August 31, 2004
ベートーヴェン交響曲5,6番/フルトヴェングラー/ベルリンフィル(MUSIC&ARTS CD-824)

市原フィルのエキストラを引き受けることになったので選択(プログラムに6番が含まれる)。2枚組のうちの1枚。(もう1枚には4,7番を収録)
どれも1943年の放送録音で音質はひどく悪い。以前泊まり込みの研修に行ったのだが,その際,夜はあまりに暇だったため図書室にあった「フルトヴェングラー」という本を読んだ。その中に「フルトヴェングラーのベートーヴェンは戦時中の録音が良い」という趣旨の記述を読んで買ってみたのだ。そんなわけなので,我が家にはフルトヴェングラーのベートーヴェンはこんなのしかない。そういうわけなので,私の演奏面でのフルトヴェングラー観はこの盤が基準だ。いいのだろうか?
最近シェルヘンやガーディナーばかり聴いているので,こういう解釈はとても新鮮に聞こえる。スコアに囚われない緩急自在な演奏や,フェルマータの手前や終結部では止まりそうに遅くなるなど,ちょっと前なら当たり前だったと思われる解釈が満載。久しぶりに聴いたので面白かった。市原フィルでは絶対にこういう演奏はしないだろう。
実際6番冒頭部分のスコアには最後の2分音符にフェルマータが付いているだけで,リタルダンドなんかは何も書いていないが,こういう演奏しか聴いていない人は,相当リタルダンドするものだと思っても仕方ないだろうと思う。スコアより耳で聴いた記憶や印象で演奏する人は多いので,そのへんがアマオケの難しいところだと思う。でもなるべくスコアも見て,「名演奏」の解釈に固執しないようにしてほしいものだ。
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August 30, 2004
バッハ・カンタータ61,63,132,172番/鈴木/バッハ・コレギウム・ジャパン(BIS CD-881)

63番が聴きたくて選択。と言っても,他も好きな曲なのだが。
この盤では終曲の"Dass uns Satan moge qualen."の部分がsotto voceで演奏されている。スコアを見ていないのでわからないが,この部分はこういう演奏のほうが祈りの気分がして良いような気がする。リヒター盤を先に聴いていたので,最初聴いたときはずいぶん違う印象を持った。
この時期のBCJの録音には米良美一がカウンターテナーで参加している。最近は別ジャンルを歌っているようだが,バッハなどには興味がなくなったのだろうか。下世話に勘ぐるとポピュラー方面のほうがギャラがいいから?
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August 27, 2004
ハイドン・交響曲103,104番/クイケン/ラ・プティット・バンド(deutsche harmonia mundi 05472-77362-2)

