあったこんな日に聴くのも何かの縁か。
59番と74番は冒頭の楽曲がほぼ同じで,歌唱のみ二重唱と合唱の違いになっている(と聞こえる)。作曲時期は2年違いのようだから,このような改作で職務をこなしていたという例だろう。
172番は34番より30年ほど前の作。全体の雰囲気も違うし,曲の閉じ方もまったく違う。34番のように華やかな合唱で終わるのもいいが,こういう落ち着いたコラールで終わるのもけっこう好きだ。
演奏はガーディナーらしいキレのよいもの。部分的にちょっとアタックが強すぎる気がするが,好んでやっているのだろうか。
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October 07, 2004
ブラウザをMozilla Firefoxに変えた。今まではNetscape4.7だったのだが,ココログはまったく見ることができず,IEを使って閲覧,記事の投稿もフォームは崩れていて,投稿すると必ず文字化けが起こり,とても不便だった。(IEにしてもなぜかココログの編集画面にログインすることができなかった。)
kaorina。のマシンにはNetscape7.1が入っていて,それだとこういった問題がなく快適なのだが,私の非力なマシン(CPU:K6-2 400MHz,メモリ:96MB)ではとてもまともに動きそうもなく,導入していなかったのだ。
そんなわけでFirefox1.0日本語版が出たのを機に試しに入れてみた。ちょっと重いところはあるが,どうにもならないということもなく,ほぼ快適に閲覧などもできている。しばらくはこれで行こうと思っているが,それよりももう少しパワーのあるマシンにしたい。
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October 06, 2004
子供の保育所の運動会だったので,見に行ってきた。我が家の子供はそれなりに参加していたが,すぐに飽きていたようだった。まあ,まだ3歳だからしかたないのだが。
しかしさすがに保育所,この年齢の子供の出し物(?)はちゃんと最初のほうで終わり,後半は年長の子供の出し物だけになっている。そんなわけで,運動会が全部終わらないうちに年少の子供たちは部屋に入っておしまい,というしくみになっていた。
あとで保育士の人に聞いたところ「泣かないでちゃんとできたのは偉い」と言っていた。このくらいの年齢だと両親が見ていると泣いて後追いする子が多いそうだ。ウチの子供はそんなことはいかにもなさそうなので,そんなもんなのか~,と思った。
夜風呂に入ったときに「今日は運動会楽しかったか?」と聞いたら,「お父さんとお母さんと歩いて(保育所に)行って,お父さんとお母さんが見てたのがよかった。」と言っていた。普段から家族で出かけることがほとんどないので,こんな言葉が出るのだろうと思って,とても申し訳ない気持ちになった。kaorina。の病気がなんとかなればもう少しなんとかできるかもしれないが・・・
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October 05, 2004
ショスタコーヴィチ・交響曲15番/ザンデルリンク/クリーヴランド管(ERATO WPCS-5539)