週末に弥生のボウイング合わせ(103番)があるので選曲。といっても私はトップの予定ではなく,代理である。
103番は「太鼓連打」とサブタイトルが付いているが,冒頭にティンパニのロールがあるのがその由来で,太鼓が猛烈に連打しているのを期待するとがっかりする,というのはけっこう有名な話だ。
この盤は以前から欲しかったのだが,今回演奏曲目となったので少し前にようやく購入した。テンポ設定やアーティキュレーションなど,古楽器団体らしい解釈だと思う。
古楽器による演奏の104番は初めて聴いたのだが,特に響きに関してはこちらのほうがモダン楽器より数段良いと感じた。最初のフレーズからして世界が違うと感じて,思わずkaorina。に「これはいいね!!」と言ったくらいだ。
私は楽器をなくしたことがきっかけでヴィブラートが思うようにならなくなり(現在も70%程度の戻り具合),ヴィブラートに頼らず表現するために苦労している。だが,おかげでボウイングによる表現が豊かになったと思う。
とかく表現にはヴィブラートを要求する指導者が多いし,ヴィブラートこそが全て,という傾向があるように思うが,そのせいでボウイングテクニックが置き去りにされている気がする。もっと右手による表現を重視するべきではないだろうか。
バロックの奏法では右手によるヴィブラート(奏法名があるかもしれない)のテクニックもあるわけだし,左手のヴィブラートによらず,表現の幅を広げることはできると思う。その上で左手のヴィブラートを効果的に使うことができれば完璧だろう。
弥生は楽曲のオリジナルを重視しているが,ロマン的表現にすり寄る傾向にあるのが中途半端だと感じている。今回はそのあたりも議論したいものだ。
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August 26, 2004
今年上半期の出生の届け出が前年同期よりさらに減ったというニュースがあった。少子化だというので,保育所と幼稚園の一元化だとかいろいろやろうとしているようだが,実際最大の問題は育児費用なのではないか。
一例として,私の居住地では保育料は前年の所得税に応じて決められているので,年収が多ければ保育料は高くなる。おそらくたいていのところではそうなっているだろう。
確かに収入が少ない場合,保育料を免除するのは仕方ないと思う。保育料を払って生活費がなくなったらどうにもならないわけだし。
では,それなりに収入がある場合はどうか。我が家は私の収入のみで支えられており,私の収入は給与所得者の平均的なものより著しく多いわけではない。保育料を払っても生活費が残るのは確かだが,保育料はかなり高く,生活費を圧迫しているのもまた事実だ。
我が家ではそれに加えてkaorina。の医療費がかなりかかっているが,医療費控除を受けたからといって所得税による区分が何段階も変わることはない。結局医療費の分はみてもらってないのと同じだ。
また,住居費,光熱費,食費や趣味にかかる費用は当然保育料の決定には関係しない。いいところに住まなくたって,多少不便だって,粗食だって,趣味なんかやらなくたって,そんなものは我慢すれば生きていけるでしょ,というのがおそらく社会の常識だからだ。
だが,誰だって充実した生活を送りたいし,人生を充実させるためには趣味も必要だと思う。生涯学習だとかいうのは,無趣味な人に趣味を持たせて人生を充実させるためにやってる施策だと思うが,一方ではこうして人生の充実を推奨しておいて,一方では人生の充実を我慢せざるを得ない施策が行われている。
保育料を何人分も払ってもまだ金に余裕のあるほど収入のある人はほとんどいないと思う。それに,充実した生活を捨ててまで子供を育てようという人は少ないと思う。そうなれば,子供は持たない,あるいは持っても1人とかせいぜい2人という人が増えても当然ではないかと思う。
そんなわけで,保育所と幼稚園を一元化したところで,保育料のシステムが今と同じだったら絵に描いた餅ではないかと思うので,保育料をもっと下げたり,全て自治体が負担できるような制度を作るとかが必要ではないだろうか。公共工事が景気浮揚策として絶対的であるという神話が崩壊したのだから,そのへんの予算を振り向けるとか,工夫できないものだろうか。
費用面以外にも少子化要因はあるわけだが,私の実感では,育児費用の問題は大きいと思う。
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August 25, 2004
バッハ・カンタータ21,31番/鈴木/バッハ・コレギウム・ジャパン(BIS CD-851)

今朝はどうしても21番終曲の合唱のフーガが聴きたくなったので選曲。
私はフーガが大好きで,演奏するのもフーガは楽しくて仕方ない。ジュピターやエロイカ,先日の第九などはとても楽しかったし,感動した。ついでに大フーガはぜひ弾いてみたいが,これはさすがに実現は遠そうだ。で,特に声のフーガはすばらしく好きなので,バッハのカンタータは自然とよく聴くことになる。
鈴木/BCJの演奏は,この盤に収録されているような曲の雰囲気にはとても合っていると思う。何が,と言われると説明が難しいが,他の団体の演奏に比してより曲の持つ空気というか色合いというか,そういうものにぴったりしていると感じる。
もちろんほかの曲でもぴったりしていると思うのだが,もしかすると日本人の感性に合っている演奏,というだけなのだろうか。まあ,私の個人的な感想だし,好みは人それぞれなので,深く追求するのはなしにしよう。
この盤は21番の異稿が収録されていてお得だ。ソプラノパートが一部テノールになっている(アリア,レチタティーヴォ,デュエットのアリア)のだが,当然こうなったいきさつはあるわけだろうが,どちらも違和感はないので聴くにはどちらでもいいと思う。
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August 24, 2004
バッハ・カンタータ140,147番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 587-2)

2曲とも有名なコラールを含むカンタータなので,たぶん人気曲だと思う。140番はシューブラー・コラール集の一つBWV645「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」,147番は「主よ,人の望みの喜びよ」で有名なコラールを含む。
だいぶ前の話だが,kaorina。が「カンタータに興味があるけど,どれから聴いたらいいかわからない。」と言っていた時に,「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」が好きだというので,「じゃあ140番に原曲があるから聴いてみな。」と勧めたことがある。知っているメロディーがあればとっつきやすいわけで,以来kaorina。もカンタータにはまったのであった。
かく言う私も,高校生の時買ったオルガン名曲集に入っていた上記2つのコラールが大好きだったのだが,カンタータはまったく聴いたことがなかった。少し後,予備校通いをしていた頃にNHK-FM朝のバロックで放送されたBWV147を聴いたことがカンタータに入り込むきっかけだった。
もちろんコラールだけでなく冒頭合唱やアリアもすばらしいし,演奏も優れているので,「カンタータ聴いてみたいけど何から聴いていいかわからない。」という人にもってこいの一枚だと思う。
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August 23, 2004
ショスタコーヴィチ・「黄金の丘」組曲,「馬虻」組曲,ヴォロチャーエフの日々/シナイスキー/BBCフィル(CHANDOS CHAN 10183)

BBCフィルの映画音楽シリーズ。ショスタコーヴィチ作品の第2巻。ヴォロチャーエフは世界初録音。
この盤の演奏はショスタコの映画音楽らしくてとてもカッコイイ。でも,金管が鳴りまくっている曲などを聴き続けているとさすがにちょっと疲れる。
黄金の丘のハワイアンギターはけっこういいのだが,もっとポルタメントをやって欲しかった。ロジェヴェン盤のが良すぎるのか。オルガンの素敵な長いソロも入ってないし。
今度のダスビではヴォロチャーエフを演奏するのだが,全集版のスコアにある4曲目を演奏するかどうか決まっていない。もし演奏すると4曲目の世界初録音なのか?
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August 21, 2004
練習もなかったので,コントラバスM氏の誘いに乗って聴きに行った。
千葉フィルハーモニー管弦楽団 第16回サマーコンサート 習志野文化ホール
指揮:金子建志
・チャイコフスキー・幻想序曲「ロメオとジュリエット」
・ラヴェル・「ダフニスとクロエ」第2組曲
・ブラームス・交響曲第1番
・チャイコフスキー・「白鳥の湖」~ワルツ(アンコール)
感想を少々。
私が千葉フィルを離れてずいぶん経つので,特に1stVnのメンバーは大きく入れ替わっていた。私が在籍していた時にブラームスの4番を演奏したが,「ブラームスでこの音程はつらい」という感じだったが,その時と比較すると今回はすばらしく良い音程で,ストレスはなかった。
以前練習後の飲み会で,ブラームス1楽章提示部の繰り返しについて金子建志氏が「史上最も変な繰り返し」と言っていたのでどうするか注目したが,やはり繰り返さなかった。やったらそれは驚きだろうが。
解釈は奇抜なところもなく,ブラームスの交響曲を演奏した,という感じで,私としては物足りなかったが,きっとこれが正しい形なのだろう。
挨拶もせずに帰ってしまいましたが,みなさんお疲れさまでした。
演奏会を聴きに行くといろいろ刺激を受ける。最近は「演奏はどうすべきか」ということに悩んでいるので,そういった面を考えた。
Vnでいうと,私は1stのO氏(遠目だったので間違っているかも(汗))の演奏に注目した。周囲より動きが目立つプレイヤーなのだが,その動きに感じるものがあった。
演奏の目的は,「聴衆の音楽の追体験」の実現ではないか。音楽にはおそらく命があって,演奏によりそれが空間を充たし,聴くものはそれを追体験する。そんなことができたらいいと思った。
オーケストラの音楽は一個の生命体のようなもので,各パーツが密接に関わり合って一つの曲になる。生命体は各パーツそれぞれが役割を持っていて,それがきちんと機能することで全体の活動が成り立つ。それと同様に,オーケストラも各パーツがきちんと機能することで一つの音楽が成立する。
例えばロボットなどで生命体を再現する際,各パーツがいかに自然に機能するかがポイントとなる。その程度に差があるから,ロボットがその生命体に近いとか,どうも違うとかいうことが起こる。
音楽という生命体を再現することを考えると,各パーツがいかに音楽の命を再現し得るか,ということになる。その程度が演奏の質と言われるものではないだろうか。
これをプレイヤーに還元すると,自分のパーツの機能を理解し,体現することになる。スコアを忠実に再現するだけではおそらく成し得ないだろうと思う。音楽の命を音に持たせる解釈と技術が必要だ。うーむ,これは難しい。
書こうとするとなかなかうまく思っていることを書けないが,今後の演奏ではこんなことをできるよう工夫していきたい。
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August 20, 2004
ベートーヴェン・ミサ・ソレムニス/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク(ARCHIV 429 779-2)