市原フィルの合宿でkaorina。が「15番はマーラーでいうところの9番みたいなもの?」と聞かれたらしい。私も同意見だが,kaorina。は「ちょっと違うと思う。」と答えておいたそうだ。確かに体調も悪く死を意識していたであろう時期の作品だが,マーラーみたいに主観的でないイメージだ。もっと客観的に,というか斜に構えて見ているというか,そんな感じがする。いずれにしても70年近い人生を経た作曲家が書いた曲を,それにはるかに及ばない年数しか生きていない私がどうこう言うこと自体滑稽かもしれない。
さて,この曲はいろいろと謎の多い曲とされているが,とにかく他曲の引用が目立つ。引用されている曲は自作だったりもするが,他の作曲家の曲も多く,ショスタコーヴィチ自身は手紙の中でロッシーニ,ワーグナー,ベートーヴェンの引用を明記している。ほかにもショスタコーヴィチ自身が言ったとされる言葉もあり,この引用について評論家などはいろいろと解釈をしては「謎だ」ということになるわけだ。
そこで,俄評論家となった私は,そんなことも頭に置いて聴いてみて,ふと考えた。もしかして,引用作品自体に深い意味はないのではないか?と。ショスタコーヴィチのことだからわざと意味深に引用を並べておいて,「謎」を解こうと躍起になる連中を見てほくそ笑んでいたり,「結局,この世の中には意味なんてないんだよ。」と言っていたりして。まあ,考えすぎだろうが。
人間の意識というものはどのように存在しているのか。物理的には大脳辺縁系の活動が「意識」と呼ばれるものとして認識されているのだろうが,確かなものではない。ということは「意識」によって構築される「意味」だって確かなものではない。「意味」は各個の「意識」がそれぞれ認識しているにすぎず,真理には永遠に到達することができない。つまり「意味」は「謎」のままなのだ。淡々と打たれる最後の打楽器がそれを表している。その部分の私のイメージは「宇宙空間で眼前を通過する粒子」といったところか。うーん,いかにも冷戦時のソ連ぽい。
宗教によってこの世の真理が構築され,信じられていた時代の作曲家と違い,科学というものが真理を探究するようになった時代に生きた作曲家がこんなことを考えても不思議はないのではないか。
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October 04, 2004
ショスタコーヴィチ・弦楽四重奏曲1,2,4番/ベートーヴェン四重奏団(CONSONANCE 81-3005)

こんな雨の日にはショスタコーヴィチの弦楽四重奏が似合う気がする。
この演奏はベートーヴェン四重奏団らしい気合いの入った演奏だが,他の番号の初演ライブ盤などと比べると若干おとなし目かもしれない。それでもきれいなだけの演奏とは違う,魂の演奏だと思う。
ショスタコーヴィチの四重奏曲では民俗的な要素が感じられる部分が気に入っている。そんな部分では心を鷲掴みにされたような,胸が苦しくなるような気分になる。ユダヤの旋律に代表されるように,ショスタコーヴィチは民俗的なものに特に意味を持たせていることがその理由だと思う。
kaorina。曰く,私は土俗的な曲が似合うそうだ。確かに土俗的な雰囲気があるとものすごく胸騒ぎがする。そんなこともあって,ショスタコーヴィチの四重奏曲をもっと演奏してみたいものだが,いつ実現することやら。
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October 02, 2004
年に一度のダスビ初合わせ。いやー、もう今日という日が待ち遠しかったこと。市原フィル(トラ)の合宿を中抜けして参加した。
諸般の事情が重なり,1stVnは4人の参加だった。この曲はオーケストレーションが薄い部分が多いので,弾けていないとバレバレだ。そう思って必死で練習していったのだが,やはりそう弾けるものではなかった。
1楽章に4Soliの部分があるので,練習で1回くらい2番Soloを弾いてみたいな,と思っていたのだが,そんな状況だったのであっさり初合わせで弾くことができた。やはりSoloの緊張感は何度やってもやめられない。いい経験だった。
合宿場所の岩井から来たということで,ある人から「バカ。」と言われた。なので「いいんだ,ここはバカばっかり集まってきてるんだから。」と答えておいた。「そうだよね~。」と納得していた。やっぱりバカばっかりだ。(笑)
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October 01, 2004
ショスタコーヴィチ・交響曲1,6番/アシュケナージ/ロイヤルフィル(DECCA 425 609-2)

またまた1番を聴く。
アシュケナージは2番の演奏がかなりショボいのだが,この演奏はそれほど悪くない。1番の打楽器もちゃんと叩いている。全体としてはいまひとつアピールが弱い気がするが,不満というほどではない。スコアをみて勉強するにはいいかもしれない。
6番も特に不満はない演奏だ。アシュケナージのショスタコーヴィチは,特に不満はないがそれ以上でもないという気がする。だからあまり聴かないんだよなぁ。
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