なんか最近ガーディナーばっかりだ。この演奏も速めのテンポ設定でディスク1枚に収まっている。この曲ではこのくらい生きがいいほうがいいんじゃないかと思う。
ミサ・ソレムニスはとても好きな曲なので,以前魂を売って(笑)エキストラで弾いたことがある。というのは,誘われたオケが私としてはちょっと・・・,だったからなのだ。で,深いことは考えずに演奏に集中したというわけだ。
弾いてみたらやっぱりすばらしい曲だった。弥生でも第九ができたので,そのうちミサ・ソレムニスをやりたいと思っている。
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7/10の記事に書いたけれども,私は選挙の投票に行くべきだと思っている。なぜ今この話題かというと,こちらのブログ(けっこう気に入っているのだ)で「投票に行かない権利」ということを論じている。確かに権利を行使するかしないかは自由なので,投票しない権利もアリだろう。
その議論の中で「投票に行くべし,とする明確な根拠を示す」という部分に非常に関心を惹かれたのだ。明確な根拠もなく持論を主張するのは弱い。私は弟にそれを示せていなかった。これではただの説教オヤジだ。となると法律を読む必要があるかもしれない。でも面倒くさい。うーむ,投票とはかくも奥深いものなのか?(それほどではないと思うが)
でも,投票に行かない人は「面倒くさい」とか,「興味がない」という人が多いので,そういう人に対しては「投票もしていないくせに文句を言うな」という声が出てくるのも仕方ない気がする。私もそう思うし。ただ,明確な意志を持って投票しない人には簡単に「文句を言うな」とは言えないかも,と思う。「明確な意志」というのが明確な根拠を持っているか,という問題もまた発生するが。これではニワトリと卵だ。
いずれにしても,お互い感情論でしか議論できていないうちは何も得られないだろう。投票率を上げたい選挙管理委員会のみなさんも,投票するべき「明確な根拠」を示せばいいのではないだろうか?仕事なんだし,法律の解釈をすることも必要なのでは?ただ「投票に行きましょう」とか言っているだけでは,なんの効果もないと思うし,金をかけてキャンペーンするだけ税金の無駄でしょう。
まあ,私は「宝くじは買っても当たらないが,買わなきゃ絶対当たらない」主義なので,「投票しても変わらないが,しなければ何も変わらない」と思ってこれからも投票することにしよう。
今回の記事はホントにわけわからんですな。(^^;
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August 19, 2004
ショスタコーヴィチ・交響曲11番/ビシュコフ/ベルリンフィル(PHILIPS 420 935-2)

私がショスタコにはまるきっかけとなったうちの一枚(詳細はこちらの第二パラグラフ参照。弟がついでに買ってきてくれたもの。)。しかし11番は名曲だと思う。ショスタコ好きにはこの曲が好きな人が多いし。(ということはショスタコ嫌いの人は聴けないのか?)
私にとって11番はこれ,という盤がないのだが,この演奏はわりとよく聴いている。最初に聴いたものだからかもしれないが,他よりストレスなく聴ける気がする。ちょっと安全運転な演奏かもしれないが,最後の鐘もちゃんとたたいていて,鐘の余韻も収録されているし。他の演奏ではたたく箇所を間違っていたり,ひどいものではメチャクチャになっているのもあるから,やっぱりこの演奏はいいと思う。凄まじさはムラヴィンスキーのレニングラード初演盤が上だと思うが。
それにしても終楽章のタイトル「警鐘」とはなんとも意味深だ。ソ連の危うさに対する警鐘というだけなのか,もっと普遍的に人類の危うさに対する警鐘なのか。ショスタコばかりきいていると後者じゃないかと思ってしまう。いずれにしても,聴いていていつもゾクゾクしてしまうのは確かだ。やっぱり11番は某氏曰く「人類の宝」だと思う。
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August 16, 2004
kaorina。が見つけた邪神占いというのをやってみた。
あなたのタイプはラーン=テゴスです。
マイペースな”亜人間の敵”
<解説>
あなたのタイプは悲鳴をあげながら走り回る筋肉質の亜人間を食料にしていた悪臭を放つ”水陸両棲の神ラーン=テゴス”です。あまり世間のながれに囚われず、自分なりのペースで物事を進める性格です。物思いにふけってじっとしていたり、ぼーっとすることが好きだったりするために周囲からはまるで寝ているように見えることもしばしばです。それでいて思慮深いとか落ち着きがあるなどの不当に高い評価を受けたりもします。
<ラーン=テゴスなあなたの性格>
活動的とはいいがたい。
他人のことは気にならない。
不当に評価が高い。
<陥りやすい犯罪傾向>
サボリによる義務違反
<ラーン=テゴスの有名人>
手塚治虫
むむ,なかなか当たっている。手塚治虫と同じといわれてもよくわからないが。
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バッハ・カンタータ106,118/231,198番/ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ARCHIV 463 581-2)

落ち着いた音楽が聴きたかったので選曲。どれも葬送用の音楽で,なんだか優しい気分に満ちている気がする。とにかく心が疲れたらバッハに頼るわけだ。普段相談できる人はそういないし。
106番はいうまでもない名曲だが,118番もとても素敵だ。最近はモテット(BWV231)に分類されているようだが,そんなことはどうでもよい。音楽は理屈なんか関係なく楽しめるものだから。知っていればそれで楽しみも増えたりするが。
曲の雰囲気を決めている一つの要素として,106番と198番で使われているヴィオラ・ダ・ガンバが挙げられるだろう。バッハはこの楽器をめったに使っていないが,ここぞというときに使っているようだ。バッハの中では相当こだわりがあったに違いない。
演奏は少し生きがよすぎる気もするが,響きなんかはとても気に入っている。なんでこのシリーズは全曲出さないのだろう?企画ものだから?
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August 15, 2004
東京都が学校の男女混合名簿をやめる,という記事があった。なんでもジェンダーフリーが行き過ぎになるからなんだそうだ。確かに名簿を男女混合にすることに意味があると思えないし,よくある過剰な平等思想と同じだと思う。
以前何かで読んだのだが,「男なら○○」とか「女なら△△」という場合,「男」とか「女」の部分を「人間」と置き換えてみろ,というのがあった。例えば「男なら泣くな」を「人間なら泣くな」と置き換えるとおかしなことになる。そういった場合,その言葉は問題があるということらしい。
ジェンダーフリーなんていうものはそんなに大げさに構えなくてもいいような気がするが,日本ではまだまだジェンダーというもの自体認知度が低いようなので,難しいのだろう。相変わらず男は働いて金を稼いでいるのに,財布は女が握っているという話は多いし。逆に女が稼いで男が金をもらっていたら「ヒモ」って言われるのにね。
そんなのだったらお互いいつまでたっても自立できなさそうな気がするのだが,昔からそうしているので疑問に思う人は少ないということか。まあ,日本古来の頑固オヤジというのも魅力的だけど,そんな時代でもないのではないか。
いずれにしても,お互い不満が出ないように協力してやっていければいいのではないかと思う。ちなみに我が家はかなりジェンダーフリーだ。家事,育児,食い扶持稼ぎの98%くらいは私が担当している。当然財布は私が握っている。台所を預かるものが財布も預かるのだ(^^)
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先日クラシカ・ジャパンを見ていたら,クレンペラーのベートーヴェン第5が放送されていた。テレビを点けたのがちょうど1楽章の中間部あたりで,まだ例の主題は出てきていなかったのだが,子供が「これ,ジャジャジャジャーンだね。」といったのには驚いた。
我が家ではクレンペラーの第5は聴かないので,このときの放送のゆったりしたテンポの演奏も聴いたことはないはずだ。それでも曲がわかったということは,今までに繰り返し聴いたことで,ちゃんとリズムやメロディーによってベートーヴェンの第5を認識しているということだと思う。
こうやって親が意識しないうちに性格や指向などが形成されていくのだろう。教育おそるべし。役に立つことを覚えていってくれるといいのだが。
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August 13, 2004
バッハ・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ/シェリング(DG 437 365-2)

この曲の定盤(たぶん)。演奏は正確で一音も無駄にしていない感じ。こういうところがスタンダードたる所以だろう。
第一ソナタのフーガなどで旋律線を出すために和音を上から弾いている箇所がある。以前レッスンでフーガを見てもらったとき,師匠が下からと上からを両方弾いてくれた。上から弾くのがあまりにかっこよかったので,以来私は上から弾く練習をしている。が,私の技術ではあまりかっこよく弾けないのであった。
というわけで,帰宅後練習したのはいうまでもない。なかなかうまく弾けるようにならないのだが。
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August 12, 2004
ベートーヴェン・交響曲1,2,3,4番/ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク(ARCHIV 439 900-2)

交響曲全集の一部。エロイカが聴きたかったので選択。
快速テンポと気合いの入った表現で,シェルヘンの全集と並ぶ我が家のスタンダード。
最近クラシカ・ジャパンでクレンペラーのベートーヴェンをやっているが,まったくイメージが違って面白い。
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August 11, 2004
水野修孝・オペラ「ミナモ」と交響曲「佐倉」の楽想による管弦楽曲(水野修孝/千葉大学管弦楽団),弦楽四重奏曲「夜の歌」(古典四重奏団),キーボードとマルチ音源ドラムのためのエチュード「イヴ」(岡部裕美),宵の宴(中国琵琶:ウェイウェイ,Vn:亀山寛子,Fl:二藤部裕一,Pf:岡部裕美,Perc:藤田浩司),除夜のためのエチュード(Pf:岡部裕美,音響:内記忠敏),混声合唱組曲「明日のオデッセウスたち」(金井誠/オデッセウス合唱団/Pf:吉田桂子),おやすみなさいお月さま(指揮:水野修孝)(COM-90416)

水野氏のことを書いたので,聴きたくなって選曲。氏の千葉大学退官記念演奏会のライヴ録音。このCDは今でもホームページで直接買えるようだ(未確認)。
巨大オーケストラの曲や打楽器が主役の曲は演奏されなかったが,弦楽四重奏曲の全曲初演など,内容は濃い。特に弦楽四重奏曲は名曲だと思う。早く譜面出版してください,Yさん(^^)。
私は水野氏本人をわりとよく知っているのでひいき目かもしれないが,もっと評価されていい作曲家なのではないかと思う。少なくとも私が演奏した邦人作品の中では最高ランクだと思う。
余談だが,管弦楽曲で私はなぜかコンサートマスターを仰せつかって,色気のないソロを弾いている。本人としてはなかなかの出来なのだが,シロウトなので勘弁してください。
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August 10, 2004
マーラー・交響曲7番/ショルティ/シカゴ響(LONDON F00L-23138)

我が家ではマーラーはkaorina。の担当なのだが,これは私が買ったCD。理由は1枚に収まっているから。といっても,演奏はなかなかいいと思う。
7番は好き嫌いが極端に分かれるが,私は大好きだ。特に終楽章で楽想が突然がらっと変わる場面が何度も現れるのが嫌いな人にはダメらしいが,好きな人はそれがたまらないという。私もそのくちだ。
ほかにも,冒頭のテノールホルンの不安定な旋律とか,騒音みたいに鐘やらカウベルやらが鳴らされる部分なんかも気に入っている。マーラーの曲はやはり鬱っぽい人間には合うんじゃないかと思う。
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August 09, 2004
トマジ・トランペット協奏曲,ジョリヴェ・トランペット、弦楽オーケストラ、ピアノのためのコンチェルティーノ,トランペット協奏曲2番/マルサリス(Tp)/サロネン/フィルハーモニア管弦楽団(CBS SONY 32DC 869)

ジョリヴェの2番を聴いて気に入ったので買ったCD。ジャズの要素がたくさん入っていてとても楽しい。他の演奏は聴いていないが,この演奏は雰囲気も良く名盤だと思う。
水野修孝氏が言うように,クラシック音楽は他のジャンルの要素を取り入れて幅が広がるということだろう。
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August 08, 2004
地面などに虫が転がっているのを見ると,子供が「死んでる?」と聞くので「生きてるかどうか触ってみな」といって触らせている。
金曜日だったか,子供を保育所に連れて行こうとしたら,階段にカナブンがひっくり返って転がっていた。最近は慣れてきたのか自分でカナブンをつつきだしたのだが,そのときのはいつもより生きがよかったらしく,そいつは子供の指にしがみついた。
しがみつかれてびっくりしたのか,子供はあわてて手を振り回してカナブンを振り払ったのだが,行った先は子供の靴下だった。子供は最初カナブンがどこに行ったかわからずきょろきょろしていたのだが,自分の靴下にくっついているのを見つけるや「きゃーーー!!」と悲鳴を上げてカナブンを振り払い,泣き出した。
うーん。カナブンごときでそんなに泣くか。ちょっとしょぼいぞ,我が息子よ。そのあともバッタが飛んできたらものすごくびびっていたし。まあ,怖がりの子供は優しいというから,いいことにするか。
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数日前のことだが,朝なんとなく外を眺めていたらクマゼミの鳴き声が聞こえてきた。耳を疑ったが,確かにクマゼミだったと思う。最近異常に暑い日が続いているので,クマゼミの生息域が北に広がったのだろうかと思って調べてみると,クマゼミの生息域北限は関東地方らしい。ただ,東京で鳴き声を聞くことはまれ,とある。とても貴重な体験をしたということだろう。これをきっかけにいいことがあれば良いのだが。
クマゼミといえば,子供の頃福岡の親戚を訪ねた折りに初めて目にした。公園でクマゼミ捕獲に必死になり,確か一匹捕まえて持ち帰ったのだったと思う。当然すぐ死んでしまったが。
そうそう,今週末は御前崎に行ったのだが,そこではクマゼミの鳴き声が当たり前に聞こえていた。姿を見ることはできなかったので残念だったが。
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August 04, 2004
ハイドン・交響曲44,45,46番/マクシミウク/ポーランド室内管弦楽団(EMI 5 69767 2)

聴く時間が短かったので,2枚組の1枚目だけ(しかも途中まで)を聴いた。
もともと48番(2枚目に入っている)を聴くために買ったのだが,この盤の演奏は推進力があっていい。もったりしたハイドンはなんとなく退屈するので,このぐらいがいいと思う。ハイドン好きは違うのかもしれないが。
こんな演奏を聴くともっとハイドンのほかの曲も聴いてみたくなるものだ。特に初期の交響曲はほとんど聴いていないので,いい演奏があるといいのだが。
やはり演奏の良し悪しというのはそれ相応の影響があるものだ。
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バッハ・ブランデンブルク協奏曲4,5,6番/ピノック/イングリッシュ・コンサート(ARCHIV F35A 50011)

私が初めて買ったCD。当時3500円した(もちろん消費税などは導入されていなかった)。
もう買ってから20年近くなるが,いまだに愛聴盤だ。
オリジナル楽器の演奏が流行りだした頃の録音で,たぶんこの頃の古楽器演奏の特徴ではないかと思う切れ味よい演奏が気に入っている。
このCDで4番を聴いて通奏低音の魅力にはまったと思う。と言ってもヴァイオリン弾きだが。いずれにしてもバロックに通奏低音は欠かせないので,その魅力がわかったのはよかった。
CDプレイヤーも買った当時は10万円くらいが普通だったが,持っていたコンポにつなげる新機種が定価5万8千円で出たというので買ったのだったと思う。
そのCDプレイヤーも2年くらい前に壊れてしまったが,コンポのアンプとチューナーはいまだに使っている(ほかは全部壊れた)。最近は安いので買い換えたいものだが・・・
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August 03, 2004

kaorina。が絶不調だったので,野島崎に連れて行った。
ほぼ満月だったので,岬の遊歩道も足下がはっきり見え,岩の上のベンチまで上ることができた。
夜の野島崎灯台はライトアップされてとてもきれいだ。というわけで月と一緒の写真を撮ってみた。
しかし,さすがに仕事の後に野島崎往復は疲れた。
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August 02, 2004
伊福部・交響譚詩,タプカーラ交響曲,ヴァイオリン協奏曲2番/芥川/小林(Vn)/新響(FONTEC FOCD3245)

タプカーラの演奏許可が下りたので選曲。伊福部氏の曲を演奏できるのは幸せなことだ。
どの曲も日本人にはとても馴染むのではないかと思うが今ひとつ認知されていないのは,舶来ものを珍重する国民性のためだろうか。
子供を保育所に連れて行くときにヴァイオリン協奏曲が流れていたのだが,これを聴いて子供が「怪獣が出てくる曲だー」と言ったのには笑った。
「デカレンジャーの怪獣」とか言っていたので,ゴジラを知っていて言っているわけではなさそうだが,曲にそういう雰囲気があるということだろう。
子供がそう言うのだから,伊福部氏がまず「ゴジラの音楽の作曲家」と言われてしまうのは仕方ないかもしれない。
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